“明治のナイチンゲール”大関和、看護の道を生きつづけた75年の生涯に悔いなし【大関和の東京を歩く(3)】
日露戦争が開戦して3カ月ほどが過ぎた明治37年(1904)5月、日本軍の快進撃を祝う「東京市祝捷大会」の提灯行列が催された。しかし、見物人が多すぎて収拾がつかなくなり、皇居の馬場先門の枡形付近で押し合いへし合いの大混乱が発生。転倒する者が相次ぎ20名が圧死する大事故が起きてしまう。付近は道が急に細くなり、普段でも人の流れが滞って混雑する。近年に韓国ソウルの梨泰院でハロウィンの夜に起きた群衆雪崩事故の現場とよく似た道路構造だった。