あ、疑われてる?

あれは20代前半、サラリーマンとして小さなIT企業に勤めていた時期だった。仕事終わりに同期と飲んでうだつの上がらない日々のストレスを発散し、気持ちよく歩いていた帰り道。時刻は24時過ぎだっただろうか、あと5mも歩けば家に着くという路地に警官が3人ほど固まっていた。

年配の警官が部下に指示を出している。無線で忙しなく連絡を取っている警官もいて、切迫した雰囲気が漂っていた。駅から少し離れたただの住宅街には珍しい光景だ。何か事件でもあったのかと下衆な好奇心が湧いて来るのを抑えながら横を通り過ぎようとしたら、「すいません、少しお時間いいですか」と若い警官に呼び止められた。現場付近の住民への聞き込み調査をする一環として話し掛けられたのかと思ったが、「年齢はおいくつですか?」「お仕事帰りですか?」と丁寧ではあるが個人的な質問をされて初めて、あ、俺自体がなんかの犯人だと疑われてる? と気づいた。

少しモヤモヤしたが、まともに答えていればすぐに疑いは晴れるだろう。気持ちを切り替え従順に対応してしばらく経った時、もう一人の若手警官が数メートル離れた場所に移動し、無線に話しかける声が聞こえた。

「サラリーマン風の男、確保しました!」

俺は確保されていたのか。2割程度疑われている自覚があったが、連絡を取っている警官の若干手柄を収めたようなテンションを見ると、思っていたよりも強く疑われているようだ。「サラリーマン風の男」という、なんらかの容疑者に対してしか使われない日本語も耳に残った。このスーツは変装と思われているのか。

数分も経たないうちに白いチャリに乗った警官が続々と駆けつけてきた。計7人ほどの警官が集まった頃、さっきから若手と私の会話をじっと見つめていた年配のベテラン警官が情報を集め終えたような顔で割り込んできた。「ついにヤマさん(仮名)が動いたよ」と頼もしそうに一歩後ろに下がる若手。ベテラン警官は初手から「この辺で事件あったんだけどさあ、なんか知らない?」と直接的な質問をぶっ込んできた。

若手警官たちがやり取りをチラチラ見ている。先輩の職質から学びを得ようとしているのだろう。何があったんですかと聞けば、要は下半身を露出した変質者が辺りに出没する事件が起きているとのこと。舐められたものだ。疑われるにしてももう少しかっこいい悪党に疑われたかった。

「俺の目を見て答えて」

ベテラン警官は若手よりも幾分高圧的な態度で接してきて嫌だった。悔しさとショックが表に出ないよう気をつけていたら「まっすぐ俺の目見ながら答えて」と言われ、なんでそんなことを強要されなくてはいけないのかと思った。

初対面の警官の目を直視しながら話すのはまあまあのストレスで、なんとか頑張って質問に答えたが、警官はギンギンの目でこちらを見ながら、「ああ、そうなんだ」「なるほどね」と聞いているのかいないのか分からない反応で受け流す。しばらくの受け答えの後、警官は、これもう言っちゃうけどというように少しの間を置いて言った。

「あのさあ、俺も長いことこの仕事やってるから、目見たら噓ついてるかどうかわかるんだよね」

なんなんだこいつはマジで! その態度こそお前に人を見抜く力がないことを証明していると言いたかった。もう苛立ちを隠すのが馬鹿らしくなって「一緒に飲んでた同僚に電話するんで聞いてみてくださいよ!」と初めて反論するような態度を見せたが、警官は私の言葉には興味を持たず挙動だけを心理学的に分析しているようでさらに腹が立った。

その後もしばらく取り調べは続いたが、20〜30分間ほど拘束された後、証拠が不十分だったのだろう、ようやく解放された。若手警官は「お時間取らせてしまってすいません!」と申し訳なさそうにしていたが、ベテランだけは古畑任三郎がヒントを摑んだ時のような表情で俯き加減にほくそ笑みながら何も言わなかった。

家に帰り着いてもベテラン警官の顔を思い出したら腹が立って仕方がなかったが、布団に入る頃にはいくらか気持ちが落ち着いていた。警官との会話を反芻しながら、会社でずっと仕事をしているフリをするだけの給料泥棒のような私に対して「サラリーマン風の男」という表現は言い得て妙かもしれないな、などと思った。

文=吉田靖直 撮影=鈴木愛子
『散歩の達人』2020年7月号より