史跡の記事一覧

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【多摩散歩コース】昭島市~かつての宿場町、門前町から、アウトドアの聖地へ~
江戸時代、日光東照宮が建設され、甲州街道や日光街道の整備、治安維持を任とした八王子千人同心が日光を往還するようになると、拝島を中心に宿場として栄えた。拝島大師 本覚寺をはじめ、普明寺や日吉神社など、古寺社が多いのもこうした歴史が関係している。飛行機工場の広大な跡地を利用して誕生したモリパーク アウトドアヴィレッジは、アウトドアに特化した遊・買・食を一体化した体験型複合施設。アウトドア好きならたっぷり一日遊べる。1961年、多摩川でクジラの化石やサメの歯、魚貝の化石などが発見され、200万年前は海だったという。昭島市郷土資料室を訪ね、古代の歴史ロマンに触れてみるのもおもしろい。
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【約240kmの実踏記録】岡山・備中高松城から京都・山崎まで、前田利家の令和版・中国大返しをご覧あれ!
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。豊臣秀吉には逸話が数多くある。信長様の草履を温めた草履とりや、敵の目の前に一夜で城を築き上げた「墨俣一夜城」、三木城を攻める前に城下の米を高値で買い付け、兵糧戦を大幅に短縮した「三木の干殺し」などなど、誠かどうかもわからぬような神がかりの話が残っておるわな。そして、秀吉の逸話の最たるもので、天下を掴む決定打ともなったのが「中国大返し」である。備中高松城を攻めておる最中に本能寺の変の報を聞いた秀吉が、備中から京都・山崎の地まで恐ろしい速度で引き返し、光秀殿の虚をついて信長様の仇討ちを果たした、これが中国大返しである。距離にして230kmを大軍で駆け抜けた神懸かりの進軍であったのじゃが、要した日数も5〜10日と軍記物によってまちまちで、近年ではそもそも山崎の戦いに間に合っておらんかったのではないかとも言われておる。名が知られておるわりに、実像が定かではない中国大返し。中国大返しがいかなるものか確かめるべく儂、前田利家、実際に中国大返しをして参ったぞ!!秀吉が歩いたとされる道を通り山崎まで参ったでな、道中の様子を皆に伝えて参ろうではないか!改め、超散歩の達人・令和の中国大返しへいざ出陣!!
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【多摩散歩コース】西東京市~縄文時代・宇宙、歴史・自然と変化に富む散歩道~
最初に訪ねる「したのや縄文の里」は、今から5000~4500年前の縄文時代中期の遺跡。広い園地に竪穴住居や土器だまり、土坑墓(どこうぼ)群などが復元されているが、周辺は普通の住宅地。この組み合わせがなんとも不思議。「東伏見稲荷神社」には、京都・「伏見稲荷大社」の千本鳥居のように赤い鳥居が並ぶ参道があり、写真映えスポットとして人気。「總持寺」や「田無神社」など田無を代表する寺社を参詣したら、『武蔵野茶房 田無本店』でひと休み。『多摩六都科学館』は子供たちの利用が多い。「田無タワー」の異名をもつ「スカイタワー西東京」を横目に見て、新青梅街道を渡れば、「西原自然公園」や「東京大学大学院田無演習林」、「西東京いこいの森公園」など西東京市を代表する自然散策スポットが続く。
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『旅の手帖』9月号、大特集「絶景の鉄道旅」は8月10日発売!
鉄道路線が張りめぐらされた島国・日本。山あり、谷あり、海あり。こんなにコンパクトでバラエティーに富んだ景色が車窓を流れるのは、日本ならでは。鉄道カメラマンや鉄道ラブな著名人と編集部で、いま乗っておきたい絶景路線ランキングや、新たに日本三大車窓を決定。そのほか全国さまざまなイチオシ路線を、沿線おすすめスポットとともに紹介。“乗り鉄”として楽しめる、車窓主義の鉄道路線をたっぷり案内します!
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水辺の風景に心和む茨城県茨城町。埋もれた魅力に触れて小旅行気分【徒然リトルジャーニー】
茨城県のほぼ中央に位置する茨城町。県庁所在地の水戸市に接しているものの、喧騒(けんそう)は希薄で、どこかしらのどかな雰囲気が漂っている。まずは町域の東側を占めるラムサール条約登録湿地の涸沼(ひぬま)周辺を探索してから、町内各所を訪ね回るとしよう。
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【多摩散歩コース】清瀬市~ケヤキ並木、柳瀬川、空堀川と歩く水辺の散歩道~
清瀬駅北口から北に向かって延びる道がけやき通り。道の両側にケヤキが生い茂り、道沿いには国内外の彫刻家の作品が24基展示されている。『清瀬市郷土博物館』や「清瀬市役所」などが立つ清瀬のメインストリートだが、農業が盛んなこともあって道沿いに畑が残る。市内最古の寺である「圓通寺」は、よく手入れされた庭が美しい。『旧森田家主屋(おもや)』まで来たら柳瀬川回廊と呼ばれる水辺の道を歩く。「清瀬金山緑地公園」は武蔵野の雑木林を再現した緑地が広がり、水鳥が遊ぶ池もある。清瀬橋から空堀(からぼり)川沿いを歩いて「清瀬せせらぎ公園」へ。約500mの清流を復活させ、隣接する雑木林と一体となった水辺の散策路として人気がある。「圓福寺」の三重塔は、檀家の大工さんが建てたというから驚きだ。
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いま行っておきたい豊臣兄弟ゆかりの城! 13選。城郭カメラマンが注目ポイントを教えます
日本各地を縦横無尽に駆け回り、戦を勝ち抜き、天下へと上り詰めた秀吉と秀長。大河ドラマ『豊臣兄弟!』が放送中のいま、行っておきたい城とは。彼らにゆかりある城とその逸話を紹介し、城郭カメラマンの岡泰行さんに注目のポイントを教えてもらった。
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【東京散歩コース】日本橋・人形町~江戸時代から続く老舗を巡れば、街の歴史も見えてくる~
日本橋は、江戸時代に五街道の起点となったところで、江戸の商業・物流の拠点として栄えた。周辺に日本銀行本店や東証アローズなど金融機関が多いのは、ここが経済の中心地であったからだ。『日本橋三越本店』や『日本橋髙島屋S.C.』といった百貨店は江戸時代の創業。このほかにも中央通り沿いには、江戸・明治創業といった老舗が多い。海苔、かつお節、佃煮、練り製品といった海産物関連が多いのは、ここが魚河岸発祥の地だったからだ。人形町という名は、明暦の大火後、浄瑠璃や人形芝居の小屋が建てられ、人形師が多く住んだことに由来する。水天宮や甘酒横丁を巡った後は、老舗飲食店ののれんをくぐろう。
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『旅の手帖』8月号、大特集「涼しい王国 信州」は7月10日発売!
酷暑から逃れるなら信州へ。平均標高が1000m以上という長野県は、上高地や軽井沢だけでなく、古くから避暑地としての文化をもち、日本屈指の美しい山岳風景が連なる風土だ。おなじみの山々や高原の向こう側には、まだまだ知られていない眺望や秘湯、歴史がひそんでいる。 でも古いままではない、アップデートしていく温故知新な魅力を存分にお届け。
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【多摩散歩コース】調布市~名物は花と古刹と鬼太郎~
調布を代表する観光スポットといえば神代植物公園と深大寺。バラをはじめ、サクラ、ツツジなどの四季折々の花に加え、武蔵野の面影を残す雑木林や熱帯の植物が咲く大温室などもあり、花好きを魅了する。隣接する深大寺は、東京では浅草寺に次ぐ歴史があり、釈迦堂に安置される銅造釈迦如来像は東日本最古の国宝仏。参詣のあとは、参道の深大寺そばで決まりだ。調布は『ゲゲゲの鬼太郎』の作者・水木しげるが50年以上も暮らした街。「布多天神社」や「天神通り商店街」などでは、作品に登場する妖怪たちのオブジェを飾り、訪れる人を迎えてくれる。マンガに夢中になった頃を思い出して鬼太郎たちを探してみよう。
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日本初の鉄道は海の上にあった?開発で発見された鉄道遺構「高輪築堤」を探る
明治初期、蒸気機関車は陸を走ることから「陸蒸気(おかじょうき)」と呼ばれた。だが日本初の鉄道が走ったのは陸上だけではない。『TAKANAWA GATEWAY CITY』の開発に携わった、JR東日本マーケティング本部の武田幸彦さんにお話を伺った。
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【多摩散歩コース】府中市~大國魂(おおくにたま)神社が見守る緑豊かな街~
府中散歩は多磨霊園から始めよう。江戸川乱歩、岡本太郎、長谷川町子、三島由紀夫など著名人の墓が多いので、管理事務所を訪ねて園内マップを入手してから歩くとよい。浅間山(せんげんやま)公園、府中の森公園、馬場大門のケヤキ並木などを歩くと、緑が多い街であることを実感する。大國魂神社は府中市民の心のよりどころ。1000年以上の歴史がある「くらやみ祭」では22台の山車がお囃子(はやし)を競演しながら巡行し、クライマックスの神輿渡御では街じゅうが熱気に包まれる。新田義貞公之像や髙安寺、府中高札場跡などを訪ねれば戦国時代や甲州街道の歴史の一端を知ることができる。四季の花が楽しめる『府中市郷土の森博物館』では、移築した歴史的建造物が見応えあり。
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八ツ山橋から立会川まで、消えた海岸線をたどる。海はもっと近くにあったのだ
度重なる埋め立てによりすっかり遠のいてしまったが、かつて東海道のすぐ脇は海だった。今となっては想像もつかないその光景を感じてみたい。江戸時代末期の絵図を片手に、八ツ山橋から立会川まで、消えた海岸線をたどってみた。
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【東海道・中山道を歩く】草津宿~大津宿|人々を癒やす名物・もちもちの旅
歩く、歩く、ひたすら歩く。江戸時代の旅は体力勝負だから常にエネルギー補給が求められた。そう考えると、サッと食べられて体力が回復でき、腹もちもいい餅や団子はうってつけ。街道沿いの茶屋の名物になったことも納得できる。
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『風、薫る』主人公のモチーフの一人・大関和(おおぜきちか)のふるさと、黒羽ってどんなとこ?
連続テレビ小説『風、薫る』で、見上愛さん演じる一ノ瀬りんのモチーフになっている大関和は、旧黒羽町(現・大田原市)の出身。黒羽藩の家老・大関増虎(ますとら)の次女として生まれている。ふるさとの黒羽(くろばね)とは、どんなところだろう。黒羽藩の居城や藩主累代の墓所がある菩提寺を訪ね、当時から受け継がれる伝統工芸などにふれて、大関和が生きた時代に思いを馳せよう。
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子連れシングルマザーが、文明開花の東京で就活に奮闘【大関和の東京を歩く(1)】
連続テレビ小説『風、薫る』の主人公のモデルになっているのが、日本初のトレインド・ナース(看護の正規教育を受けた職業看護婦)の大関和(ちか)だ。彼女は黒羽藩家老・大関団右衛門の娘に生まれ、旧黒羽藩士の福島福之進と19歳のときに結婚して一男一女の母になっていたのだが……夫の福之進は40歳を越えた中年男、20歳以上の歳の差婚。価値観の違いから夫婦仲はしっくりいかず、また、夫に妾がいたことも和には気に入らない。やがて、夫婦の不仲は決定的なものになる。和は娘・心(しん)の出産を理由に実家に戻り、夫のもとには帰らず離婚を申し入れるのだが、この時に和が里帰りした“実家”の場所はどこだったか? それについては諸説がある。
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【多摩散歩コース】三鷹市~太宰治ゆかりの地を歩く聖地巡礼~
三鷹市には、『国立天文台三鷹キャンパス』や『三鷹の森ジブリ美術館』、野川公園などの見どころがあるが、今回は作家・太宰治の足跡に注目する。太宰は30歳となった昭和14年(1939)9月から愛人・山崎富栄と、心中した1948年6月までの約10年間を三鷹で暮らした。この間に発表した作品を見ると、『富嶽百景』『走れメロス』『斜陽』『人間失格』など代表作が勢揃いで、太宰文学を知るうえで重要な地であったことがわかる。市内にはゆかりの地が多数あり、これらの聖地巡礼をする太宰ファンの姿をよく見かける。今では説明板が立つだけのところも多く、入水した玉川上水もかつての流れを見ることはできないが、そこに立てば、この地で暮らした太宰の存在を感じることができるはず。
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軍港の歴史とともに歩んだ横須賀へ。子供が指差すエイの向こうには【「水と歩く」を歩く】
前回の取材で歩いた埼玉県狭山市・入間市は、16号沿いの基地の街だった。「郊外」的な風景が広がるロードサイドとして言及されることの多い国道16号は、首都圏の基地をつなぐ軍用道路としての歴史をもつ。ふだん東京23区東部で暮らしているとほとんど意識することがない基地の存在に戸惑いもしたが、同時にそうした風景が首都東京を囲むように存在することを、もっと知らなければと思った。今回は都内から京急線一本で行ける「軍港都市」横須賀を歩いてみることにした。そこには東京の湾岸とは全く異なる港の風景が広がっていた。
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『旅の手帖』6月号、大特集「金沢 能登」は5月9日発売!
加賀、越中、能登を治めた加賀藩。その大藩の城下町で日本海側の中心地だったのが金沢。北前船など流通に恵まれ、いまもその独自に発展してきた個性的な文化が風景、建築、食、庭園……あらゆるところに表れています。6月開催の「百万石まつり」も紹介。能登は巨大地震の復興の最中であるが「来てほしい、見てほしい」という現地の気持ちがあります。この2年の道のりと、いま体験すべき能登の旅へ。
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【大江戸散歩コース】亀戸・向島・堀切~江戸庶民を美しい花々で楽しませた行楽の地~
大河ドラマの影響か、注目を浴びている江戸時代。その江戸期の古地図(切絵図)を見ながらの東京散歩がとても面白いことをご存じだろうか? 今回は、安政3年(1856)の「隅田川向島絵図」を手に歩く亀戸・向島・堀切の散歩コースを紹介。タイムスリップを楽しむ特別な散歩体験を!

史跡のスポット一覧

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八高線列車衝突事故モニュメント
1945年8月24日に多摩川鉄橋で起きた列車同士の悲惨な事故を物語る。2001年に中州から発見された車輪が設置されている。
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日本銀行本店本館(にっぽんぎんこうほんてんほんかん)
明治29年(1896)竣工。ベルギー国立銀行やイングランド銀行などを参考に、辰野金吾が設計したといわれる。建物は国の重要文化財で、地下金庫などをガイド付きで見学できる。
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日本橋髙島屋 S.C.(にほんばしたかしまや ショッピングセンター)
昭和8年(1933)に建てられた本館は、百貨店建築初の国の重要文化財になった。重厚なルネッサンス風の様式に和の意匠を取り入れており、石膏彫刻やシャンデリア、エレベーターなども必見だ。
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したのや縄文の里
縄文時代中期の環状集落跡地で、都内では初となる土屋根の竪穴住居2棟のほか、土器だまり、墓域、縄文時代の植生などを復元。住居内は、原則毎週日曜に公開している。
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小幡北山埴輪製作遺跡(おばたきたやまはにわせいさくいせき)
茨城県茨城町にある遺跡。1987~88年に調査・発掘が行われ、全国一の多さを誇る59基もの埴輪窯跡が発見された。8つの工房跡、4カ所の粘土採掘坑跡も確認されており、出土した土器は6世紀中頃~ 7世紀前半の古墳時代のものと推定されている。一帯は広々とした公園として整備されている。
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中里の富士塚
江戸後期に、丸嘉講武州田無組中里講社によって築かれた富士塚。高さ約9mで、山頂には石製の祠(ほこら)と大日如来を刻んだ石碑がある。
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旧森田家主屋
武蔵野の文化を伝える古民家。森田家は16世紀後半より市内の野塩地域に定住し、幕末に名主を務めた旧家で、野塩にあった主屋を移築した。
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名護屋城
天下統一を達成した豊臣秀吉が大陸侵攻を実行するため、わずか6カ月ほどで建てた。150以上もの大名が集結した陣跡だ。
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三木城
城主・別所長治(ながはる)と羽柴(豊臣)秀吉が相対し、苛烈な“三木の干し殺し”の舞台となった城。本丸には井戸跡と伝天守台が残り、その上に長治辞世の句碑が立つ。
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岸和田城
紀州を平定した豊臣秀吉が叔父の小出秀政を城主に整備を進め、天守を築いた。江戸時代の落雷と明治維新の破却で、堀と石垣が残るのみ。天守は昭和期の再建だ。
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高取城
日本三大山城の一つ。郡山(こおりやま)城主となった豊臣秀長の詰城で、標高583.6mの高取山山頂に築かれた。大小天守に27の櫓、33の門をもち、郭内周囲約30㎞という規模を誇ったが、現在残るのは石垣のみ。
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墨俣一夜城(すのまたいちやじょう)
永禄9年(1566)に30歳の豊臣秀吉が築いたといわれる砦。わずか一夜で築かれたという伝説が残るが、史料が少なく築城時期やその実在は明らかではない。歴史資料館では、『武功夜話』を基にした墨俣築城や稲葉山攻めを解説。
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