小野先生
小野正弘 先生
国語学者。明治大学文学部教授。「三省堂現代新国語辞典 第六版」の編集主幹。専門は、日本語の歴史(語彙・文字・意味)。

言葉や情景が心に深く染み入ること

筆者 : 「しみじみ」は「しみ」が2回繰り返されたことば、と考えてよいのでしょうか。

小野先生 : そうです。「しみ」は「染(し)みる」の古語、「しむ」の連用形を重ねた形です。古くは「しみしみ」という言い方もあったのですよ。
このように、同じ意味を同じ語を重ねてひとつのことばにしたものを「畳語」と言います。畳語は2回繰り返すことで、何度もその状態になることを意味します。

筆者 : 「しみ+しみ」ではなく、「しみ+しみ+しみ+しみ…」ということですね。
ところで、「しみる」が語源だとしても、「服に醤油がしみじみした」とは言いませんよね。

小野先生 : 「しみじみ」は、言葉や情景が心に深く染み入ることに、ほぼ特化しています。また、心のなかで感慨が湧き上がる「自分のしみじみ」と、お互いが深く理解し合ったり、静かに落ち着いている様を表す「互いのしみじみ」がありますね。
「親の有り難みをしみじみと感じる」は前者、「しみじみと見つめ合う」は後者です。いずれも室町時代からある表現で、「自分のしみじみ」のほうがやや先行して使われています。

筆者 : 「しみじみ」といえば、作曲・浜圭介さん、作詞・阿久悠さんの名曲『舟唄』が思い浮かびます。
八代亜紀さんが歌う「しみじみ飲めば~しみじみと~想い出だけが行き過ぎる」は、前半は「互いに理解し合う」または「静かに落ち着いて」、後半は「自分の中に湧き上がる感慨」という意味でしょうか。

小野先生 : そうですね。『舟唄』を作詞した阿久悠さんは、「しみじみ」の微妙なニュアンスを絶妙な感覚で使っています。

筆者 : ぬる燗が身体の芯に染み渡っていくのと反対に、胸の内から想い出が湧き上がってくるような感覚が伝わってきます。「静かに」とか「しんみり」では成立しないのだと思います。

「点の感動」と「面の感動」

小野先生 : 「しみじみ」は時間をかけて広がる、いわば「面の感動」です。最近「刺さる」ということばをよく聞きますが(「心に刺さるメロディ」など)、これは瞬間的な驚きや共感、「点の感動」をあらわしています。
例えば東京スカイツリーの展望台から大パノラマを見て「絶景だ!」と叫ぶのは点の感動。街を見下ろして「小さな家々にも人が住んでいて、それぞれにドラマがあるのだなあ」と感じるのは面の感動、「しみじみ」です。

筆者 : そう考えると、「しみじみ」に必ずしも非日常的な体験は必要ないのではないでしょうか。東京スカイツリーに登らなくても、人々のドラマに思いをめぐらせることはできます。
『舟唄』もおそらく寂しい漁港近くの、なんでもない酒場が舞台ですよね。

小野先生 : 「しみじみ」は体験をきっかけに、内なる「想像力」で感じる、極めて個人的な感動でしょう。『舟唄』でも寂しい酒場で酒を飲み、自分の想い出に涙をこぼすわけです。

筆者 : ふーむ、奥が深い。「しみじみ力」を身につけると、旅や散歩はぐっとおもしろくなりそうです。

取材・文=小越建典(ソルバ!)