加賀百万石の大版図、日本一の人口を誇っておった石川県

儂(わし)、前田利家について現世ではどのような印象があるかのう。

槍の又左、あるいは加賀大納言であろうか。

 

そう、加賀大納言なのじゃ!

 

治めし領国が儂の代名詞となるほどに、儂が築いた豊かで広大な領国は象徴的なものであったわけじゃ!

江戸時代においては日本一大きな藩として栄え、徳川家に次ぐ実力と地位を260年間守り抜いた。

江戸時代が終わったのちにも、華族侯爵家として新たに生まれ変わる日ノ本の中心にて活躍し、当時の日ノ本の長者番付の3位となるなどその勢いは続いていくこととなった!

 

無論、栄えておったのは当主である前田家だけではない。

実は明治前期に日本一の人口を誇っておったのは石川県だったのじゃ!

米もよく取れて、寺社も多く民が暮らしやすい活気ある地域だったわけじゃな!

因みに廃藩置県直後であった当時の石川県は、前田家の領国の名残で富山県と福井県を合わせた大きな県であり、それも人口が多かった一つの理由である。

 

現世においては金沢を中心に、日本海の海鮮をはじめとした『食』、金沢城や兼六園といった『歴史』、21世紀美術館が代表的な『芸術』と、多くがそろう観光名所として客人でにぎわう良き場所である!

お国自慢はこの辺りにして、これよりは現世にも栄える我が領国の見どころを歴史を交えながら紹介してまいろう!

この利家が築きし一大城郭、金沢城

はじめに紹介致すは、儂が築きし金沢城である!

元々この金沢には一向宗の拠点である金沢御堂があった。

約100年一向宗が支配する当主なき国であった加賀国を、柴田勝家様を筆頭とする織田家北陸方面軍が攻め落とし、紆余曲折の後に前田家の領国となった次第である!

加賀に入った儂は、金沢御堂のあった地に北陸の一大拠点を作るべく大きな城郭を築き上げた。

それこそが金沢城というわけなんじゃ!

この金沢城を見る折に、皆に注目してほしい場所がある。

それは、『石垣』じゃ!

加賀百万石の本拠に相応しい広大なる金沢城は『石垣の博物館』の異名を持つほどに、多くの種類の石垣がある。

紙一枚通らぬほどに精密に積まれておる『切込接』や大小の石によって組み込まれた『打込接』など、工法も数多あるが、赤い石と青い石を使った鮮やかな石垣や、火事が起こらないようにと願いを込めた六角形の石を用いた石垣などたくさんの工夫が見られ、訪れる者の目を楽しませてくれる。

じゃが無論、金沢城は石垣だけではない!

現存の石川門、菱櫓、鶴丸倉庫は重要文化財に指定されておるし、近年復元された橋爪門の美しく雄壮なる姿を見せてくれる。

金沢城名物の一つであるタイルのような『なまこ壁』も確と見ていってほしいわな!

そして金沢城の目の前には日ノ本屈指の観光名所、兼六園がある!

特別名勝、日本三大庭園で知られる兼六園は儂のひ孫である綱紀が築いた庭園で、日本の雅や趣が詰まった和の心を存分に堪能できる場所と聞く、春夏秋冬楽しめる場所故に金沢城と共に楽しむが良かろう!

金沢城の隣の美しい社、尾山神社

金沢城のすぐ隣に美しい社、尾山神社がある。

この神社は、儂とまつを祀る神社で金沢の観光名所の一つとなっておる!

尾山神社のステンドグラスが美しい神門は、和洋唐の建築様式が用いられる日ノ本で他に見ることができぬ独特のつくりである!

他にも本殿を囲む石垣にレンガを用いるなど、尾山神社が創建された明治時代としては誠に斬新そのものの神社である!

かぶきものと呼ばれた儂を表したかの如くであろう。

儂を祀る社の創建は我が嫡男・利長も考えていたが、江戸幕府への遠慮で他の社を移す名目での合祀となっていたのじゃ。しかし明治に入った折に我が領国の者達によって儂とまつの神社を創建するに至った。

江戸時代が終わり、武士の身分を失った藩士は生活に難儀しておった最中であろうに、実に豪壮なる美しき社を建ててもろうた。これはうれしいことこの上ないわな。

この社は儂とまつを祀っておることから縁結びや子孫繁栄、安産祈願で参る者たちが多くおって、木彫りのご朱印帳も人気があると聞いておる!

母衣を背負った儂の像もあるで一目見てゆくが良いぞ!
母衣を背負った儂の像もあるで一目見てゆくが良いぞ!

金沢城や尾山神社の周りには、映える甘味や抹茶が楽しめる茶屋街や様々な仕掛けが施される忍者寺こと妙立寺など、数多くの観光名所があるで併せて立ち寄ってほしい限りである。

和菓子の街としても名が高いが故に、和菓子に触れるのも良いであろうな!

他にも多くの美術館や、金沢特産の金箔細工など数え切れぬほどの魅力が詰まった金沢、訪れたことがない者にも幾度か行ったことがある者にも訪れてほしい場所である!

最後に能登を紹介致そう

此度の戦国がたりの最後に、我が領国の能登についても話して参ろうかと思う。

2024年1月1日。未曾有の大地震によって能登は今もまだ苦難の最中である。

能登は儂にとって殊更に思い入れが強い場所。

1581年、北陸攻めの功で信長様から能登国を賜り国持ち大名へとなった。

日本の大部分を手にし、数多くの優秀なる家臣が揃う織田家家臣団の中でも国持ち大名は格別なる存在。

尾張の小さな豪族の更に四男坊であった儂にとっては手に届くはずのない栄誉であったのじゃ。

当時の能登は名門・畠山家がいたものの、既に傀儡政権となり上杉からの圧力も激しい土地であり、ここを預けられるとは信長様による信頼の証と、心より喜んだのを覚えておる。

 

能登拠点は天下の名城としてしられた七尾城であった。

儂もはじめは七尾城に入ったのであるが、強固な山城であるが為に政治や商いをするには便が悪いと考え、新たに城を築くこととしたのじゃ!

 

それが小丸山城である。

一国の主として新たな城を築くことは言うまでもなく名誉なことで全力を持って取り組んだ。

 

後に秀吉に加賀を与えられてからは畿内へ近い金沢へ本拠を移したが、この小丸山城には儂が生涯で一番信頼しておった安勝兄上や以前戦国がたりでも紹介いたした重臣・長連龍に城を任せ、大切にしておった。

前田家の加賀百万石の第一歩は能登から始まっているのじゃ。

現世においては公園として整備がなされておって、以前訪れた折にも美しい姿を見ることが叶った。
現世においては公園として整備がなされておって、以前訪れた折にも美しい姿を見ることが叶った。

今は叶わぬ、じゃが再び能登の地の観光ができる日が来たら皆で足を運び盛り上げ、能登の歴史と美しい自然を体験してほしい。

先に話した七尾城は軍神・上杉謙信が幾度も攻略を断念したほどの堅城で登山としても城巡りとしても楽しめるようになっておるで、訪れてほしい場所の一つである!

 

儂も、必ず再び能登の地に参り、改めて皆に紹介致す所存である。

それが叶う日まで儂自身の戦を続けるのみじゃ。

 

此度はこのような折だからこそ、儂が治めし能登や加賀の魅力を皆に知らしめたいと思うた。

この戦国がたりがきっかけとなったらばうれしく思う!

儂はこれよりも戦国や歴史の話を皆に伝えて参るでな、次の戦国がたりもしかと読むが良い!

それではまた会おう、さらばじゃ!

文・写真=前田利家(名古屋おもてなし武将隊)