音楽の記事一覧

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ビートたけし『浅草キッド』を聴きながら六区とフランス座周辺の路地を歩いてみた。【街の歌が聴こえる・浅草編】
映画『浅草キッド』が話題である。その舞台は浅草、中でも浅草エンターテインメントの中心地「六区」である。曲がりくねった路地に吹く「六区の風」を感じながら、歌とともに浅草の栄枯盛衰を辿ってみたい。
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夢を追う若者が集まる下北沢に、なぜ私は苦手意識を感じるのか?
昔は下北沢へ行くとワクワクしたりもしたが、30歳を超えたあたりからは苦手になってきた。下北沢には夢を追うたくさんの若者たちが毎夜集っている。それは素敵なことかもしれないが、問題はそういう熱い若者たちの一部が私をひどく軽んじ、時によくわからない憤りを浴びせてくることだ。飲み屋で少し話しただけの若者から「お前みてえなヌルい奴が一番嫌いなんだよ」などと言われたこともあるし、軽いパンチや蹴りを食らったこともある。彼らからすると、私はおそらく社会のぬるま湯に浸かって目が死んでしまった、つまらない大人の一例で、パンク風鬱憤をぶつけるにはちょうどいい相手なのだろう。屈辱的な経験はいくらでもあるが、中でも決定的だったのは数年前、ある若手芸人の集団に出くわした夜の出来事だった。その日私は、知り合いの芸人が店長をやっている居酒屋でいい感じの女性と飲む約束をしていた。集合時間は24時と遅く、流れ次第では何かが起こるのではという下心もあった。
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吉田拓郎『制服』を聴いて東京駅地下道を歩く~都会という名の病【街の歌が聴こえる・東京駅/丸ノ内編】
イヤフォンから流れる『制服』や『赤いハイヒール』を聴きながら考えた。少女たちが東京駅に着いたその日、どこを歩き、どこでハイヒールを買ったのだろうか……と。
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『ハルノヒ』を聴きながら、野原ひろしがみさえにプロポーズした北千住を歩いてみた。【街の歌が聴こえる・北千住編】
最近はビールのCMでもよく流れている『ハルノヒ』って、じつは、2019年に公開されたクレヨンしんちゃんの映画の主題歌なのだな。歌詞の冒頭にでてくる北千住駅のプラットホームは、しんちゃんの父・野原ひろしが妻のみさえにプロポーズした場所だったという。
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魂を揺さぶる東京のロック酒場10店をピックアップしました! ボヘミアンな夜を楽しもう。
日本でも社会現象を巻き起こした伝説のロックバンド・クイーンの伝記的映画『ボヘミアン・ ラプソディ』が公開されて早数年。気づけば60年代のロック黄金期から半世紀も経っているが名曲というのはいつまで経っても色褪せないものです。ロックからルーツをたどりブルーズまで、あなたの魂を躍らす東京の音楽酒場10店をご案内します!
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日本一の楽器街・神保町で、お気に入りの楽器と出合える楽器店を紹介します
御茶ノ水は、繊細な楽器が揃うプロ御用達の店揃い。ギターやベースが目につくが、進化した楽器や知られざる民族楽器、扱いやすい楽器も多々ある。気になるものに出合ったら、遠慮せずに店員さんに声をかけよう。初心者向け教室を開く店も多く、音楽ライフのサポートも万全だ。
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西武新宿線の車内で屁をかいだ時、私は“持論”を熱く語り始めた
大学生の頃は居酒屋よりも人の家に集まって飲むことの方が多かった。バイトで月数万しか稼げず親から仕送りをもらっている自分が居酒屋で一杯何百円もするビールを頼むのは身の丈に合わない。居酒屋に金を落とすくらいならパチンコの軍資金にしたいとも考えていた。自分から人を誘うことは滅多にないが、友達から連絡がくれば喜んでどこへでもいく。その日は、同じ音楽サークルの竹谷という友人が住む武蔵関で飲むことになった。高田馬場で22時までバイトした後、電車に飛び乗り武蔵関へ。駅前の店でラーメンを食べ、コンビニで缶チューハイを2本買ってから竹谷の家へ到着した。すでにサークルの友人4、5人が集まっていた。車座になってよもやま話をしているうち、眠くなった者からフローリングの床に雑魚寝し、やがて朝になればひとりずつどこかへ帰っていく。深夜に集まって飲むのは好きだったが、翌朝の強烈な眠気や倦怠感がつらい。その日は午前中から講義である。重たい体を引きずり、友人と一緒に西武新宿線に乗り込んだ。ラッシュアワーは過ぎていたが座席が空いておらず、ドア付近に10人前後が立っていた。友達と並んで吊り革を持ち、ボーッと車窓を眺めていた時。ふと異臭を感じた。臭いからして、ほぼ間違いなく誰かのすかしっ屁だ。周りを見渡してみたが、近辺に立っている乗客はスーツを着たサラリーマンばかり。しかしこの中の誰かはシレッとした顔ですかしっ屁をこいている。せめて屁をこいた人はもう少し申し訳なさそうにしてくれないだろうか。
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あなたの「昭和40年代男子」チェック~特別企画 『大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた』発売記念~
雑誌『散歩の達人』の連載「失われた東京を求めて」のバックナンバーを「さんたつ」でも配信していくことになりました。今回は、2020年4月号、連載をまとめた単行本『大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた』が発売された当時のものです。どうぞお楽しみください!
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早稲田の杜に生まれた新しい文化の発信基地。10月にオープンした「村上春樹ライブラリー」に行ってみました
早稲田大学早稲田キャンパスに、早稲田大学国際文学館(通称:村上春樹ライブラリー)が10月1日に開館した。作家・村上春樹氏から寄贈された書籍や執筆関係資料、数万枚のレコードなどを所蔵。同キャンパスの4号館を改築した本館の設計は、建築家の隈研吾氏が手掛けており、扉をくぐると木を使ったぬくもりあふれる「階段本棚」が出迎えてくれる。隈氏は設計に際して「日常から突然違う世界に入ってしまう、トンネルのような村上文学の要素を意識した」とのこと。定期的に入れ替わる開架は、村上作品だけではなく、街や音楽、食にまつわる本などジャンルはさまざま。
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知らない音楽に出合える東京のバー3店とショップ4店。レコード・CD・楽器まで!未知なる体験を保証します!
酒を飲みながらアツい音楽論を闘わせるもよし、本格ステージの生音を楽しむもよし、懐かしいレコードを見つけるもよし。様々なセッションに、繰り広げられる優しくどこか懐かしい音色。日常に馴らされた耳をリセットし、まだ聴かぬ音楽に出合える場所をご紹介します。
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ベストコーデを身に着けて、私は何度も竹下通りを往復した
現在では上着、パーカー、ズボン、靴と上から下まで全く変化のない格好で1シーズンを通してしまえるようになった私だが、高校時代はかなりおしゃれに気を配っていた。週に何度かは帰り道に古着屋へ立ち寄って入荷をチェックしたり、休日には定期的に高松へ遠征して安い服を買い集めた。どこかへ出かける際は鏡の前で服を当てコーディネートを考えるのはもちろん、夜に近所の友人宅へ行くだけの時も帽子やグラサンを身に着けてチャリを漕いだ。努力の結果、中学時代の一部の友人の間でファッションリーダー的評価を得ることに成功する。しかし肝心の高校のクラスメイトからは一切おしゃれな奴だと見なされなかった。制服が指定されている高校では、他人と差を付けるアイテムといえば靴かベルトぐらいしかない。私がやたらと穴が開いたベルトを着用してみても、こだわりに対する反応は皆無だった。なんで、この靴とベルトのセンスの良さを察しないのか。私服の高校だったらモテるはずなのに。それが不満だった。悲しいことだが、田舎の進学校に過ぎぬ我が校の生徒はファッションセンスを見抜く力を持っていないのだ。そういえば、私の価値観からすると「なんでこいつが?」という奴がおしゃれだイケメンだと持て囃されることがあった。センスの未熟さゆえ、正当な評価が下されない現状が悔しい。おそらく私は、ハイセンスな都会でやっと評価され、花開くようにモテ始めるタイプなのだろう。いずれは進学で上京するつもりではあったが、その前に試金石となる旅行を計画した。高2終わりの春休み、オープンキャンパスに行くという名目で青春18きっぷを使い東京へ一人旅したのである。
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ジャガー星帰還記念爆笑インタビュー~市川のスター・ジャガーさんが『散歩の達人』に語った地元の魅力
先日ジャガー星に帰還したことが発表されたジャガーさんは、千葉じゃ天下無双のアーティスト。『散歩の達人』2019年8月号(市川・本八幡特集)では、ふるさと納税から投網まで、地球をざわつかせる華麗な“Jaguar 現象”を語っていただきました。ジャガー星への帰還を記念して、当時のインタビュー記事をお届けするのサ!
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上野駅が終着駅だった頃~『あゝ上野駅』『津軽海峡・冬景色』『暦の上ではディセンバー』の舞台を歩く【街の歌が聴こえる】
上野駅が始発・終着駅だった頃、東北地方から上京してきた若者たちは、このホームに到着した夜行列車を降りると、コンコースから真っ直ぐに歩いて改札を出て、東京の第一歩を踏みだした。そんな彼らの心情を唄った『あゝ上野駅』が発売されたのは、昭和39年(1964)5月のことだった。
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若者はポップなアロハを着て、搭乗時間ぎりぎりにやってきた
香川の実家へ帰る際、飛行機を使うことがある。私はあまり飛行機が好きではない。乗っている時間自体は短いが、空港へ行く手間、持ち物検査、搭乗までの待ち時間、そして飛行機を降りて目的地へ向かう手間など諸々面倒だし、結局時間がかかる。予約しないと乗れないのも嫌だ。その点、新幹線はいい。東京駅か品川駅へ行ってちょっと待てばすぐに乗れる。実家の最寄り駅への乗り換えもスムーズだ。しかし運賃が高い。飛行機なら、時期によっては半額以下ですんだりするから悩みどころだ。その時も実家に帰る用があったのだが、かなり金欠だった。飛行機を探したところ、10月の閑散期のおかげで6000円程度でチケットが取れた。空港は羽田ではなく、格安路線の多い成田である。成田空港へ行く方法にも何種類かある。一番楽で早いのは日暮里から京成スカイライナーだが、金欠の私は東京駅から直行バスという最安ルートを選んだ。
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「湘南サウンド」とは何なのか。裕次郎? TUBE? サザン? バブル前夜の音楽は「湘南」っぽかった?
『散歩の達人』2021年8月号では茅ケ崎のミュージシャンの話を音楽評論家・宮治さんに伺ったが、「湘南サウンド」と呼ばれる音楽は範囲が曖昧(そもそも湘南の範囲自体が曖昧)。そこには茅ケ崎以外のミュージシャンが含まれることも当然多い。
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音楽評論家・宮治淳一にきく、加山雄三とサザンを生んだ音楽の街・茅ケ崎と「湘南サウンド」の深い関係
今やサザンオールスターズが街の象徴の茅ケ崎。サザン以外にも加山雄三からSuchmosまで街に関わりの深いミュージシャンは非常に多い。茅ケ崎在住の音楽評論家にそのワケを聞いた。
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完全なる無人駅で過ごした、世の中から隔絶された1時間半
行きたい行きたいと思いながら行ったことのない場所がたくさんある。ロシアでオーロラ見てえなあ、インドでカレー食べてえなあ、車でルート66を爆走してみてえなあ、なんてことをよく友達と話す。他にどこか行きたいところなかったっけ、と考えている時、頻繁に脳裏に浮かんでくる場所がある。山間の草っぱら、どこを見ても誰もいない風景。私は一度そこに行ったことがあって、時々無性に行きたくなる。しかしそこがどこなのかはっきり知らない。
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【YouTuberみのインタビュー】ビートルズ体験、アメリカ留学、村上隆との出会いを経て、「邦楽の歴史を再編纂する」という天命を知るまで
YouTubeチャンネル「みのミュージック」をご存じだろうか。ロックバンド「ミノタウロス」として活動するミュージシャン・みのが、音楽ジャンルの解説やアーティストの紹介など、音楽を中心としたカルチャー情報を発信するチャンネルだ。その造詣の深さと独自の視点で人気を集め、チャンネル登録者数は30万人を突破。2021年3月にはフー・ファイターズのデイヴ・グロールが出演して話題を呼んだ。5月には初の著書も発表し着々と活躍の場を広げている彼の音楽の出発点は、ビートルズ。そして、アメリカのブルースバーでギターの腕を磨いてきたという経緯がある。世界、そして日本の音楽をどのように捉え、そして自分の活動をどう考えているのか、話を聞いた。
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ご飯がすすむポーク・ジンジャーが絶品! 歴史や文化が集まるカフェ。清澄白河の『Cafe GINGER.TOKYO』
清澄通りに立ち並ぶ旧東京市営店舗向住宅。その向かいのビルの2階に『Cafe GINGER.TOKYO(カフェ ジンジャー ドット トーキョー)』は店を構える。おしながきはパスタやタコライス、バターチキンカレーなど、いわゆるカフェめしが中心。店内はたくさんのレコードや本が置かれ、ギャラリーも有するユニークな空間だ。人気メニューのポーク・ジンジャーとジンジャーエールを堪能しつつ、店主の高山聡(あきら)さんに話を伺った。
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絶対私が正しくても、なぜ大垣はかたくなに認めないのだろうか?
私が属するバンド、トリプルファイヤーのドラム担当・大垣とは大学1年以来の長い付き合いだ。大垣はメンバーの中では比較的人当たりがよく陽気な雰囲気を持っているため、初対面のバンドと楽屋が一緒になった時などは彼の積極的なコミュニケーションに助けられる。メンバーで唯一、正社員として働いている常識人でもあるのだが、たまにちょっと変だなと思うことがある。今までの付き合いの中で気になったのは、時折私の主張をかたくなに認めない点だ。かなり前の話になるが、本番前の楽屋で「外食チェーンでどこが一番お金を掛けずお腹いっぱいにできるか」を論じ合ったことがあった。私の答えはずばり、「はなまるうどん」である。高校の部活の後、学校の目の前にあったはなまるに年百回は通った。かけうどん(小)が100円だったからだ。うどんが安いことで有名な私の地元・香川県でも、100円で食べられる店はそうない。無料の天かすを盛りまくり摂取カロリーを増やすこともできる。私は自信を持って「やっぱ100円でうどん食べれるはなまるが最強っしょ」と言った。そんな私の意見を大垣は「いや、さすがに100円はあり得ねえだろ」と簡単に切り捨てたのだ。大垣、お前は間違っている。現に私は100円で何百回も食べたのだから。しかし、私がはなまるヘビーユーザーだった頃からすでに5年が経過していた。直近で行ったおぼろげな記憶では30円値上がりしていた気もする。「そんでも大体100円だろ」と言い張ることもできようが、自説により正確性を持たせるため「あ、今は130円くらいだったかも」と付け加えた。しかし大垣は「だからそんな安くねえって」と歯牙にもかけない。しばらく行かないうちに大幅な値上げを断行したのだろうか。モヤモヤした気持ちは残るも、その日はそれ以上は食い下がることはできず終わった。後日はなまるうどんに行った際、念のためかけうどん(小)の値段を確認すると130円だった。やっぱ130円じゃねえか。なんであいつはあんなに自信満々だったんだ。悔しさがぶり返してきたが、今さら「かけの小、130円だったよ」と報告したところで、何の話だよ、気持ちわりいな、と思われて終わりだろうと思ったので言わなかった。またバンド遠征前日のスタジオ練習後、明日は早朝に大手町集合と確認していた時にも似たようなことがあった。私が「高田馬場から大手町なら東西線で6駅くらいだからけっこう近いよ」と言ったら、また大垣に「そんな近いわけねえだろ」とツッコまれ、みんなにも笑われたが、後で調べたらぴったり6駅だった。その時も「ほら、俺が合ってたじゃねえか」と言う機会は来なかった。そういうことが時々あるのだ。とりわけ強く印象に残っているのは、はなまるの件から数年後の2014年、徳島へライブ遠征に行った夏の日のことだ。
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