エッセイの記事一覧

1〜20件(全44件)
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姿を消しつつある、公衆電話の跡地をめぐる旅
一昔前、街を歩けば必ずと言っていいほど公衆電話が設置されていた。財布には必ずテレホンカードが入っていたし、出先で急に連絡を取らなければならない時に備えて、行動範囲のどこに公衆電話があるかは大体把握していたように思う。
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絶縁された母の元へ「出戻り」。みんな元気なら、それだけでいい【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
この連載が始まって一年、自分や家族のことをこれでもかと赤裸々に書いてきた。母には連載していること自体をひた隠しにしてきたが、先月ついに見つかってしまい、絶縁されて家を出ることになった。引っ越そうにも金がなく、区役所で紹介された施設に入った。惨めだった。
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萌えすぎて後悔。突如として現れるホッパーと鉄道公園! JR吾妻線の前身、旧長野原線をめぐる<後編>
2回にわたって群馬県長野原線の遺構をじっくりと探索してきました。締めくくりは、みんな大好きなホッパーの遺構です。
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酒場ライター・パリッコの理想的な一日。石神井で過ごす日々は、まるで終わらない夏休み
石神井公園の街に住み、2024年でもう16年目になる酒場ライター、パリッコ。年月を経るごとに強まる地元愛と共に、石神井で過ごす理想的な一日をご紹介!
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猛暑の日々、氷やアイスのデザインを見て涼しい気持ちに浸りたい
8月上旬を過ぎてもなお、毎日のように猛暑日が続いている。この暑さでは、気軽に散歩もできやしない。手っ取り早く涼を取ろうと、毎日かき氷ばかり食べていたところ、冷たいものを食べると覿面(てきめん)におなかを壊す体になってしまった。もはや自分は、かき氷の名店を巡るレポすら書けない人間である。
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「だけど、優しい人だった」。沖縄のゲストハウスで出会った、もう顔も思い出せない彼のこと
新橋の広告会社を早期退職した直後の7月、私は沖縄の那覇にいた。友人の結婚式に参列するために沖縄に来て、そのついでに1人で何日か旅行しようと思ったのだ。
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向かい合う双方のトンネル。真っ暗な第二愛宕トンネルを行く。JR吾妻線の前身、旧長野原線をめぐる<中編>
群馬県の旧長野原線をめぐる旅、前編では第一愛宕トンネルに入ったところで終わりました。気になるその先へと足を進めましょう。第一愛宕トンネルの壁面は、吹き付けたコンクリートに、ツーっと涙跡のような白い線が数本垂れています。何も知らなければ眉をひそめる姿ですが、廃なるものに慣れてくれば「あー、コンクリートの白華現象か」と、いたって冷静になれます。白華現象を簡単に言うと、コンクリートの石灰石成分が水分などによって表へ染み出したもの。鍾乳石みたいなもので、ひび割れた部分などによく現れます。石灰石の涙と言ってもいいのかな。白い線が多すぎるとひび割れも多くなり、耐久性は大丈夫かと別な怖さを感じてしまいますが、とりあえずこのトンネルは大丈夫そう。
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口説いてません。これはジローラモキャラです【吉田靖直/トリプルファイヤー】
お笑い芸人「ニッポンの社長」の辻さんに誘われ、ふたりでトークライブをした。芸人でもなく弁も立たない私が吉本の舞台でトークさせていただくとはなかなか得難い機会である。テーマは特に決めていなかったが、以前私と辻さんが飲んだ時の話に自然となった。
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『かるびのとりこ』で夏の思い出作り。北関東のスンドゥブは血の色よりも赤かった【絶頂チェーン店】
あたいのなつやすみ。妻と子供が2週間の海外旅行に出かけて行った。カリブ海。ビーチだとか。筆者は置いていかれたわけではない。なぜなら最初から誘ってくれなかったから、ハブとか家庭内イジメとか、家庭不和にはあたらない。きっと「父さまはお忙しいのだから」と、慮(おもんぱか)ってくれたのだろう。
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蒸し暑い真夏のひととき、霧も出る漆黒のトンネルへ。JR吾妻線の前身、旧長野原線をめぐる<前編>
関東は梅雨明けしました。途端に35度以上の酷暑日が続き、どこか涼を求めて彷徨(さまよ)いたい。こんな暑さには廃トンネルです。廃トンネルは崩落の危険があったり閉塞していたりと、閉鎖されているところが多いです。そういうところではなく、生活道路としては現役だけれども、鉄道としては遺構となった廃線跡を訪れました。JR吾妻線の前身、旧長野原線の廃線跡です。生活道路へ転用された廃線にトンネルがあるのです。前編は廃線跡をめぐりながらトンネルへ、中編はトンネルとその先、後編は終点へとめぐります。
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「死なないこと」。家出したわたしのいまの課題は、たったひとつだけ【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
ある日、バイトから帰宅すると母が顔を真っ赤にして玄関に立っていた。A4の紙を持ち、わなわなと身を震わせている。「これ、どういうつもり?」——。一瞬、なんのことかわからなかったが、母に紙を差し出されてすべてを把握した。この連載の前回の原稿だ。プリントアウトしたものを机の上に置きっぱなしにしていたのだ。頭が真っ白になった。
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日本いかにも土産物考~村上宗隆・岡本和真選手も身に着けていた、あの記念メダル編~
どこの家庭の引き出しにも、1枚や2枚は転がっていそうな土産(みやげ)。それが記念メダルではないだろうか。昭和の時代、観光地には必ずと言っていいほど記念メダルの販売機があった。金色に光るそのメダルは、まるで物語に出てくる金貨のように映り、自分の名前や日付などをガヒョンガヒョンと刻印できる機械とともに、子供たちの心を捉えたものである。
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薬局のオレンジ象、サトちゃんの造形とファッションを観察する
街の薬局の店頭には、さまざまなキャラクターがいる。以前このコラムでも取り上げたパンダのニーハオシンシン、カエルのケロちゃん、赤いウサギのピョンちゃん……。その中でも最も有名なのが、佐藤製薬のキャラクターであるオレンジの象「サトちゃん」ではないだろうか。
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戦国武将のたしなみ!戦術眼を養う囲碁将棋について語る!
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。突然じゃが皆々は将棋や囲碁に触れたことはあるかのう。日ノ本の古き戦術遊戯で、現世では「ぼーどげーむ」なるものが流行っておると聞くが、その元祖とも言える存在じゃな。日ノ本の民になじみの深い遊戯じゃが、今再び人気が増してきておる。一番の理由は言うまでもなく、若き天才棋士・藤井聡太殿の活躍じゃな!史上最年少の記録を数多く持ち、令和六年七月の頭には史上六人目の永世棋聖の称号を最年少で獲得するなど、将棋の長い歴史の中でも特別なる才を見せつけ続けておる。藤井殿は尾張の出身なこともあって、タイトル戦が名古屋で行われる折には大きな盛り上がりを見せておるのじゃ。対局の中で藤井殿が食べる名古屋名物の甘味も注目を浴び、同じものを買い求める者で行列ができたりと一つの名物となっておるわな。囲碁も今大きく盛り上がっておって、こちらも若き天才・一力遼殿の躍進もあって注目を集めておる。一力殿は四年に一度の国際戦である「応氏杯世界選手権」にて決勝へと進み、これに勝利すれば日ノ本初の快挙となる!対局は来月となるそうだで、皆も応援いたそうではないか。囲碁や将棋を知らぬ者たちにはこれを機に興味を持って欲しいところであるが、そんな此度は我ら戦国武将のたしなみでもあった囲碁や将棋の歴史について紹介して参ろうではないか!それでは、いざ参らん!!
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静岡『エコパアリーナ』へ急ぐ道中で生まれた、世代を越えた一体感。いくつになっても一生ものの思い出はできる
この歳になってもなお、一生ものの思い出は増える。2024年6月16日、静岡の『エコパアリーナ』へAぇ! groupのライブを観に行った。一緒に行ったのは、さとうさんという東京在住の同世代の女性だ。3月のAぇ!のイベントに私が当選した際、SNSで同行者を募集したところ、DMをくれたのがさとうさんだった。そのイベントで初めて会ったのだが、とても面白い方で意気投合し、4月には恵比寿で昼飲みをした。この歳になっても新しい友達ができるんだなぁ、とうれしく思う。
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数カ月経ってもモヤモヤしている、砂時計の思い出【吉田靖直/トリプルファイヤー】
他人に臆せず声をかけられるようになることが大人の必須条件だと思っている。どんなに格好いい人でも他人に道をたずねるのを恥ずかしがってモジモジしていたら一気にダサく見えるだろう。私は30代半ばを過ぎてもなお他人に話しかけることに結構な抵抗感がある。
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工場勤めと元カレ。不安定でも曖昧でも、しがみついていたい幸せ【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
早めの5月病だろうか。4月半ばから一切のやる気がなくなった。とくに仕事に情熱が持てない。情熱だけで記事を書いているわたしは、困り果ててしまった。
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『河太郎』でイカの活き造り定食を味わう至福。食べたら忘れられない、呼子は私(イカ)の聖地そのもの【絶頂チェーン店】
(コロナ禍2回目の)緊急事態宣言が出た当時、毎日家でじっとしていた。東京に縛り付けられて3カ月弱。苦しかった。取材に出たい。地方に行っておいしい地のものが食べたい。そんなことを思いながら、ぼーっとテレビを見ている。今日も行政改革大臣の会見を見るたびに、思い出すのはイカだった。ワクチンがどうたらと言うたびに。珍奇なマスクが映し出されるたびに、脳裏をよぎる、限りなく透明に近いイカー。
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現代なら大人気だったかもしれない? 山名豊国に毛利隆元、「武士らしくない」戦国武将について語る
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。これよりは前田利家の戦国がたりの刻である! 皆は大河ドラマ『光る君へ』は見ておるかな。高慢な人物に描かれがちな藤原道長様を、優しく人情味のある好青年のような、新たな視点で描いておるわな。確かに道長様にまつわる逸話には高慢さを示すものもあるが、感受性が豊かで優しく、それでいて大胆さが垣間見えるものも残っておって、故に道長様は公家の頂点に立つ存在ながら「武家のような性格」と評されることもあった。一般的な公家の印象とは一線を画した存在であったことは確かじゃろうな。 此度の戦国語りでは、公家の生まれでありながら武士が如き豪胆さを持っておった道長様と対照的に、「武士らしくない戦国武将」について紹介して参ろう!我らの時代、武士といえば豪快で勇猛なことが美徳とされ、戦国時代には多くの勢力が興り戦を繰り広げた時代であるが故に、荒々しい者たちが多かった。じゃが! そんな武士の中にも自信がなく謙虚で、争いを好まない者達もおったのじゃ。
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漫画●ゆるりのお散歩びより● 第20話「お灸、やったことある?」
歩き疲れて足がだるい……!そんな時はこれ、お灸を試してみよう!漫画=ヤゼ

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