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会場は市ケ谷駅から徒歩3分。草が生い茂る古びた洋館のような診療所の1階だ。リングはなく、ブルーのマットが敷いてあるだけ。昼間、ここでマットプロレスが行われているのだが、夜に来てみるとお化けでも出てきそうな雰囲気がある。

参加者は女性のみ。年齢も目的もバラバラだ。プロレスデビューを目指す人もいれば、キッズクラスには2歳の女の子もいるという。開始時刻の19時が近づくと、ひとりまたひとりと女性たちが集まってくる。「怪しい夜会みたいだな」と思った。

まずはマット運動。前転、後転、受け身の練習だ。わたしが「怖い、怖い」と言うと、メイ選手が優しく「大丈夫ですよ」と励ましてくれた。それでも恐怖心は拭(ぬぐ)えなかったが、なんとかマット運動を終え、ロックアップの練習が始まった。

ロックアップとは、試合序盤にレスラーががっちりと組み合うアレである。二人一組になり、ガッと組み合うだけなのに、これがなかなかどうして難しい。メイ選手に「声を出してください」と言われ、「なんて言えばいいんですか?」と的外れな質問をしてしまった。もうそんなところから、なにもかもがわからないのだ。「ヤー」でも「ウオー」でも「どりゃー」でもいいとのことだったので、わたしは小さく「ヤー」と叫んだ。

続いて、メイ選手の必殺技「プロペラクラッチ」の練習をする。四つん這(ば)いの相手にまたがり、両腕をプロペラのように旋回した勢いで相手をひっくり返し、エビに固めるという技だ。「絶対できないだろ……」と思いながら、メイ選手に言われた通りにやってみる。まずは相手を四つん這いに倒す練習。次に相手をひっくり返す練習。そしてエビに固める練習。段階を踏んで練習したら、なんとわたしも“スロー”プロペラクラッチができるようになった。できることが増えるとうれしくて、次も次もとやりたくなってくる。いつの間にか恐怖心は消えていた。

最後はドロップキックに挑戦する。高くジャンプしてミットにキックするのだが、ジャンプしてもどうしても脚が伸ばせない。何度もやろうと試みるも、どうしても無理だった。結局、ジャンプしてマットに向かって前受け身を取るという形に落ち着いた。次回は絶対に脚を伸ばせるよう、頑張りたい。

すべての練習が終わると、円になって今日の反省会をする。「楽しかった」「次はもっとこうしたい」など感想を述べ合う中、「無職になるためしばらく参加できなくなります」という女性がいた。みんないろいろあるよな、と思った。

わたしだっていろいろある。2023年9月末に業務委託の仕事が終了したため、収入は激減。生きていることが不思議なくらい、金がない。極限まで節制してどうにかこうにか生活しているものの、もういつ限界が来てもおかしくない。プロレス教室の会費1回1000円を払うのですら厳しい状況だ。

みんないろいろある。それでもみんなプロレスが好きで、こうして集まって楽しく汗を流すのだ。

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たまたま帰るタイミングが同じだった、えりこさんという女性と一緒に駅まで歩いた。若いし、美人だし、運動神経もいい。「デビューしたらどうですか?」と言うと、「若くないです、40歳です」と言われ、度肝を抜かれた。どう見ても20代にしか見えない。

長年プロレスを観ているが、プロレスをやろうと思ったのはつい最近だという。「ラストチャンスだと思った」という気持ちが、痛いほどよくわかる。わたしもプロレスを観始めたのは32歳のとき。せめてその頃に始めていれば、デビューの可能性もあったかもしれない。41歳になったいま、9年間を無駄にしたような気分になって落ち込んだ。

いつか死を迎えるとき、一つだけ確実に後悔することがあると常々思っている。それは「プロレスラーになりたかった」ということだ。その後悔は仕方のないものとして受け入れようと思っていたが、最近もう一人の自分が「だったら生きているうちに、プロレスラーになっちゃえば?」と語りかけてくるようになった。そんなに甘いものではないのはわかっている。怪我は付き物だし、下手したら命を落とすかもしれない。それでもダレジョに参加してみて、同年代の女性たちと一緒に楽しく汗を流したら、「まだまだやれるのかも」という淡い期待を抱いてしまった。

えりこさんと話していて、すごく波長が合うなと思った。なにか運命的なものを感じる。同年代で、ダレジョに通い始めた時期もほぼ同じ。「40代・同期タッグ」を組みたいという願望が沸々と芽生えた。わたしはもしデビューするなら、海外にも通用する選手になれるよう『MUGIKO』というリングネームにしようと妄想している。MUGIKOとERIKOなら語呂もいい。えりこさん、わたしとタッグを組んでくれませんか!?

口を衝(つ)いて出そうになったが、言葉を飲み込んだ。まだドロップキックも打てないのに、どう考えても気が早すぎる。えりこさんも初対面でいきなりそんなことを言われたら、引くだろう。「LINEを交換しませんか?」とだけ言って、その日は別れた。

デビューできるかどうかはわからない。と言うか、たぶんできない。仮にできたとしても、その頃にはおばあちゃんになっているかもしれない。それでも志は高く持ちたい。

こんなにもなにかに夢中になり、胸がワクワクするのは何年振りだろう。新しい友だちもできて、その人が未来のタッグパートナーになるかもしれなくて、本当にワクワクする。先のことはわからないが、いまはこの気持ちを大事にしたいと思った。

文・イラスト=尾崎ムギ子

25歳で脱サラして、憧れのフリーライターになった。出版社に売り込みに行くと、必ず言われた言葉がある。「得意分野はなんですか?」――。ない。ないよ……。得意分野も、書きたいジャンルも、これといった趣味もない。強いて言えば美容が好きだったため、美容雑誌に売り込みに行ったが、そこでも「得意分野は?」と聞かれ、「いや、美容なんですけど」とは言えずに俯いてしまった。なんとなく体当たり系のレポートを書くことが増え、歌ったり踊ったり、ハプニングバーに潜入したり、いろいろやった。しかし30歳を過ぎると、「こんなやり方、いつまでできるのだろうか……」という焦りが芽生えた。先輩ライターに相談したところ、「コンビニのカップスープについて書いている人いないから、狙い目だよ」と言われ、カップスープを買い漁ったこともある。しかしさすがにニッチすぎるし、好きでもなんでもなかったため、すぐにやめた。だれも書いていないからとか、そういうことじゃないのだ。自分が心底惚れ込めるなにかが、わたしはほしかった。