前田利家 戦国がたり

名古屋おもてなし武将隊が一雄、前田利家が戦国時代を語る!戦国時代の文化や2023年大河ドラマ「どうする家康」の時代背景、そして戦国から現代に続く史跡名跡についてご案内。
「どうする家康」が終わってもまだまだ語って参る!

最新記事

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我らが「名古屋おもてなし武将隊」15周年である。前田利家、改めて名乗ろうぞ!
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。これよりは前田利家の戦国がたりの時である!「さんたつ」にて現世を生きる皆々に、我らが生きた戦国時代の蘊蓄(うんちく)やおもしろき逸話を伝えておるこの戦国がたり、うれしき事にまもなく開始から2年となるわな!この連載を訪れてくれておる者たちのなかに、儂(わし)の記事は幾度か読んだことあるが、そもそもこの武士は誰なんじゃと思うとる者はおらぬか?ということで此度は久々に儂の自己紹介と、我らに関する案内をいたそうではないか!それでは、いざ参らん!!

この連載の記事一覧

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前田利家 戦国がたり!徳川家康殿との関係性と戦国時代について語る!
皆々、息災であるか。我こそは名古屋おもてなし武将隊が一雄、織田家が一番槍にして加賀大納言、前田又左衛門利家である!!年が変わり令和5年となった2023年、忘れてはならぬことがあるわな!そう!今年の大河ドラマ、『どうする家康』である!!
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戦国時代の人質暮らしとは?
皆々息災であるか?前田利家の戦国がたり第二回開幕である!!此度の徳川殿の幼少期の暮らし、即ち人質生活に焦点を当てて参るぞ!!
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桶狭間の戦い。今川方の拠点、大高城へ参る
皆々、息災であるか?前田利家の戦国がたり第三回じゃ!!此度は名古屋にある史跡に足を運んで参ったぞ!!さあ行って参ろうではないか!前田利家の史跡巡り、大高城編!
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勘違いが起こした、家康殿のおじいさんの悲劇『守山崩れ』
皆々、息災であるか?突然じゃが、皆々は徳川家康殿のおじいさんの名前を知っておるか?知らんよ、という者も多いのではなかろうか。徳川家康殿のおじいさん、名は松平清康様と申す。実はこの清康殿、名古屋の地で悲惨な最期を迎えられたのじゃ。此度の戦国がたりは、戦国初期に起こった悲劇『守山崩れ』を紹介いたそう!では、いざ参らん!!
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家臣すらも敵となった三河一向一揆。戦国時代の寺の役割は?
皆々、息災であるか?前田利家の戦国がたり、第5回である!此度の戦国がたりでは、今川家から独立した徳川殿が直面した大きな危機、『三河一向一揆』について話して参ろう。そして戦国を風靡し、数多の大名を苦しめた一向衆についても話そうかのう。では、いざ参らん!!
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戦国大名たちも難儀した!戦国時代に大流行した一向宗と一向一揆とは何だったのか?
皆々、息災であるか?前田利家の戦国がたり、第6回である!前回は三河一向一揆について語ったな。此度は「そもそも一向一揆並びに一向衆とはなにか?」について分かりやすく話そうかのう。では、いざ参らん!!
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戦国の基礎知識!同盟とは如何なるものなのか!
皆々、息災であるか、前田又左衛門利家である。戦国がたり第七回開幕じゃ! 此度は皆々に戦国の基礎知識、同盟について話して参ろう!同盟とは、大名家の間で結ばれる軍事協力、或いは戦をしないことを定めた契約のことである。大河ドラマ『どうする家康』でも信長様と家康殿の同盟である清州同盟が描かれておったわな。そこで此度は、戦国時代にあった代表的な同盟やおもしろき同盟について三つ紹介して参ろうではないか!!いざ参らん!!
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大河ドラマに登場した重要人物2選。知ればもっと『どうする家康』が楽しくなる!
皆々、息災であるか?前田利家の戦国がたり、第8回開幕じゃ!!今までの戦国がたりでは戦国の豆知識や史跡紹介をして参ったわな。じゃが此度は少し色を変え、人物紹介の巻である。題して『大河がもっと楽しくなる、隠れ重要人物2選』じゃ!盛り上がりを見せる『どうする家康』に登場する、まだそれほど詳しくは語られていない登場人物を簡単に紹介して参る。ではいざ参らん!!
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室町幕府将軍はどのような存在だった?偏諱(へんき)、一族の通字(とおりじ)について
皆々、息災であるか前田又左衛門利家である。月が変わって四月となり、皆々も新しき日々に挑んでおるさなかではなかろうか。大河『どうする家康』では徳川殿が今川家を滅ぼして遠江を手中に先し、二国を治め、歴とした大名として新たな一歩を踏み出したところである。先日の大河では、徳川殿が京へと赴き、将軍足利義昭様に謁見する場面が描かれておった。此度の戦国がたりでは戦国時代の室町幕府についてのおもしろき話を紹介して参る。 いざ参らん!
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徳川家康殿の最大の危機⁉ 三方ヶ原の戦いとは!
皆々、息災であるか。前田利家の戦国がたり、開幕である!戦国がたりも早いもので第十回目とあいなった!!そんな区切りの此度は、徳川殿の人生において最大の危機とも言えるであろう『三方ヶ原の戦い』について紹介いたそうではないか!
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戦国時代の寺社の役割。現代につながる街づくりと強さの秘訣
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。 戦国がたりの刻とあいなった! 突然であるが皆の衆!大須商店街は知っておるか?大須商店街は名古屋の中心にある商店街じゃ!様々な店でにぎわっており、甘味やなごやめし、異国の料理の店も立ち並んでおって食べ歩きに参る者も多い。名古屋城からも地下鉄を使えば15分、立ち寄りやすく人気の観光地である!老若男女が集うこの商店街、実は今から400年前の江戸時代初期から続く歴史ある場所なのじゃ。此度の戦国がたりでは『どうする家康』の本筋から少し離れ、戦国時代の街づくりについて触れて参ろうではないか!
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戦国時代のたしなみ「茶の湯文化」と、信長様の外交戦略の要「名茶器」について!
皆々、息災であるか?前田又左衛門利家である。 戦国がたり第十二回開幕じゃ!此度の話は戦国時代の茶器について話して参ろうではないか。“茶の湯”と聞いて皆は何を思い浮かべるであろう。多くの戦国武将を弟子にもち茶聖と呼ばれた千利休や、豊臣秀吉が作った金箔貼りの黄金の茶室あたりは聞いたことがあるのではなかろうか。大河ドラマ『どうする家康』でも後々でてくる可能性もあろうな。茶の湯は戦国時代に大流行した文化であるが、ただの文化に在らず。戦国の政治に深く関わり、中核を担っていたと言うても過言ではないほどじゃ!戦国時代に大きな影響を与えた茶の湯とは一体いかなるものだったのか、早速見て参ろうではないか。 では、いざ参らん!!
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秘策は馬防柵!徳川家の重大な分岐点、長篠・設楽原の戦いは如何なるものだったのか?
皆の衆!息災であるか!此度、儂は名古屋を飛び出し、とある場所にきておる!儂が訪れたのは愛知県新城市、長篠・設楽原古戦場じゃ!!写真でわかったものはおるかのう?丁度いま『どうする家康』で焦点が当たっておる長篠の戦い、その舞台となった場所が今も綺麗に整備されておる!!というわけで此度は儂の史跡探訪第二弾、これより長篠・設楽原を紹介して参ろう!いざ参らん!!
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その香木の名は『蘭奢待』。天下人・徳川家康殿はなぜ切り取らなかったのか?
国を統べる天下人のみが手にすることができる伝説の香木。 その存在を耳にしたことはあるだろうか。これは街談巷説でも御伽噺でもなく実際に日ノ本に存在するものである。その香木の名は『蘭奢待(らんじゃたい)』。現世ではあまり知られてはおらぬかも知れぬが、我らの時代においてこれを手にできるものは朝廷から認められた者、すなわち天下人の証であったのじゃ!此度の戦国がたりでは徳川殿も手に入れようとしたと伝わるこの蘭奢待について話して参ろうではないか。いざ参らん!!
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戦国時代の後継者『嫡子』は必ずしも長男にあらず。信康事件とあわせて解説いたす!
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。大河ドラマ『どうする家康』では、徳川殿の正室・瀬名姫と嫡男・信康殿の思惑から始まった武田家内通により、徳川家を揺るがす事態となった。暗鬱(あんうつ)とした空気に包まれておる。此度はこの信康事件について大河で描かれなかった一面と、戦国時代の家族親子関係を紐解いてまいろうではないか。
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武田家の滅亡の遠因「義信事件」はなぜ起きたのか。戦国時代の家中と家督は難儀なものだった!
皆の衆、息災であるか。前田利家である。此度の戦国がたりは、前回に引き続いての戦国時代の家督相続における問題について話して参る。紹介致すのは、徳川家の一番の宿敵であった武田家の廃嫡事件『義信事件』。下剋上が数多起こった戦国時代において、如何に親子仲と家督問題が難しかったかを示す出来事である。大河ドラマ『どうする家康』でも描かれた『信康事件』、即ち信康殿と築山殿の死にも影響を与えたと言えるこの事件は如何なるものであったのか。皆に紹介致そうではないか。前回の戦国がたりを読んでおらぬ者は先に読んでおくと分かりが良いであろう!では、いざ参らん!!
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織田信長は天下を取ったのか――。本能寺の変直前、織田家臣団の分布と各地の状況を説明いたす!
「織田信長は天下を取ったのか」時折耳にする疑問である。信長様が本能寺にて倒れられた時、関東の北条、九州の島津、四国には長宗我部が健在であり、そもそも信長様が亡くなったのは毛利攻めの最中であった。故に天下を取っておらぬと思っておる者もおるであろう。名古屋城にて皆をもてなしておる折にも幾度か問われたことがある。然りながら間違いなく信長様は天下人であった!実は「天下を取ること」は「天下統一」とは少し意味合いが違うのじゃ。
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その時、家康は何をした。本能寺の変に隠れてあまり語られぬ戦と、その「黒幕」の話をしよう
皆の衆、息災であるか。名古屋おもてなし武将隊、前田利家である。ついに終わった本能寺の変。これにより日ノ本中の情勢が大きく変わった。中でも大きく変わったのが織田家の家臣の立場である。信長様の死の動揺を狙って多くの敵方が一斉に蜂起したのである。この動きは先週の戦国がたりにて纏めておいたで、読んでおくとわかりやすいであろう。織田家の領国で最も混乱が激しかったのが領土の東側である、甲斐、上野、信濃であった。何せここは本能寺の変が起こるつい3ヶ月前に攻め取ったばかりで、支配体制が決して万全ではなかったのじゃ。蜂起した武田家の残党たちが、織田家の諸将に襲い掛かった。然りながらこれは偶発的なものではなく、裏で操っておった者がおったのじゃ。其の者こそが、徳川家康殿である。
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前田家のタブーを語ろう。羽柴VS柴田、賤ケ岳の戦いで、前田利家は裏切り者であったのか?
皆の衆!息災であるか?前田利家である。 突然じゃが、皆は天下分け目の戦いと申せば何を思い浮かべるであろうか。織田家が飛躍する契機となった桶狭間の戦い、織田と武田の大軍勢が野戦にて激突した長篠・設楽原の戦い、明智殿と秀吉率いる織田軍が戦った山崎の戦い、日ノ本を巻き込んだ秀吉と徳川殿の大戦・小牧長久手の戦い、そして徳川殿の天下を決定づけた関ヶ原の戦いなど、様々な戦が挙げられるであろう。これらの戦と並んで忘れてはならぬのが秀吉と柴田様が織田家の後継を巡って争った賤ヶ岳の戦いである。じゃが、儂、前田利家としては忘れておきたい戦でもある。此度の戦国がたりでは、それが何故かを含め、この戦の経緯について紹介して参る。いざ前田家の禁忌、現世で申すところのタブーである賤ヶ岳について、重い口を開こうではないか。
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ついに家康と秀吉の対決! 小牧長久手の戦いの裏で起きた「さらさら越え」と前田家の悲劇
皆の衆、息災であるか。これよりは名古屋おもてなし武将隊、前田利家が『どうする家康』に関わる歴史のおもしろき話を紹介致す戦国がたりの刻である。ついに始まった小牧長久手の戦い。まさに天下を二分した大戦。ここまで戦力が拮抗した大々名同士の戦は他にないであろう。徳川殿と秀吉、戦上手の二人はいかにして戦況を進めていったのか!それは『どうする家康』にて確かめてもらうとして、此度の戦国がたりではこの戦における裏話を届けて参ろうではないか!いざ参らん!!
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【利家、古戦場へ行く】天下分け目の舞台、長久手古戦場探訪!家康と秀吉が熱き攻防を繰り広げた、小牧長久手の戦いを感じよ!
皆々、息災であるか前田又左衛門利家である。大河ドラマ『どうする家康』にて熱き展開が繰り広げられた小牧長久手の戦い。徳川四天王の活躍が確と描かれておって、徳川家が戦国大名として円熟してきた様子は見応えがあるわな。そこで此度は物語の舞台である長久手古戦場へと赴いた!桶狭間、長篠に続く史跡探訪第三弾である!!
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石川数正はなぜ出奔したのか? 秀吉による天下統一の時期に活躍した2人の武士。
ついに小牧長久手の戦いが終わった大河ドラマ『どうする家康』。天下人・豊臣秀吉が誕生し、これよりはその臣下としての家康殿が描かれていくこととなる。本能寺の変より続いた大戦の連続はこれにてひと段落じゃ。これよりは秀吉の島津征伐や北条征伐と、天下統一の終盤戦へと進んでいく。故に此度はこの一連の動乱にて活躍した武士を掘り下げて紹介して参りたいと思う。いざ参らん!
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『どうする家康』には描かれない、実は活躍した戦国武将・土屋昌恒と長連龍
皆の衆、息災であるか。これよりは前田利家の戦国がたりの時である。此度の戦国がたりは前回に続いて人物紹介の巻である!!戦国の世で名を轟かせたが現世ではあまり知られておらぬ武士が数多くおる。其の中で儂が皆に知らしめたく思う者を紹介して参るのがこの人物紹介の巻。第一回は徳川殿の宿敵・岡部元信殿と、浜松を守った女城主・お田鶴の方。第二回は織田家の猛将・森長可殿と、石川数正殿を紹介致したわな。本能寺の変から小牧長久手まで続いた動乱が落ち着いたで、此度は少し時間を元に戻して武田滅亡から本能寺の変に関わる人物を紹介いたそうではないか。此度紹介する者の一人は我が家臣である!いざ参らん!
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なぜ利家は謹慎を命じられたのか? 秀吉による天下統一と小田原北条攻め。その裏で起きていた八王子城殲滅戦
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。これよりは儂(わし)の戦国がたりの刻である!大河ドラマ『どうする家康』では北条が滅びて秀吉による天下統一が果たされた。家康殿も東国へ領土を移し、物語は終盤へと向かっておる。じゃが!儂、前田利家もこの頃は豊臣政権の重臣として戦に政にと励んでおったのじゃが、大河になかなか出て参らぬ……。じゃがこれは徳川殿の物語ゆえに致し方あるまい!そこで此度は北条征伐の詳しい話と、この頃の儂は何をしておったのか、について話して参るぞ!
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徳川と前田の仲は本当に良好だったのか?朝鮮出兵中にあわや一触即発の危機、幻の戦「水騒動」
皆々、息災であるか前田又左衛門利家である。戦国時代の終わり頃に肥前国、即ち現世の佐賀県に人口二十万人を超える大都市が誕生する。その名も肥前名護屋城、異国への備として日ノ本全土から主要な戦国武将、百六十の家が集められたのじゃ。勿論秀吉も肥前名護屋で指揮を取ることとなったのじゃが、それを支えたのが徳川家康殿と儂(わし)、前田利家であったのじゃ! 先ずは豊臣政権における家臣団の筆頭であった儂と徳川殿の関係について見ていこうではないか!
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前田利家はなぜ家康を殺さなかったのか?――五大老五奉行の時代、そして利家の最期のとき
皆々、息災であるか前田又左衛門利家である。 ついに、『どうする家康』にて秀吉がくたばった。これにより天下の情勢は誰にも読めなくなって参ったわな。秀吉の後継である秀頼様はまだ幼く、誰が実権を握るのか強欲なる諸大名は舌舐めずりを始めた頃合いである。そんな此度は秀吉死後の天下の趨勢や起こった問題について話して参ろうではないか。そして、秀吉の死後の混乱を収めるべく奔走し力尽きた儂(わし)、前田利家の最期の大戦についても記して参ろう。では、いざ参らん!!
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【利家、関ケ原へ行く】いよいよ天下分け目の決戦。より深く理解するための記念館と陣跡探訪記
皆々、息災であるか!前田又左衛門利家である。此度の戦国がたりは久方ぶりの史跡探訪である!!此度訪れたは今、大いに盛り上がっておる関ヶ原古戦場じゃ!大河ドラマ『どうする家康』にてこの地で起こった大戦が描かれている。世界三大古戦場にも数えられ、世界に轟くこの地は訪れたものを楽しませるよう様々に整備がなされておる。早速紹介致そうではないか!
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利家が死んだ後の前田家はどうなったのか? 我が嫡男・利長と、自慢の妻・まつが生き抜いた大戦(おおいくさ)について語ろう。
皆の衆、息災であるか。前田又左衛門利家の戦国がたり、開幕である!大河ドラマ『どうする家康』では関ヶ原が終わり、最後の火種が燻る様子が描かれておるわな。いよいよ徳川殿の世へと日ノ本が変わって行く中、儂(わし)が死んだ後の前田家はどうなっていったのか。これについて此度は話して参りたい。関ヶ原古戦場を紹介致した前回と、五大老として徳川殿と命尽きるまで対峙した儂について記した前々回の戦国がたりを先に読むと良いであろう。それでは、いざ参らん!!
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美しく生きた二人の戦国武将。宇喜多秀家と蒲生氏郷、その生涯を語ろう。
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。此度の戦国がたりは、人物紹介の巻である。大河ドラマ『どうする家康』では語られることのなかったが、その生き様を知って欲しい武士について、儂の私見と共に紹介いたそうではないか!!此度は儂(わし)、前田利家に深く関わる人物2人の話をしようと思うておる。さあ、いざ参らん!!
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戦国武将の辞世の句。込められた思いはいかなるものだったのか。
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。大河ドラマ『どうする家康』が遂に大団円となった!天下太平を築きし徳川殿の一生を描いた此度の大河は、徳川殿やその他の武将のこれまで描かれなかった新たな一面を知るきっかけとなったのではなかろうか。そんな此度は、我ら武士が人生を終えるときに自らの一生を振り返り残す詩。辞世(じせい)の句について取り上げて参ろう。
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今年もよろしゅうお頼み申す! 戦国時代の年始の過ごし方を紹介しよう!
皆々、新年あけましておめでとうさん!前田又左衛門利家である。これよりは儂がおもしろき戦国、歴史の話を届ける戦国がたりの時じゃ!2024年も多くの歴史のたのしき話を紹介して参る所存であるでな、今年もよろしゅうお頼み申す。新年の挨拶はこの辺りに、此度は戦国時代の新年についての話をして参ろうかのう。いざ参らん!
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いまこそ我が領地を紹介しよう。前田家が治めた加賀国、そして能登国案内
皆々、息災であるか。これよりは前田又左衛門利家の戦国がたりの刻である!これまで一年、様々な歴史や史跡の話をして参った。大河ドラマ『どうする家康』と共に徳川殿ゆかりの地は幾度も紹介して参ったのじゃが、実は我が領国について確(しか)と話をしたことがなかった!そこで此度は金沢を中心にその見どころと歴史について紹介致そう!さあ、いざ参らん!!
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戦国武将の恋愛を語る! 政略だけではない、純愛を貫いたふた組を紹介す【前田利家 戦国語り】
皆々、息災であるか。名古屋おもてなし武将隊、前田利家である。冬本番、寒さが一層増してきた今日この頃ではあるが、現世の日ノ本ではこの時期に盛大な祭りがあると聞く。『ばれんたいん』なるものじゃ!姫が想い人にちょこれーとなる甘味を送る粋な催しから始まり、今では自らのため買い求める者も多いと聞く。我らの戦場、名古屋では『アムール・デュ・ショコラ』なる日本一の祭典が今年も始まっておる!2023年の売り上げは30億円以上と、まさに日本一。2024年は150の店と2500種類以上のちょこれーとが並ぶと聞くで、心惹かれたものは参じるが良い。食い道楽な話はこの辺りと致し、此度は恋人の日であるばれんたいんでーにあわせて我ら戦国時代の純愛について紹介しようではないか!いざ参らん!
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猫を愛した戦国武将たち~豊臣秀吉、伊達政宗、島津義弘【前田利家戦国語がたり】
皆々!息災であるか。前田又左衛門利家である。皆は2月22日は何の日か知っておるか?現世の者は知っておるものが多いのではなかろうか。 そう、『猫の日』である!! 因みに2月22日は戦国時代で申せば天正遣欧使節団がローマ教皇に拝謁した日であるし、他にもにんにんにんの日ということで忍びの日でもある。じゃが! 1番話題となるのはやはり猫の日であるわな。日の本の民にとどまらず全世界で愛されておる猫は、忙しく生きる現世の民の心を癒やす重要なる存在である。近世の著名なる哲学者が「この世に完璧に美しいものが二つある、猫と時計である」と記しておったり、近年の研究で猫の鳴き声が人の赤子の声と似ているために人間は本能として猫を愛しく思うと言った見解が示されておったりもするのじゃ。じゃが!人間の猫への愛はなにも今に始まった事ではない!人類が誕生して間もない頃から疫病を蔓延させるネズミを狩ってくれる存在として人との共存を始めた猫は、世界各地で神として或いは神聖なる存在として大切にされておったのじゃ!さて、猫にまつわる小話はこの辺りにしておいて、此度の戦国がたりでは猫にまつわる戦国の話を紹介致そうではないか!では、いざ参らん!!
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『光る君へ』の時代から遠く離れた戦国乱世。女子たちはどう生きたのか!【前田利家戦国がたり】
皆の衆、息災であるか。前田又左衛門利家である。皆は本年の大河ドラマ、『光る君へ』は見ておるか!平安貴族の優雅なる生活と、その陰で繰り広げられる権力争いを此度の主人公であるまひろ(紫式部)を中心に、貴族女性の目線にて描かれておる。そんな平安時代と対照的とされるのが我らが生きた戦国乱世。戦国時代といえば武士や激しい戦の印象が強いであろう。然りながらこれは当たり前のことではあるが、我らの時代を駆け抜けたのは戦に生きる男ばかりではない。此度の戦国がたりでは戦国時代の女子はいかなる生活と役割を担っておったのかについて話して参ろうではないか!いざ参らん!!
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花見と言えば桜。そのきっかけを作りしは豊臣秀吉だった! 戦国武将も楽しんだ花見の話をしよう!
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。暖かい日が増え、外の景色もにぎやかになって参った! 春を感じる日々であるわな!我ら「名古屋おもてなし武将隊」の本拠である名古屋城も様々な春の花が美しく咲いておる! して、日本の春といえば桜である。 現世の城は公園として整備されており、桜の名所となっておるところも多くある。弘前城や姫路城、高遠城などが特に人気であるが、なんと「日本さくらの会」が選ぶ名所百選には、29カ所も城が選出されておるのじゃ!!無論名古屋城も選ばれておって、約900本の桜が咲き誇るまことに素晴らしき景色を楽しむことができる。桜の人気もあり、春は一年で最も多くの客人が城を訪れる季節。故に、我らも楽しみにしておる。さて、そんな此度の戦国がたりでは花見についての戦国豆知識を届けて参ろうではないか!いざ参らん!!
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春に行きたい城。名古屋おもてなし武将隊・前田利家がすすめる日本の名城、三つを紹介致す!
皆は四月六日はなんの日か知っておるか?簡単な語呂合わせである。答えは『城の日』である!!ということで此度の戦国がたりは日々百名城巡りをし、一年に四十以上の城へ足を運んでおるこの前田利家が皆に勧める選りすぐりの城を三つ紹介致そう!此度は春の時期ならではの魅力があること、そして唯一無二の特徴がある城を選んで参った!春の行楽を考える折の助けに致すが良い!いざ参らん!!
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戦国時代の医療事情と、天下人にも認められた名医・曲直瀬道三殿について語ろうぞ!【前田利家戦国がたり】
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。これよりは儂(わし)の戦国がたりの刻である!!此度の題目は「戦国時代の医療について」である!いざ参らん!
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武士の読書とは?『源氏物語』に『平家物語』……古典は戦国時代の嗜み
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。皆は2024年の大河ドラマ『光る君へ』は見ておるかのう!世界的な古典である『源氏物語』の作者である紫式部の謎多き生涯が描かれておるのじゃが、京の都で繰り広げられる公家の勢力争いも確と描かれておって中々に見応えがあるわな。『源氏物語』は現世を生きる皆々にとってもなじみがあるものであろう。学校で一度は読んだことがある者も少なくないのではないか?『源氏物語』が出来上がったのはおよそ千年前。世界最古の長編小説ともいわれておる『源氏物語』、驚くのは登場人物の感情や行動に、現世を生きる者が共感できること。千年の時を隔てておるにもかかわらず、現代でも通じるものを感じ取れるのだ!そしてこれは日ノ本にとどまった話ではなく、異国でも『源氏物語』は共感を呼んで大人気となったそうじゃな。紫式部の表現力や観察力がいかに優れていたのかが分かるであろう。
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応仁の乱とは結局何だったのか?【前編】~ 思惑入り乱れる戦国の幕開けの戦はいかにして起きたのか~
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。これよりは前田利家の戦国がたりの刻である! 夏へと移りゆく過ごしやすい今日この頃であるわな。三月、四月と、年度の変わり目から黄金週間にかかる忙しい時季が過ぎてゆるりと息をつける者も多いのではなかろうか。旅行なんぞを楽しむにも誂(あつら)え向きで、皆が活気づくこの春の時季であるが、我らの時代にとってもあることが盛んに行われる時季だったのじゃ。そのあることとは、……戦である!
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応仁の乱とは結局何だったのか?【後編】~畠山のお家騒動、山名vs細川、そして巻き込まれた将軍家~
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。此度の戦国がたりは、応仁の乱解説の後編である!我らが生きた戦国時代の始まりとなった戦にもかかわらず、詳しく語られることが少ない応仁の乱について話して参るのじゃが、多くの勢力が絡む戦である為に、なかなか説明が難しい戦であるのじゃ。ということで此度は前後編に分けて解説を致しておる次第じゃな!後編となる今回は少しばかり込み入った内容になってまいる。後編を読むにあたって必要となる基礎知識は、前回の戦国がたりにまとめてあるで、まずは入門編である前編を読んでから此度の戦国がたりに挑むがよかろう。それでは応仁の乱解説後編、いざ出陣!!
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応仁の乱とは結局何だったのか?【番外編】~我が子の陣営ではなかった日野富子、振り回される足利義視、そして戦国大名の台頭へ~
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。此度の戦国がたりは、応仁の乱番外編である!前後編では応仁の乱の簡単な流れと、応仁の乱に至るまでの背景を解説して参った。複雑に絡む様々な原因や、権力者たちの思惑を紹介しておって、此度の番外編を読む助けにもなるで確と読んで参るがよかろう。して、此度の戦国がたりでは乱の最中に起きた出来事と、応仁の乱後の日ノ本が戦国時代へと進んで行った理由について話してまいろうと思う。それでは、いざ参らん!!
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現代なら大人気だったかもしれない? 山名豊国に毛利隆元、「武士らしくない」戦国武将について語る
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。これよりは前田利家の戦国がたりの刻である! 皆は大河ドラマ『光る君へ』は見ておるかな。高慢な人物に描かれがちな藤原道長様を、優しく人情味のある好青年のような、新たな視点で描いておるわな。確かに道長様にまつわる逸話には高慢さを示すものもあるが、感受性が豊かで優しく、それでいて大胆さが垣間見えるものも残っておって、故に道長様は公家の頂点に立つ存在ながら「武家のような性格」と評されることもあった。一般的な公家の印象とは一線を画した存在であったことは確かじゃろうな。 此度の戦国語りでは、公家の生まれでありながら武士が如き豪胆さを持っておった道長様と対照的に、「武士らしくない戦国武将」について紹介して参ろう!我らの時代、武士といえば豪快で勇猛なことが美徳とされ、戦国時代には多くの勢力が興り戦を繰り広げた時代であるが故に、荒々しい者たちが多かった。じゃが! そんな武士の中にも自信がなく謙虚で、争いを好まない者達もおったのじゃ。
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戦国武将のたしなみ!戦術眼を養う囲碁将棋について語る!
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。突然じゃが皆々は将棋や囲碁に触れたことはあるかのう。日ノ本の古き戦術遊戯で、現世では「ぼーどげーむ」なるものが流行っておると聞くが、その元祖とも言える存在じゃな。日ノ本の民になじみの深い遊戯じゃが、今再び人気が増してきておる。一番の理由は言うまでもなく、若き天才棋士・藤井聡太殿の活躍じゃな!史上最年少の記録を数多く持ち、令和六年七月の頭には史上六人目の永世棋聖の称号を最年少で獲得するなど、将棋の長い歴史の中でも特別なる才を見せつけ続けておる。藤井殿は尾張の出身なこともあって、タイトル戦が名古屋で行われる折には大きな盛り上がりを見せておるのじゃ。対局の中で藤井殿が食べる名古屋名物の甘味も注目を浴び、同じものを買い求める者で行列ができたりと一つの名物となっておるわな。囲碁も今大きく盛り上がっておって、こちらも若き天才・一力遼殿の躍進もあって注目を集めておる。一力殿は四年に一度の国際戦である「応氏杯世界選手権」にて決勝へと進み、これに勝利すれば日ノ本初の快挙となる!対局は来月となるそうだで、皆も応援いたそうではないか。囲碁や将棋を知らぬ者たちにはこれを機に興味を持って欲しいところであるが、そんな此度は我ら戦国武将のたしなみでもあった囲碁や将棋の歴史について紹介して参ろうではないか!それでは、いざ参らん!!
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【利家、岩村城へ行く】史跡探訪! 日本三大山城と、その城下町を歩く!
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。此度の戦国がたりは久方振りの史跡探訪の旅じゃ!!これまでも関ケ原や長篠、長久手といった古戦場や城へと足を運んでおるでまだ読んでおらぬ者は併せて読むが良かろう。して此度はなんと、織田信長様にも参陣いただいたぞ! 我が隊の縁の下の力持ちである足軽・太助も連れて参った。訪れたのは三大山城の一つ岩村城である!美濃国・恵那市にある、自然豊かで美しい城じゃ!見所も多く、山城としては登りやすくもあって山城の入門としても勧めの城じゃな。それでは早速、岩村城の魅力を紹介してまいろうではないか!いざ参らん!!
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夏こそ喰らえや「なごやめし」!美味なる名古屋名物は夏バテ対策にもなる!?
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。夏のさなか、休暇中に名古屋に参る者も多くあろう。して、皆が名古屋旅行をするならば何を一番の楽しみとする?ちと考えてみてほしい。日本最大級の城郭、名古屋城。日本一大きな水槽とシャチやイワシのトルネードが見られる『名古屋港水族館』。日本一の飼育種類数を誇り、世界に名が広まっておるイケメンゴリラ、シャバーニ殿を擁する『東山動植物園』。世界最大級のプラネタリウムがギネスなる百科事典に登録され、大人から子供まで楽しめる『名古屋市科学館』。他にもたくさんの観光地があって、日本一の称号を冠する場所もたくさんあるのじゃ。観光地が少ないとも言われる名古屋じゃが、実はそんなことはない。 じゃが!やはり、名古屋に来るいちばんの楽しみは、なごやめし、ではなかろうか! 名古屋といえばなごやめし。普段名古屋城にて多くの観光に来た者たちをもてなしておると、なごやめしが一番の目的と申す者たちが多くおる。日ノ本の民は食が好きじゃからな!名古屋に限らず、旅といえば食を楽しむものであると考えておる者も多かろう。儂もこの連載にて様々な話を記してきたが、実はあまり触れていなかったでな、此度はなごやめしを皆に確と紹介いたそうではないか!! 儂も足を運んだで、写し絵とともに紹介するぞ!
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まだ間に合う、夏の名古屋の楽しみ方!『西の丸御蔵城宝館』と『名古屋市科学館』を案内!
皆々、夏は楽しんでおるか?8月も終わりに近づいて参ったが、まだまだ暑いわな。夏の盛りを避けてあえて9月に長期の休みを取る者もおると聞く。特に今年はえらく暑かったで外に出られなかったという者も多いのではなかろうか。故に此度は、名古屋の観光地を二つ紹介して参ろうではないか!暑い日でも楽しめる場所故、夏の思い出つくりの参考にしてほしい!いざ参らん!!
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鉄砲と弓はどちらが強いのか!? 種子島の伝来が変えた戦の在り方と、城郭から見えてくる武器の移り変わり
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。暦の上では秋となったがまだまだ暑き日が続くわな。いつまでが夏で、いつからが秋なのか。はっきりとしないままゆるゆると移ろいゆくのが季節といえよう。我らが生きた歴史や時代も季節と同じように段々と少しずつ進んでいく、あるいは積み重なっていくもの。であるが、しばしば技術は急速に発展し、一つの出来事が大きく時代を変えてしまうことがある。それ以前とそれ以降では暮らしや文化が全くの別物になる、まさに転換期と呼べるもので、鉄器や火薬の発明や産業革命が最たる例であろう。日ノ本における大きな転換期もいくつかあるが、その中の一つに「鉄砲の伝来」が挙げられるであろう。各地で戦が起こり、混乱を極めておった戦国期の日ノ本を大きく変えた鉄砲。こたびの戦国がたりではそんな話をして参ろうかのう。
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関ケ原月間である!北の関ケ原、上杉家と最上家、そして伊達家の慶長出羽合戦について語ろうぞ
皆々!今年もついに、関ケ原の時期がやって参ったわな!!天下分け目の戦として名が知られておるこの戦が起きたのは、慶長5年9月15日。新暦で申せば1600年10月21日である。現世では旧暦の9月15日から10月21日を関ケ原月間などと申すこともあるそうじゃが、戦いの舞台となった岐阜県関ケ原町ではこの時期えらくにぎわっておって、様々な催しも行われておる。この戦国がたりでも関ケ原に足を運び、陣跡や決戦地、『岐阜関ケ原古戦場記念館』を紹介致したわな。関ケ原の戦いの経緯や古戦場のくわしき話はその時の記事を読んでもらうとして、此度はもう一つの関ケ原、について話してまいろう。それではいざ参らん!!
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乱世が始まったのは寒さが原因? 気温に左右された戦国時代の戦について
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。長く苛烈であった2024年の夏も10月に入ってようやっと終わりを迎えようとしておる。現世では地球温暖化の影響で段々と暑くなっておるそうじゃな。 我ら名古屋おもてなし武将隊は週末に名古屋城にて演武を執り行っておるのじゃが、今年の夏は熱中症の危険のために中止になることが多かった。現世では暑さによって様々な問題が起こっておるが、我らが生きた戦国時代は寒さによって命が危ぶまれる時代であった。現世とは対極の問題を抱えておったわけじゃ。此度は我らの時代の気温について話してまいろうかのう。
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戦国大名たちの起源をひもとく! 源氏・平氏・藤原氏と戦国武将の関係
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。令和6年の大河ドラマ『光る君へ』では紫式部が『源氏物語』を記す過程が描かれるとともに、藤原道長様を中心に繰り広げられる権力争いも見どころの一つであるわな。大河ドラマで描かれておるとおり、藤原家は道長様の時代に最盛期を迎えたのじゃが、始まりは飛鳥時代まで遡る。現世の皆が「虫殺す(645年)」の語呂合わせで覚えたと聞く“大化の改新”にて活躍した中臣鎌足が天智天皇より藤原姓を賜ったのじゃ。ちなみに、645年は天智天皇(当時は中大兄皇子)や中臣鎌足が時の権力者、曽我氏を滅ぼした乙巳の変(いっしのへん)が起きた年。政治体制の刷新は翌年の646年に始まったとされるで、近年は大化の改新とは645年ではなく646年で教えられることが増えてきたようじゃな。
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我らが「名古屋おもてなし武将隊」15周年である。前田利家、改めて名乗ろうぞ!
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。これよりは前田利家の戦国がたりの時である!「さんたつ」にて現世を生きる皆々に、我らが生きた戦国時代の蘊蓄(うんちく)やおもしろき逸話を伝えておるこの戦国がたり、うれしき事にまもなく開始から2年となるわな!この連載を訪れてくれておる者たちのなかに、儂(わし)の記事は幾度か読んだことあるが、そもそもこの武士は誰なんじゃと思うとる者はおらぬか?ということで此度は久々に儂の自己紹介と、我らに関する案内をいたそうではないか!それでは、いざ参らん!!
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