史跡の記事一覧

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【週末民話研究】徳川吉宗も興味を示した、鐘ヶ淵の沈鐘伝説
【週末民話研究】徳川吉宗も興味を示した、鐘ヶ淵の沈鐘伝説
鐘ヶ淵(かねがふち)は、東京都墨田区北部の旧地名です。荒川区と墨田区の境界線である隅田川が大きく西から南に曲がる淀みの部分には、鐘ヶ淵の「沈鐘伝説」があり、一帯の旧地名と東武伊勢崎線・鐘ヶ淵駅の名前の由来となったとされています。この伝説に登場する鐘の正体には複数の説がありますが、代表的なものは3つ。①元和6年(1620年)に普門院という寺が移転する際、船で荷物を運搬している最中に落とした半鐘②長昌寺という寺の釣鐘が、享保5年(1720年)の洪水によって流されたもの③戦国時代に千葉氏が北条氏に敗れた際、千葉氏にゆかりのある瑞応寺の鐘が戦利品として北条氏に奪われた。しかしこれを船で運んでいたところ...
源頼朝の急死により武家政権に亀裂が。御家人同士の熾烈な権力闘争始まる
源頼朝の急死により武家政権に亀裂が。御家人同士の熾烈な権力闘争始まる
建久10年(1199)1月、初の武家政権樹立の立役者にしてカリスマ的な存在であった源頼朝が急死する。直後に嫡男の頼家が二代目の鎌倉殿に就任するも、若年で経験不足、何よりカリスマ性は頼朝に遠く及ばなかったことから、ほどなく実権を制限されてしまった。その後、鎌倉では血生臭い事件が立て続けに勃発したのである。
90年の時を超えた古民家群の新名所『SHINAGAWA1930』におじゃまします!
90年の時を超えた古民家群の新名所『SHINAGAWA1930』におじゃまします!
品川駅のほど近くに奇跡的に残った古民家群が、“コミュニティー拠点”として2021年オープン。いったいどんな場所になったのか、訪ねてみた!
【週末民話研究】巣鴨のとげぬき地蔵(延命地蔵)の不思議な力
【週末民話研究】巣鴨のとげぬき地蔵(延命地蔵)の不思議な力
巣鴨駅からほど近くにある曹洞宗萬頂山高岩寺(そうとうしゅうばんちょうざんこうがんじ)は、「とげぬき地蔵尊」の名で親しまれています。今回のお話の主役は、高岩寺の本尊「延命地蔵(とげぬき地蔵)」。どうしてとげぬき地蔵と呼ばれるようになったのか、どういったご利益があるのかを探っていきましょう。
品川・大井町・大崎エリアのエレガントな名坂たち。つなぐのは高低差だけじゃなく、歴史も。
品川・大井町・大崎エリアのエレガントな名坂たち。つなぐのは高低差だけじゃなく、歴史も。
武蔵野台地の東端に位置し、埋め立てられる前は切り立つ海食崖もあったこの品川・大井町・大崎エリア。土地の高低差を繋ぐ無数の坂の中には、興味をひく個性的な名前も。名の由来や地形をたどれば、土地の重ねた歴史の階層が見えてくる。
品川宿で、タイムスリップ! 摩訶不思議。江戸町娘の未来草子(ぞうし)
品川宿で、タイムスリップ! 摩訶不思議。江戸町娘の未来草子(ぞうし)
日本橋小間物商の娘おさきが品川宿までお使いに出ると、八ツ山で急に濃霧が立ち込め、一寸先すら見えぬように。耳に届くは半鐘に似た音。やがて霧が消え去ると……。現代に瞬間移動したおさきは、江戸時代に戻れるだろうか?
軍艦島上陸ツアー、島の外観からいよいよ上陸へ【軍艦島観察記その2】
軍艦島上陸ツアー、島の外観からいよいよ上陸へ【軍艦島観察記その2】
軍艦島観察記その2です。今回は海から眺める島の外観と、上陸地点のお話です。さっそくスタートしましょう。端島(はしま)は1810年頃から佐賀藩による採炭が行われ、1890年(明治23)から三菱合資会社(当時)による本格的な操業が始まり、端島炭鉱となります。島に坑口があって、竪坑(たてこう)で地下を垂直に降下したあと、約1km南西の三ツ瀬という岩礁まで、海底約1000mも坑道が掘り進まれていました。海底の地下は地熱が酷く、気温は30℃、湿度は90%以上。岩盤浴のような蒸し暑い状況下で採掘する過酷な環境でした。その代わり鉱員の給与は破格の高さで、戦後は一般公務員の手取り月収の10倍もあったとのことで...
上陸ツアーで巡る軍艦島。外海から島の外観を愛でる【軍艦島観察記その1】
上陸ツアーで巡る軍艦島。外海から島の外観を愛でる【軍艦島観察記その1】
軍艦島。過去には上陸チャンスがあったけれども行くことはなく“憧れの場所”に行きたい行きたいと、ずっと想いを馳せていた島。この度、やっとのことで軍艦島へ上陸しました。廃墟好きではなくとも、その名を聞いたことがある人は多いことでしょう。インパクトある名は通称で、島名は端島(はしま)といいます。南北480m、東西160m、周囲1200mという小さな島は、良質な石炭が採掘される海底炭鉱がありました。
【週末民話研究】江ノ島の弁財天に恋をした、五つの頭を持つ龍の話
【週末民話研究】江ノ島の弁財天に恋をした、五つの頭を持つ龍の話
江ノ島にある「江島神社」では、安芸の宮島、近江の竹生島と並ぶ「日本三大弁天」として弁財天を祀っています。この弁財天は「弁天様」と呼ばれ信仰される女神で、水神・海神としてだけではなく、芸能・音楽・知恵・福の神としても信仰されています。今回のお話の舞台はこの江ノ島と、鎌倉・腰越。主人公は五つの頭を持つ「五頭龍(ごずりゅう)」です。
文武に優れた、異色の御家人・梶原景時の足跡と最期を追う
文武に優れた、異色の御家人・梶原景時の足跡と最期を追う
NHKのホームページにある『鎌倉殿の13人』の登場人物欄を見ると、中村獅童氏演じる梶原景時には“謎の武将”という肩書きが書かれている。というのも、その登場の仕方からしてミステリアスだからであろう。梶原氏は平安時代中期に坂東に下向し、武家となった桓武平氏の流れをくむ鎌倉氏の一族であり、石橋山の合戦で源頼朝の軍を討ち破った大庭景親とは同族なのだ。当然、この合戦で梶原景時は大庭軍に属していた。ところが敗走した頼朝一行の探索に加わっていた景時は、しとどの窟に身を潜めていた頼朝一行を見逃したのである。それまでは歴史の表舞台に出ていない景時が、一躍時の人となった出来事だ。その後、頼朝からの厚い信頼を得て、...

史跡のスポット一覧

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泉岳寺(せんがくじ)
泉岳寺(せんがくじ)
慶長17年(1612)に徳川家康が外桜田に創立したが、寛永18年(1641)に焼失し、現在地に移転。『忠臣蔵』で有名な浅...
SHINAGAWA1930
SHINAGAWA1930
第二次世界大戦の際、奇跡的に残った1930年ごろ建築の古民家群のうち5棟が、2021年に"コミュニティー拠点"としてオー...
八芳園(はっぽうえん)
八芳園(はっぽうえん)
徳川家康の側近・大久保彦左衛門の屋敷跡を、大正初期に実業家・久原房之助が現在の建物と庭園に整備。樹齢数百年の樹木に囲まれ...
世田谷代官屋敷(せたがやだいかんやしき)
世田谷代官屋敷(せたがやだいかんやしき)
江戸時代中期以来、世田谷領20カ村の代官を務めた大場家の住居。元文2年(1737)建築。大名領の代官屋敷としては都内唯一...
新田義貞公之像(にったよしさだこうのぞう)
新田義貞公之像(にったよしさだこうのぞう)
分倍河原駅の駅前ロータリーに立つ。鎌倉幕府の討幕を目指して兵を挙げた新田義貞の勇姿を表し、顔は鎌倉方向である南を向いてい...
府中高札場跡(ふちゅうこうさつばあと)
府中高札場跡(ふちゅうこうさつばあと)
旧甲州街道と府中街道が交差する、かつての府中宿中心に残る。現在は交通事情から、昔とは位置が変わっているが、当時の姿をとど...
マーチエキュート神田万世橋(マーチエキュートかんだまんせいばし)
マーチエキュート神田万世橋(マーチエキュートかんだまんせいばし)
日本の「今から」の価値を発信し、街のムードやにぎわいを創出する“周辺エリア活性型商業施設”。
旧新橋停車場(きゅうしんばしていしゃじょう)
旧新橋停車場(きゅうしんばしていしゃじょう)
発掘された基礎を基にして正確に再現されている。左右対称の二階建て、中心部は平屋建てで、木造建築に石を張り付ける「木骨石張...
清澄庭園(きよすみていえん)
清澄庭園(きよすみていえん)
豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と伝わる。明治11年(1878)に三菱財閥の創業者・岩崎彌太郎が買収し、回遊式林泉庭園とし...
明治丸(めいじまる)
明治丸(めいじまる)
明治7年(1874)にイギリスで建造。国内現存唯一の鉄製機帆船として国の重要文化財に指定される。明治丸記念館や百周年記念...
佃公園(つくだこうえん)
佃公園(つくだこうえん)
佃大橋と中央大橋の間にある公園。墨田川沿いでは、釣りや散歩などを楽しむ人も多い。石川島燈台跡は、慶応2年(1866)に隅...
弘法寺(ぐほうじ)
弘法寺(ぐほうじ)
行基菩薩が手児奈の霊を慰めるために建立した求法寺が始まり。弘仁13年(822)に弘法大師が七堂伽藍を整備した際に弘法寺と...
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