「万引き」の同調圧力に耐えた中学生の自分をほめてあげたい
中高時代、私が信奉していたバンド、ブランキー・ジェット・シティの「D.I.Jのピストル」という曲の一節に「何かとっても悪い事がしたい」という歌詞がある。一時期の私はブランキーのボーカル、ベンジーの言うことは全て正しく、自分をベンジーに擦り寄せていきたいと思っていたので、「D.I.Jのピストル」を聴くたび、「何かとっても悪い事がしたい」という感覚が自分の中に存在しないことを再確認してはひどくがっかりしたものだった。ロックには、社会からはみ出してしまうことを気高いもの、美しいものとする価値観がある。すごく才能がある人というのは一般人にはおよそ理解できない無軌道な衝動を抱えていて、それが思春期に盗んだバイクで走り出したり、校舎の窓ガラスを壊して回るような破壊的行動として発露するのだ。そしてそういった衝動を持つ者だけが群衆の中から突出し、独自の作品を世に残すことができる。「悪い事がしたい」という衝動が一切湧いてこない自分には才能がないのかもしれない――。そう考えながら私は多感な十代を過ごしたのである。そんな私にも人並み程度には悪い事をしそうになった経験がある。たとえば、万引きをするかどうかの瀬戸際に立たされた日があった。