人気俳優の熱演が光った『エール』。山崎育三郎、中村蒼ら豪華キャスト競演で話題になった美しい音楽ドラマ

まずは『エール』がどんなドラマだったか一気に振り返ってみよう。

主人公裕一(窪田正孝)は、内気な性格ながら幼少期から音楽の才能をみせ、高校時代にはハーモニカサークルで活躍。一度は夢を諦めるも、海外の作曲コンクール受賞や運命の人、関内音(二階堂ふみ)との出会いもあり、東京のコロンブスレコードの専属作曲家となる。その後、度重なる苦難を経ながらも幼なじみの歌手・佐藤久志(山崎育三郎)、作詞家・村野鉄男(中村蒼)らと福島三羽ガラスとして音楽業界で活躍する。戦前、戦中、そして東京オリンピック開催に沸く戦後の日本にエールを与え続ける裕一、それを支えた音夫妻を描く美しい物語だった。

阪神タイガースの歌、通称「六甲おろし」、夏の甲子園の大会歌「栄冠は君に輝く」、東京オリンピック開会式のために作られた「オリンピック・マーチ」などで知られる古関裕而が、主人公・裕一(窪田正孝)のモデル。それだけに、これらの名曲がどのような形でドラマに登場するかも注目を浴びた。ほかにも、故郷への想いが詰まったデビュー曲『福島行進曲』、古関初のヒット作となった『船頭可愛いや』、戦後の日本を明るく照らした『長崎の鐘』、大ヒットラジオドラマ『君の名は』のテーマ曲など、数多くの古関作品が『エール』に登場しドラマを盛り上げていた。今回はまずこれらの音楽のルーツとなった、古関の故郷であり裕一の故郷としても描かれた福島県福島市から妄想散歩を始めてみたい。

大正バブルの好景気に沸く福島。裕一(窪田正孝)が音楽に打ち込む環境を作った生家・喜多一の驚くべき財力

裕一(窪田正孝)は明治42年(1909)に福島県福島市の呉服店「喜多一」の古山三郎(唐沢寿明)の長男として生まれた。明治は45年で終わるため、裕一が幼少期を過ごしたのは大正の福島ということになる。

筆者が福島市を訪れたのは2020年秋。そこら中にポスターが飾られ、街はまさに『エール』一色だった。
筆者が福島市を訪れたのは2020年秋。そこら中にポスターが飾られ、街はまさに『エール』一色だった。

福島は江戸の頃より養蚕、生糸の生産が盛んで、明治には東北本線、奥羽本線の分岐点となり交通の要衝として飛躍を遂げていた。裕一が住んでいたのは福島市の中でも中心街で、裕一が生まれる2年前、明治40年(1907)に村々が合併、福島市が誕生している。その後大正バブルといわれる第一次世界大戦の軍需景気もあり、街は発展していく。裕一は、好景気に沸く福島で育っていったのだ。

福島駅前東口広場の古関裕而像。西口駅前広場にも古関裕而のモニュメントがあり、福島市周辺には古関裕而の関連スポットが実に多く散歩しがいがある。
福島駅前東口広場の古関裕而像。西口駅前広場にも古関裕而のモニュメントがあり、福島市周辺には古関裕而の関連スポットが実に多く散歩しがいがある。

今回、裕一のモデルである古関裕而、出生の地を訪れてみるとあらためて彼が「お坊ちゃま」だったことに驚かされる。というのも、古関の生家「喜多三」があった地は、銀行や呉服屋が並ぶ「福島の銀座」といわれた中心地。今もJR福島駅から歩いて徒歩8分、駅前の商店街を抜けた好立地だが、当時はこのメイン通りに軽便鉄道が通っていたというから、人の往来も多くさぞ賑わいをみせていたのだろう。

喜多三には当時珍しかったレジスター(東北で2台目の導入)もあったという記録も。『エール』では三郎が裕一誕生のお祝いにレジスターを買ってきていたが、古山家はそんなことができてしまうほどのお金持ちだったのである。ドラマでは裕一が当時人気を博した楽譜「セノオ楽譜」や卓上ピアノといったものを買ってもらうシーンもあったが、明治維新から半世紀ほどしか経っていない当時、東北の片田舎でも音楽に没頭できたという事実はことのほか大きい。この裕福な環境が稀代の大作曲家を生むことになったのだ。

現在、「喜多三」の跡地には「古関裕而生誕の地記念碑」が建てられており、福島の観光スポットとなっている。そして、この記念碑から福島駅へと戻る途中にも目にすることができるのが、福島の人にとってはおなじみの地方銀行「東邦銀行」の看板だ。

実は裕一が若いときに勤めた川俣銀行は実在し、現在、東邦銀行川俣支店となっている。音楽をする環境こそ整っていたが、母方の権藤家の養子となり川俣銀行を継がなくてはならないという“立場”があった裕一。『エール』では物語序盤、裕一の葛藤が丹念に描かれていた。今でこそYouTubeはじめさまざまな方法で自分の音楽を表現でき、住む場所に関係なく作品を発表できるが、当時の福島で作曲家として成功しようというのは夢物語でしかなかったろう。それだけに、無心で楽譜に向き合い独学の知識だけで海外のコンクールに入賞した裕一、また彼のモデルである古関の才能に驚かされる。

この記念碑から歩いて30分、車で7分ほどのところに「福島市古関裕而記念館」がある。こちらにはラジオドラマ『鐘の鳴る丘』などで古関裕而が使用したハモンドオルガンや、直筆の楽譜といった貴重な品々が数多く展示されている。昭和歌謡を知る人はもちろん『エール』ファンなじみの曲の貴重な資料が残っているので、機会があればこちらまで足をのばしてほしい。

オープニングに使われている「福島聖ステパノ教会」。幼き日の裕一、音が運命的に出会った川俣にある教会もここがロケ地で、古関裕而生誕の地記念碑から歩いて5分のところにある。
オープニングに使われている「福島聖ステパノ教会」。幼き日の裕一、音が運命的に出会った川俣にある教会もここがロケ地で、古関裕而生誕の地記念碑から歩いて5分のところにある。

『エール』第1話でも描かれた『オリンピック・マーチ』誕生秘話。東京オリンピックの開会式に裕一は何を思ったか

場面は変わり、東京へ。裕一は東京でさまざまな「マーチ」を作曲したが、なんといっても「オリンピック・マーチ」が彼の代表曲だ。ドラマ第1話ではオリンピック開会式の様子が描かれ、物語のクライマックス、最終週でもこの曲は大きく扱われることとなった。

昭和39年(1964)、東京オリンピック開会式が行われた国立競技場のスタンドに立ち、裕一はどんなことを想ったろうか。『エール』では早稲田大学応援歌「紺碧の空」を作曲するシーンが細かく描かれたが、裕一はほかにも応援歌の名曲を数多く世に残しスポーツとも深い関わりを持つ作曲家だった。それだけに、スポーツの祭典のオープニングを飾る曲への想いは並々ならぬものだったろう。『エール』では裕一が曲作りに悩む姿も見どころだったが、毎度作曲のプレッシャーと戦ってきた彼にとって『オリンピック・マーチ』は集大成と呼べる曲だったのではないだろうか。

そしてこの晴れやかな舞台、国立競技場に立った裕一の胸には、戦争で散った若者への想いも去来したのではないか。そう考えるのも邪推ではないだろう。というのも東京オリンピックの21年前、昭和18年(1943)、この国立競技場の前身・明治神宮外苑競技場では学徒出陣壮行会が開かれているのだ。裕一は「露営の歌」、「若鷲の歌」といった戦時歌謡を作曲していたこともあり『エール』では太平洋戦争がしっかり描かれた。裕一が戦地に赴いた場面はあまりに印象的。太平洋戦争を朝ドラ史上もっともリアリスティックに描いたことも話題になった。戦意高揚の曲をたくさん作ったことで心を痛める裕一の姿に、胸を締め付けられた視聴者も多いはずだ。これら悲しい歴史を乗り越えて迎えた東京オリンピックは、裕一にとってもそして日本という国にとってもあまりに大きなイベントだった。清々しさと切なさ、なんとも言えない感情があの勇壮にしてエモーショナルな「オリンピック・マーチ」を生みだしたのだ。

今回、その開会式の舞台、2019年に完成した新国立競技場の周りを散歩してみた。2020年東京オリンピック開会式が開かれるはずだった場所でもある。建築中の様子を遠くから眺めていたが、近くに来るのは初めてだ。デザインした、隈研吾が「杜のスタジアム」をコンセプトにしたというのもなるほど納得、緑あふれるスタジアムは写真で見るよりずっと美しかった。この綺麗なスタジアムを目にしたら裕一も笑顔で、新しいオリンピック・マーチを作ってくれたかも。1周15分ほどの道のりを歩いているうちにそんな妄想が膨らんだ。

JR千駄ヶ谷駅・地下鉄大江戸線国立競技場駅からすぐ。2019年12月21日には豪華アーティストや有名スポーツ選手が集い盛大なこけら落としイベントが開かれた。
JR千駄ヶ谷駅・地下鉄大江戸線国立競技場駅からすぐ。2019年12月21日には豪華アーティストや有名スポーツ選手が集い盛大なこけら落としイベントが開かれた。
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「激動の時代、昭和」という言い方をよくするが、裕一はまさに激しく揺れ動く昭和という時代を生き抜き、そこに彩りを添える美しい曲の数々を残した。たくさんの困難を乗り越えて作られた『エール』は彼の葛藤と苦悩、そして成功までの道のりを見せてくれる見事な作品だった。目を瞑ると数々の名場面が蘇る。巨大な国立競技場の前に立ち大きく深呼吸。イヤホンなどしていないのに盛大な「オリンピック・マーチ」が聴こえた気がして、知らず知らずのうち一歩一歩が大きくなっていた。

文・写真=半澤則吉 参考文献=福島市ホームページ/『古関裕而』青山誠著(KADOKAWA)/『連続テレビ小説エールPart1.2』(NHK出版)