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無言板
経年変化で文字が消えてしまった看板を、作り人知らずの路傍の芸術として鑑賞する連載。街角に潜む無言の声を、美術評論家の楠見清がカメラを片手に読み解きます。

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空の色に似ている〈空色看板〉の路上展覧会へようこそ
晴れわたった青空の下、散歩がとても気持ちのいい季節になりました。こんな日に「ご近所さんぽ」をしているとやけに目に付くのがブルーの無言板です。看板といえば白ばかりかと思いきや意外にも多いのがこの〈空色看板〉。今回は街中に点在する空の絵をご案内しましょう。

この連載の記事一覧

無言板とは、何なのか
路上観察が好きな人はそれぞれに専門分野があるもの。古くからのトマソン愛好家はいまもその中心的存在だし、送電鉄塔専門の鉄塔ファンもいれば、最近では各地のマンホールを巡礼する鉄蓋愛好家がマンホーラーやマンホリストと呼ばれ新たなファンを増やしている。蓼(たで)食う虫も好き好きとはよくいったものだが、今回私がここに披露するのは自宅周辺の散歩に小さなひらめきと無限の広がりを授けてくれるご近所のモノリスこと幸福の白い看板……名付けて無言板だ。
無言とはじつに「言うことなし」のパーフェクトな存在のこと
散歩の途中でふと目に入ったこの看板。真っ白な板がすっくと支柱で直立している。文字は雨風に洗い流されたのかすっかり消えてしまい、もはや何が書かれていたのかさっぱり読めない。公園の入り口にある状況から見て、何か注意書きがあったのだろうが、今はその力もなくただひっそりとそこにある。
梱包看板はいつか目覚めの朝を迎えるだろう
公園の前に新しい看板ができた。役所からのお知らせや地域の催し物のポスターが貼られる公共掲示板のようだが、正式な運用が始まる前なのだろう。ここしばらくの間ブルーシートで覆われている。工事現場でよく見かけるシートよりも少し薄手の素材のせいか、寄ったしわが風になびいてサワサワと水面のように揺れ動いている。じっと眺めていると青い波紋の変化から風の強弱や向きが変わる瞬間が見えてくる。この動く波の絵を、目に見えない空気の流れを可視化する装置としてとらえれば一種の環境芸術のような面白さがある。
水の出ない蛇口と無言の看板が与えられたとせよ
マンションの壁面に青いホースの巻かれた蛇口。その上に白い看板がある。近づいてよく見ると「洗車禁止」と書かれていた跡がうっすらと見える。マンションの清掃や植木の水やりに使う水道で勝手に自家用車を洗う住人がいることに業を煮やした管理会社がこの看板をつけたのだろう。
地図案内板から文字の消えた町をさまよえばいつしか古代宇宙の旅へ
どこの町にもある街路地図の案内板だが、道や番地を記したはずの黒の塗料がほどよい加減に褪色し、ところどころに緑地を表わす黄緑色が淡く残っている。最初にこれを遠目に見つけたとき、周囲を覆う樹木の葉色と相まってなんだか描きかけの風景画のようにも見えた。
赤い塗料が消えると禁断のシルエットたちが浮かび上がる
看板には文字と絵が描かれたものがいろいろありますが、経年変化によってそのどちらかが先に消えてしまうものが意外にたくさんあります。単色の文字とカラーの絵の部分に違う種類の塗料が使われていると、耐候性や耐光性の違いから寿命に差がでてしまうんですね。そのとき、絵が消えてしまっても「注意」とか「禁止」といった文字さえ残っていれば、たいていの場合その意味はじゅうぶん伝わるのですが、問題はその逆です。文字が消えて絵だけが残った場合、この看板が何を意味していたのか分からなくなることがあるばかりか、何やら逆の意味に見えてしまうこともある。今回はそんな無言の絵看板を見ていきましょう。
傾いても筋を通し、落下しても落ちぶれない〈脱落看板〉の人生哲学
コロナ感染予防のため、公園のベンチや待合室のソファの真ん中にソーシャル・ディスタンスの張り紙をしているのをよく見かけるようになりました。でも、どうやらこれは違います。見たところずいぶん年季が入っているのでコロナ禍以前からあったのでしょう。インクが消えて真っ白になっているため、なにが書かれていたかはもはや読むことはできません。
時を超えた〈穴埋め看板〉、街角のクイズマスターからの出題です
火の用心や町のマナーなどの注意看板は、自治体や町会など比較的狭いエリアで製作されたものが多く、独特な標語やイラストの宝庫として看板愛好家に人気のジャンルですが、なかでも私が気になるのは部分的に文字が消えて無言化してしまった看板です。
芸術の秋、描き人知らずの傑作ぞろい〈野良絵〉鑑賞ガイド
無言板の中には文字が消えたあとに付着した汚れやしみがなんとも味わい深いものがあります。じっと眺めていると何かの形に見えてくるもの、前衛的な抽象絵画のように大胆で理解を超えたもの──誰かが作ったわけでもないのに何かがそれを作品にしてしまう。そんな作り人知らずの作品を、野良文字にならって〈野良絵〉と名付けてみることにしました。
ペットから珍獣まで、あつまれどうぶつの無言板!
動物はお好きですか?と聞いておいて、好きですよねーと強引に話を始めますが、街中にはいろいろな動物に関する看板があることにみなさんもお気づきのことでしょう。山間部では「熊出没注意」や「鹿飛び出し注意」の標識が有名ですが、街中にもペットの飼い主に向けたマナー看板からかわいいマスコットキャラクターの描かれた案内板などじつにさまざまな動物看板が存在しているのです。とくに私の場合、文字が消えて動物だけになってしまった無言板を発見するとまるで迷い猫を保護するアニマル・レスキューのような気持ちになってしまいどうにも目が離せません。どうして放っておかれているの、と優しく手を差し伸べるような気持ちでカメラを向け...
いつまでも心は野球少年、街角の《ストライクゾーン看板》といざ勝負!
以前、ある自動車メーカーのイメージCMで、街にいる大人たちが全力で野球をするという映像がありました。スーツ姿のサラリーマンや制服の作業員や配達員、主婦や女子高生もがひとつのボールをつないで投打と守備に奔走しスライディングまでしてみせるという妄想を実写にしたもので、中でもバットを持ったOLが渾身の一打を決めるシーンは神スイングとして話題になったのをご記憶の方も多いでしょう。子供の頃野球に夢中になったことのある人なら、大人になった今もふと野球の感覚が蘇ること、ありますよね。私もそう、街を歩いていて四角い囲みが目に入ると──しかも、その高さや距離があの感覚にぴったりと重なったとき──ストライクゾーン...
無言板で振り返る2020年の世相と出来事
年の瀬も押し迫り一年を振り返る時節となりましたが、年が明けてもコロナ禍はまだまだ続くのかと思うとどうにも言葉を失ってしまいます。文字の消えた無言の看板も今の世相と私たちの生活を映し出す鏡のように見えてきます。
破壊によって創造するパンクな〈割れ看板〉理論とは
壊れた窓がそのままになっていると犯罪が増えるという「割れ窓理論」は防犯上有名な話ですが、壊れた看板はどうでしょう。警告看板が壊れているのは見て気持ちの良いものではありませんが、当たり障りのない内容の看板が忘れられ放置されているのは見方によってはユーモラスで、時には世の無常や儚さを表す作品のようにも見えてきたりもします。ピカソは「あらゆる創造活動はまず何よりも破壊活動である」と言ったそうですが、今回はその常識破りの発想に倣ってポジティブに街角の前衛作品を鑑賞していきましょう。
錆びてこそ寂びの美あり。〈さび看板〉をポジティヴ思考で愛でましょう
金属製の看板は材質的には強固なのですが、雨水にはめっぽう弱い。雨ざらしになったあげく錆(さ)びて字が読めなくなったのにそのまま放置されている看板の中にはどこか「わびさび」に通じる美意識に貫かれたものがあります。そもそも「わびさび」とは侘(わ)びと寂(さ)びのこと。侘しさを貧乏くさいものではなく質素で渋い趣きとして、寂しさを孤独や悲しみではなく孤高や静けさとしてポジティヴにとらえる──日本的なポジティヴ思考なんですね。
接着剤で描かれたストリートアートに絶句する! 《糊跡芸術》の妙なる世界
文字の消えた看板を探し求めて路上観察をしていると、看板そのものが消えてしまったという光景にも出くわします。なかでも壁に直接貼った看板がはがれた結果、接着剤の跡があらわになったものは、取り付けた人の手癖によってどこか書や絵画を思わせる趣にあふれていることを発見してしまいました。今回はその絶妙な糊(のり)さばきによる《糊跡芸術》の傑作の鑑賞術をご紹介しましょう。
テープ跡が織りなす幾何学模様、《テーピング絵画》の抽象美に迫る
そこにあったはずの看板がなくなった後に現れる接着の痕跡にもさまざまなバリエーションがあることにお気づきでしょうか。とくに、最近の両面テープは強力なので張り紙やプレートが劣化して剥がれた後も壁や塀などの支持体の方に粘着したままきれいに残存しています。シンプルな直線で構成された幾何学模様は何かの記号か抽象絵画のようにも見えることから、私はそれらを《テーピング絵画》と名付けて街角でこっそり鑑賞しています。
扉の向こうは無次元!? 《どこでもないドア》を探せ
開いた扉の向こうにいつも良いことがあればいいのですが、トイレの個室だと思って開いたら掃除用具入れだったという失敗、たまにありますよね。ドア・プレートがついていない扉、そしてプレートから文字が消えてしまった扉。本当に困ったものです。でも、視点をちょっと変えて見てみれば、それが何のドアかを教えてくれない無言の扉とはアートの入り口なのかもしれません。役に立つものは道具で、役に立たないものこそがアートである──いつも言っているように無言板とはそんな「無用の美」によって自立した存在なのです。今回は想像力を掻き立ててくれる無言の扉を、ここではドラえもんのひみつ道具「どこでもドア」をもじって「どこでもないド...
道端にひっそり立つミニマル地蔵〈孤立無縁仏〉を探ねて
看板のボードがなくなってスタンドだけが立っている、なんともシュールな光景です。残されたものは支柱だけ──板が存在しないものをはたして「無言板」と呼んでいいものかなかなか悩ましいところですが、この支柱が残っていなければここに看板があったことすらもはや誰にもわからないわけですから、この支柱こそがすべてを物語っているといえるのかもしれません。語る言葉がないのにすべてを語っている──これはのっけからなかなかの禅問答です。何にもよらずただ自立しているだけのこの物体、純粋にスタンド・アローンな存在です。道端の地蔵尊や道祖神のようにひっそりと佇むそれらを、孤立無援をもじって〈孤立無縁仏〉と命名し観察すること...
空の色に似ている〈空色看板〉の路上展覧会へようこそ
晴れわたった青空の下、散歩がとても気持ちのいい季節になりました。こんな日に「ご近所さんぽ」をしているとやけに目に付くのがブルーの無言板です。看板といえば白ばかりかと思いきや意外にも多いのがこの〈空色看板〉。今回は街中に点在する空の絵をご案内しましょう。
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