史跡の記事一覧

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【週末民話研究】雨乞いが行われた怪無池と、青龍神社に伝わる不思議な話[京成高砂]
天気は未だ人間がコントロールできるものではありません。人工降雨などもいくつかの条件下でのみ可能なもので、完璧な気象制御は現代ではまだ神の領域であるとされています。現代ですら及ばないその問題に、はるか昔の人々はどのようなことで対応していたのでしょうか。葛飾区にはかつて雨乞いの神事が行われたとされる池があるそうで、そこにはいくつかの不思議な話も伝わっています。雨乞いというミステリアスな言葉に惹かれて、今回はその池を訪れてみました。
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利家が死んだ後の前田家はどうなったのか? 我が嫡男・利長と、自慢の妻・まつが生き抜いた大戦(おおいくさ)について語ろう。
皆の衆、息災であるか。前田又左衛門利家の戦国がたり、開幕である!大河ドラマ『どうする家康』では関ヶ原が終わり、最後の火種が燻る様子が描かれておるわな。いよいよ徳川殿の世へと日ノ本が変わって行く中、儂(わし)が死んだ後の前田家はどうなっていったのか。これについて此度は話して参りたい。関ヶ原古戦場を紹介致した前回と、五大老として徳川殿と命尽きるまで対峙した儂について記した前々回の戦国がたりを先に読むと良いであろう。それでは、いざ参らん!!
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やばい!でかすぎ!想像の上いく「巨大仏」ベスト5。エキスパート編 
高速道路を走っていたり電車に乗っている時、遠くの方に巨大な仏像を見たことはありませんか?牛久大仏などでも有名な、こうした仏像は「巨大仏」とも呼ばれています。仏像というと、しきたりや歴史などを学ばないと触れられないようなイメージもありますが(本当はそんなことありません)、景色に溶け込んだ巨大仏は「大きい!」「すごい!」という、単純な感情に訴えかけてくるため、仏像や仏教に興味がなくても楽しむことができます。前回は【スタンダート編】として全国の有名な巨大仏をご紹介しました!第2弾の今回は【エキスパート編】と銘打って、さらに巨大仏の深みへご案内いたしましょう!
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【利家、関ケ原へ行く】いよいよ天下分け目の決戦。より深く理解するための記念館と陣跡探訪記
皆々、息災であるか!前田又左衛門利家である。此度の戦国がたりは久方ぶりの史跡探訪である!!此度訪れたは今、大いに盛り上がっておる関ヶ原古戦場じゃ!大河ドラマ『どうする家康』にてこの地で起こった大戦が描かれている。世界三大古戦場にも数えられ、世界に轟くこの地は訪れたものを楽しませるよう様々に整備がなされておる。早速紹介致そうではないか!
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猫飛(にゃんぴー)伝説を知ってますか?中村橋で生まれたての「民話の赤ちゃん」に出合う。【週末民話研究】
西武池袋線・中村橋駅の近くには、なんとも言えない愛嬌のある顔をした猫の銅像があります。小判を抱えて手を招いているこの猫は「にゃんぴー」と呼ばれ、中村橋商店街をはじめとしたこの地域の人々に親しまれているとか。今回ご紹介するのは、中村橋駅付近に伝わるこのにゃんぴーという猫についてのお話です。
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【週末民話研究】全国に38個の力石。187kgを持ち上げる日本一の怪力・三ノ宮卯之助
「力石」とは、江戸時代に力くらべに使われた石のことを指します。力石を用いた力くらべは神社の祭礼の資金集めや寺社の建造・修復費用を集めるための興行として、庶民にも親しまれていたようです。今回は、そんな力石にまつわる、ある一人の男性のお話をご紹介します。
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徳川と前田の仲は本当に良好だったのか?朝鮮出兵中にあわや一触即発の危機、幻の戦「水騒動」
皆々、息災であるか前田又左衛門利家である。戦国時代の終わり頃に肥前国、即ち現世の佐賀県に人口二十万人を超える大都市が誕生する。その名も肥前名護屋城、異国への備として日ノ本全土から主要な戦国武将、百六十の家が集められたのじゃ。勿論秀吉も肥前名護屋で指揮を取ることとなったのじゃが、それを支えたのが徳川家康殿と儂(わし)、前田利家であったのじゃ! 先ずは豊臣政権における家臣団の筆頭であった儂と徳川殿の関係について見ていこうではないか!
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なぜ利家は謹慎を命じられたのか? 秀吉による天下統一と小田原北条攻め。その裏で起きていた八王子城殲滅戦
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。これよりは儂(わし)の戦国がたりの刻である!大河ドラマ『どうする家康』では北条が滅びて秀吉による天下統一が果たされた。家康殿も東国へ領土を移し、物語は終盤へと向かっておる。じゃが!儂、前田利家もこの頃は豊臣政権の重臣として戦に政にと励んでおったのじゃが、大河になかなか出て参らぬ……。じゃがこれは徳川殿の物語ゆえに致し方あるまい!そこで此度は北条征伐の詳しい話と、この頃の儂は何をしておったのか、について話して参るぞ!
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【東京発日帰り山さんぽ】足柄峠から矢倉岳~関東と西国を結んだ古代の道・足柄道を行く。
西国と関東を結んだ、古代足柄道が通る要衝の地に足柄峠がある。標高は750mほど。旧東海道などよりはるか昔に整備された道で、足柄路などと呼ばれた。歴史は古く、800年頃の富士山の延暦大噴火によって駿河の道が通れなくなったときに、このルートが使われた。『散歩の達人 日帰り低山さんぽ』より、旅先で気軽に楽しめる散歩コースを紹介。歩行時間や歩行距離も明記しておりますので、週末のお出かけにご活用ください。<神奈川県 南足柄市・静岡県 小山町>
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韮崎のEF15。貨車を従えたデッキ付き電気機関車との出合い【廃なるものを求めて】
無骨なスタイルのデッキ付き電気機関車が好きなんです。今回の「廃なるもの」は、ちょっとイレギュラーかもしれません。いや、最近イレギュラーな内容ばかりで、純粋な「廃」巡りをしていない気もしますが……。いまからうん10年も前のこと。まだ幼稚園の頃ですが、渋谷並木橋の上から茶色い電気機関車が黒い貨車を牽いて眼下を通り過ぎたのを、うっすらと記憶しています。たしか先頭には厳つい手摺りのついたデッキがあったような……。その機関車はEF15形電気機関車ではなかろうかと思っています。EF15は戦後間もない1947年に誕生した貨物用直流電気機関車で、車体色は「ぶどう色2号」と称す焦茶色を纏っていました。総数202両製造され、山岳地帯用に改造されたものもあり、貨物用機関車ゆえに少々地味な存在でした。

史跡のスポット一覧

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松崎神社
宝亀3年(772)創建と伝わる古社の松崎神社。拝殿前には弘法大師(空海)が参拝した際に残した杖に由来するとされる、逆さ公孫樹(いちょう・町指定天然記念物)が残る。境内裏手には6世紀中葉~後葉のものと推定される全長70mの北条塚古墳(県指定史跡)があり、あわせて訪れたい。
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大塚古墳
地元では親しみを込めて「五界塚(ごかいづか)」とも呼ばれる御門(みかど)古墳群の一つ。本来は5基の古墳があったとされるが現存するのは4基で、そのうちの主墳と推定。円墳が大半を占める野木地域では珍しい方墳(四角形の古墳)で、1辺の長さは約23m、高さは約3.5mある。
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牛久市住井すゑ文学館
牛久沼を見下ろす高台に立つ、作家・住井すゑの資料館。住井すゑは被差別部落を題材とした長編小説『橋のない川』などを通して、自由と平和を訴えた作家。かつての書斎や住居を改修し、原稿やゆかりの品を紹介する展示棟として公開している。開館時間内なら駐車場やトイレを利用できるので、周辺散策の際にも役立つ。
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小川芋銭記念館 雲魚亭(おがわうせんきねんかん うんぎょてい)
小川芋銭が最晩年を過ごしたアトリエ兼住居跡を一般公開している記念館。小川芋銭はかっぱの絵を数多く描き、明治期から昭和初期にかけて活動した日本画家で、建物は昭和12年(1937)築。土・日・祝のみ公開の室内には、作品の複製ほか、制作道具や愛用品・資料などを展示している。平日はガラス戸越しに館内の様子を見られる。
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牛久大仏
世界一を誇る、高さ120mの青銅製立像の阿弥陀仏。浄土真宗東本願寺派本山東本願寺が建立した。胎内は5層に分かれ、地上85mの胸部展望台からは東京スカイツリーなどを見通せる。手入れの行き届いた庭園も見事だ。別途200円で写経体験もできる。
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牛久シャトー
電気ブランの生みの親で実業家の神谷傳兵衛が明治36年(1903)に建設した、国内初の本格的ワイン醸造場。現在は旧醗酵室を記念館、貯蔵庫をレストランとして活用しており、レンガ造りの建築は共に国の重要文化財に指定されている。敷地で収穫したブドウを用いた数量限定ワインも醸造・販売。
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旧宇田川家住宅(きゅううだがわけじゅうたく)
明治2年(1869)建築。年代で扱う商品は変わったが、代々商家として使われてきた。揚げ戸や出格子窓など町家建築の特徴が見られ、館内では呉服商の頃の様子をジオラマで再現している。
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長照山 陽運寺(ちょうしょうざん よううんじ)
昭和初期に蓮牙院日建上人により建立された日蓮宗の寺院。通称「於岩稲荷」(おいわいなり)とも呼ばれる、「東海道四谷怪談」所縁のお岩様を祀る。2017年に改修され、「温泉旅館のようなお寺」をコンセプトに明るい境内に生まれ変わった。縁結びや祈祷を求める参拝者が絶えない。毎月1、2回開催する合同祈願「祈りの日」のほか、法話や瞑想を通して自分自身と向き合う「お岩さま開運祈願祭」(1・8月を除く毎月1日)を設けている。
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吉見百穴(よしみひゃくあな)
古墳時代後期~終末期(6世紀末~7世紀末)の、台地の斜面を掘削して造られたとされる横穴墓。大正12年(1923)に国の史跡に指定された。現在は219基の遺構が残り、間近に見学できる。斜面上部からは富士山の眺めもよい。
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瀧澤家住宅
明治~大正期に活躍した実業家・瀧澤喜平治の邸宅跡。長屋門を抜けると、左手に洋風望楼(ぼうろう)を戴(いただ)いた蔵座敷、正面奥には客殿の鐵竹(てっちく)堂が保存公開されている。
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杵築城(きつきじょう)
杵築城は応永元年(1394)に、木付頼直が木付城として築城。木付氏が17代にわたり治めた後、前田氏、杉原氏、細川氏、小笠原氏と続き、正保2年(1645)に松平英親が城主となり、明治まで松平氏が治めた。正徳2年(1712)には、6代将軍徳川家宣からの朱印状に「木付」と書くところを「杵築」と書かれたことから、幕府に伺いを立て、木付藩から杵築藩となった歴史があるという。現在の城は1970年に築かれ、天守から望む海の景色は開放的だ。2020年、杵築城跡は国の史跡に指定された。
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飯高檀林跡(いいだかだんりんあと)
天正8年(1580)に開かれた日蓮宗最古の学問所(現在の大学に相当)跡。約300年間多くの僧侶を輩出し、最盛期には600人超が学んだとされる。総門・鼓楼・鐘楼・講堂の4棟が国重要文化財に指定されており、南駐車場の一角には観光案内所も併設。
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