祖父の訃報を受けて故郷に帰る時、その弁当を選べる姉は頼もしかった。
兄弟がいて良かったな、と一番思うのは肉親が亡くなった時かもしれない。大学1年の夏、実家で一緒に住んでいた祖父が亡くなった。80を過ぎても竹藪から竹を切り出してホウキを作ったり、神社の石段を掃除したりしていた祖父だが、足腰が弱って部屋から出なくなってからは急速に老いが進行し、意識が朦朧としていることも増えた。寝たきりになって近所の病院に入院した時、きっともう家に帰って来ることはないだろうと思った。受験が終わって上京し新鮮な日々に胸を躍らせていた私は、祖父を思い出すことも減っていた。亡くなった知らせを聞いた時、せめてもっと見舞いに行っておけば良かった、朦朧とする意識の中で途切れ途切れにでも祖父の人生について聞き出しておけば良かったと後悔したが、結局は亡くなった後でないと実際に行動に移そうとはしなかっただろう。祖父は大抵どこか抜けたところのある私の親族には珍しく、凛とした清潔感とストイックな雰囲気を持つかっこいい人だった。若い頃には戦争で兄弟を失い苦労したと言う。あまり自分について語らない人だったので、そんな話も祖母や叔母から聞いたのだ。朝方に父親の電話で祖父の訃報を知った後、東京に住む姉からも電話がかかって来て昼の新幹線で一緒に実家へ戻ることになった。数時間後に東京駅で姉と会った瞬間、今まで感じたことのない安心感があった。思うことはいろいろとあっただろうが、憔悴した様子はなくいつもの姉だった。四国の片田舎で、数十年間同じような生活を続けて来た祖父の人生の重みを感じてくれる人はどれだけいるだろう。今後祖父のことを憶えていてくれる人はどれだけいるだろう。無口で厳格な雰囲気の祖父に少し近寄り難さを感じていたが、祖父は私が小学校の修学旅行で買って来た喫煙具を長い間使ってくれていた。後悔し始めるといろんな風景を思い出して辛くなる。しかし祖父を憶えているのは私だけではない。私が知らない祖父の姿も姉は見てきただろう。そのことに救われる思いがした。私が持てなかった祖父の記憶を姉が持っていることで、祖父が生きていた事実がより確かになる気がした。