戦国時代に大流行した一向宗

一向衆とは仏教の一派を信仰する門徒たちのことを指す!

ざっくりとした教義は、「阿弥陀仏を信じれば極楽に行ける」といったものじゃ。

一向宗は浄土真宗を他称したものであって、元あった浄土宗との軋轢(あつれき)などが関係するが、一向宗の詳しい話は長くなってしまうが故にここでは割愛いたす。

戦国時代では、応仁の乱より続く戦乱と飢饉の世で救いを求めた人が多く信徒となったのじゃ。

これを指揮しておったのは本願寺顕如、信長様にとって最も難儀した相手と言っても過言ではない。

 

否、信長様に限らず戦国大名にとって最も難儀であったとすら言えよう。

何が難儀かといえば、

  • 死を恐れない戦いぶり
  • 調略や謀略が通用しない
  • 鎮圧しても戦果がない

以上のことが挙げられよう。

 

まず第一に彼らは極楽に行くことを目標としておるために、死を恐れない。これは士気がなかなか下がらないことを示しておる。これが誠に厄介なのである。

戦は士気が肝要で、故に戦は“初戦が七、八分”。初戦で戦の流れが決まってしまい、初戦で劣勢になると士気も下がって巻き返すのが難しいと言われておる。当時の戦は十分な指揮が取れておらぬことが殆どで、戦況不利と分かればすぐに逃げ出してしまう兵が多かったからじゃ。

然りながら一向衆にはそれがない。

死んでも極楽に行けると信じておる故に、戦況の如何によらず捨て身の攻撃を繰り返し、何度蹴散らそうと幾度となく立ち上がってくる、そして士気が下がらぬのを恐れてこちらの士気が下がる有様であった。

 

第二に、そもそもの目的が極楽へ行くことと、一向宗をもって己が手で支配をすることである為、調略で私欲をくすぐろうとしても一切の効果がない。長期的な国づくりではなく、目の前の支配からの脱却を目指しておることが多いのもその理由の一つじゃな。

 

第三に一向衆との苦しい戦いに勝ち鎮圧したとて、新しい土地が手に入るわけでも新たな戦力が加わるわけでもないのじゃ。
残るは荒廃した土地のみで、多くの犠牲と手間の対価は得られない。一向一揆が長引くことは国力の低下に直結してしまう誠に厄介な存在であったわけじゃ。

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我らが織田家も一向一揆には苦しめられ、中でも長島一向一揆は信長様にとって最大の危機であった。

三度にわたる大戦によって、氏家卜全殿、佐々松千代丸、佐治信方様、平手久秀様など多くの重臣と、織田信興様、織田信広様(信長様の兄上で家康殿が人質交換された時のお相手じゃ)、など信長様のご兄弟や織田一族の方々が討ち死になされたのじゃ。

長島一向一揆を鎮圧した後も、越前一向一揆や紀伊の一向一揆など、一揆の指導者である本願寺顕如を屈服させるまで長きにわたって織田家を苦しめることとなった。

その期間なんと十年!信長様はこの戦いの勝利によって、畿内統一を果たし事実上の天下人となった。

一向衆が治めた国、加賀

戦国時代勢いを見せた一向衆がなんと一国を治めるほど大きな勢力を持っておった地域があった。

それが現世の石川県、加賀国じゃ!!戦国の終わり頃には儂が治めることとなった場所じゃな!

1488年、加賀国では蜂起した一向一揆が守護であった富樫政親を自害に追い込み、実権を手にするのじゃ。

1580年に信長様の手によって鎮圧されるまで一向宗の支配は90年以上続いた。

それまでの間、越前朝倉義景や越後の上杉謙信殿と幾度も争い、領土を守り続けていたのじゃ。

 

実は儂が本能寺の変の後に、すぐに駆けつけることができなかったのも一向宗のせいなんじゃ……。当時加賀国の上、能登国を治めておった儂は本能寺の変に乗じて蜂起した加賀一向一揆の残党との戦が起き、その対処に追われておった。

その戦は「石動山の戦い」と言って日ノ本で見てもかなり大規模な戦であったぞ!

 

そして加賀が儂の領土となるのは賤ヶ岳の戦いの後じゃ。

じゃが実はこれには秀吉の黒い思惑があってな、賤ヶ岳の戦いにて柴田勝家様についた儂を訝しみ、一向宗の名残が強く反乱が起きやすい、支配が難しい土地をあてがって困らせてやろうと考えてのことだったんじゃな。

事実、同じく支配が難しいとされた肥後の国を任された我が好敵手、佐々成政は治政がうまくいかず一揆が起こってしまい責任をとって切腹しておる。

その後任となるのが加藤清正なんじゃな。

 

一方、儂はというと己が手で政治行うのではなく、領民たちに支配の責任を預けるという日ノ本唯一の手段で国をなんとかまとめあげ、後の加賀百万石へと続けることができたのじゃ!

おっと、問わず語りとなってしもうたな!

頭の話に戻るが、此度の戦国がたりは大河ドラマ『どうする家康』にも関わってきそうな話だで覚えておくときっとより楽しむことができるであろう!

戦国といえば猛々しい武士たちが印象強いと思うが、戦国の世を大きく左右した一向衆についても興味を持ってくれたら嬉しい限りじゃ!

これよりもおもしろき戦国のはなしを戦国がたりにて紹介して参ろう!

此度の戦国がたりはこれにて終い。

さらばじゃ!

文=前田利家(名古屋おもてなし武将隊)