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そんな中、2015年秋から冬にかけて、WEBメディアがこぞって「プ女子」に関する記事を配信した。プ女子とはプロレスが好きな女性のことで、近年、プロレス会場には女性客が増え続けているという。プロレスのプの字も知らなかったわたしは、「つまらなければボツにすればいいや」と、軽い気持ちでプロレスのトークイベントを取材した。そしてその日のうちに、プロレスに恋をした。

ゲストはノンフィクションライターの柳澤健。『1976年のアントニオ猪木』(文藝春秋)などのプロレスノンフィクションで著名な人だという。内心、「アントニオ猪木ってプロレスラーだっけ?」と思いながら、柳澤氏に質問した。「プロレスを観たこともないのですが、なにから始めればいいですか?」。そして薦められたのが、YouTubeの「飯伏幸太vsヨシヒコ戦」と、漫画『リアル』(井上雄彦/集英社)13巻だ。

帰宅してから、YouTubeで動画を観ると、ヨシヒコはダッチワイフだった。……すごい! すごい! これがプロレスなんだ! もちろん、ヨシヒコは生きてはいない。つまり、ヨシヒコが自ら闘っているわけではない。飯伏選手が“ヨシヒコが闘っているように見える動き”をして、試合が成り立っているのだ。

すぐにAmazonで『リアル』13巻を注文した。車いすになったプロレスラー・スコーピオン白鳥が、再びリングに上がる。しかし白鳥は立つことができない。それでも試合は進んでいく。会場は大盛り上がり。観客は彼が立てないことにまったく気づかない。なぜか? 相手のレスラーが、“そういう動き”をしているからだ。

自分をどう見せるかではなく、相手をどう見せるかを考え尽くした動き――。これを知ったら、もう引き返せない。どっぷりハマるしかないと思った。

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プロレスの魅力に取り憑(つ)かれ、さっそく記事を書いた。「プロレスはショー」「最強より最高」――。いま思えば一発アウトな内容なのだが、無知とは恐ろしいものである。

佐藤光留というプロレスラーが「この記事を書いた人間を絶対に許さない」とツイートしたことで、プロレスファンの間で大炎上。各団体から取材拒否を食らい、決まっていたインタビューの話も流れた。プロレス界全体に「尾崎ムギ子に触るな、危険」という空気が流れた。

そんな中、たった一人、わたしの取材を快く受けてくれた人がいる。DDTプロレスリングの“大社長”こと、高木三四郎社長だ。なんのメリットもないのに取材を受けてくれた上に、取材場所に現れるなり、「僕は面白いと思います」と全肯定してくれた。なんて器の大きい人なんだと感激したわたしは、一生DDTを応援しようと決意した。

しかし正直なところ、わたしはDDTのエンタメ要素をどうしても好きになれなかった。とくに苦手だったのが、「フェロモンズ」というユニットだ。メンバーは男色“ダンディ”ディーノ、今成“ファンタスティック”夢人、飯野“セクシー”雄貴。この3人が試合中にパンツを脱いだり、股間や尻を相手選手の顔に押し付けたりと、とにかくまあ破廉恥なことをする。男色ディーノという選手が希代のエンターテイナーであることは重々承知している。しかし、ただでさえ性的なことに嫌悪感を抱きがちなわたしは、どうしても彼らのプロレスを受け入れることができずにいた。

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2023年7月23日、DDT両国国技館大会が開催された。知り合いがチケットをくれるというので、千住の飲み仲間(かなえちゃん、まみこちゃん、シゲルさん)を誘い、久しぶりにDDTを観戦することにした。

フェロモンズが登場すると、胸がざわついた。わたしが下を向いていると、隣でかなえちゃんが「セクシー!」と大声を張り上げている。どうやらゲイのかなえちゃんのツボにハマったようだ。

わたしも恐る恐る顔を上げ、フェロモンズのプロレスを初めて直視した。飯野がチョップを食らう度、コスチュームを脱いでいく。相手選手がチョップをするのを躊躇(ためら)うと、自らにチョップを食らわせ、またコスチュームを脱ぐ。ほぼ全裸になった飯野は「You!」と叫び、強烈なチョップで相手選手をぶっ倒した。その一連の流れは滑稽を通り越し、官能的なアートのようであった。

試合はフェロモンズの勝利。男色ディーノがマイクを持つ。

「上にはすげえ奴がいっぱいいるよ。でもな、そいつらにいつかこのやり方で、喉元に牙突っ立ててやる」

涙が止まらなかった。上にはすげえ奴がいっぱいいる。だけどわたしはわたしのやり方で、いつかきっと……。

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大会終了後、真っ先に向かったのは「フェロモンハウス」。青いビニールシートに包まれた怪しげな小屋の中で、フェロモンズの3人が催しをしている。入場料は2000円。中から悲鳴が聞こえてくるのがやや気になるが、フェロモンズに会いたい一心で長蛇の列に並んだ。

中で起こった出来事に関しては、“外に出た瞬間に忘れる魔法”にかけられたため、覚えていない。うっすらと残っているのは、遠い宇宙にあるはずのハレー彗星を、なぜか一番近い場所で目視できたような、そんな記憶だ。

あの日から今日に至るまで、寝ても覚めてもフェロモンズのことが頭から離れない。あの日見たハレー彗星が夢にまで出てくるため、大袈裟ではなく「寝ても覚めても」だ。

趣味を仕事にすると、心からその趣味を楽しめなくなるという。わたしもいつしか、プロレスを心から楽しめなくなっていた。試合を観ても「どうやって記事に落とし込むか」ばかり考えてしまっていた。しかしいまのわたしはプロレスが好きで好きでしかたなく、その上、仕事でもプロレスの記事を書ける環境にある。そうなったら、無敵だ。

最近のわたしは「恋がしたい」と、そればかり考えていた。いま、わたしは恋をしている。下品で破廉恥な極上のエンターテイメント集団「フェロモンズ」に。

文・イラスト=尾崎ムギ子