散歩の記事一覧

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リニアも望める富士見の山、高川山【東京発日帰り山さんぽ】
『散歩の達人 日帰り山さんぽ』より、旅先で気軽に楽しめる散歩コースを紹介。歩行時間や歩行距離も明記しておりますので、週末のお出かけにご活用ください。御坂山地の東の外れにある高川山は、初狩駅から2時間程度で上がれ、山頂からの展望は360度。もちろん富士山も。おまけにリニア実験線も見える。<山梨県・大月市>
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1月だし神社仏閣めぐりでもしない? 根岸・入谷・竜泉で年始めにふさわしい宅建デートコースを。
「1月だし神社仏閣めぐりでもしない?」1年の始まりにふさわしいデートコースだ。いや、散歩コースか。この間「デートはしていない」って言われた!!! けど、オレ的にはデートなんだ!!!諦めないぜ。今回は待ちに待ったラブホ街。鶯谷駅で待ち合わせだ。そして土地柄「ラブホとホテルの差って何なん?」みたいな話もしようじゃないか。待ってろよ、エルボー!!!
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電車のドアの「イテテテ」デザインについて考える
「自分が痛いわけではないが、見るからに痛そう」という状況がある。タンスの角に足の小指をぶつけた人などはその典型的な例で、見ているこちらが思わず「イテテテ」と声をあげてしまう。そのような「イテテテ案件」が、街の中には潜んでいる。私が子どもの頃から、見るたびに「イテテテ」と呟いてしまうのが、電車のドアに貼られている「開くドアーに注意」というステッカーだ。
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豊田駅からはじめる豊田・日野・高幡不動さんぽ〜新選組のふるさとを訪ね歩く歴史の道〜
黒川段丘の緑豊かな公園を歩き、新選組ゆかりの地へ向かう。日野宿は、近藤勇や土方歳三、沖田総司らが出会った天然理心流の道場があった地で、都内で唯一残る江戸時代の本陣跡や資料館でその歴史にふれることができる。幕末ロマン幕開けのエリアを歩く。
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埼玉県加須市『理容あいりがっと』の看板猫、エースちゃんたち
今回訪れたのは埼玉県加須市。看板猫がいると聞いてやってきたのはこちらのお店。かわいらしい建物におしゃれな庭のある『理容あいりがっと』さんだ。
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「あけおめ」は同じ時代を生きた“戦友”にこそ!ギャル語「きまZ」解説のおまけ付き
「さんたつ」をお読みいただいている皆様、あけましておめでとうございます。国語学者の小野正弘先生が、身近なことばを解説する本連載、2022年は「あけおめ」で幕開けします。ことばの略形には、私たちがふだん意識しない深~い背景がありました。
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茨城県『竹内農場西洋館』。田畑の先の林には、レンガ造りの洋館が眠っていた。
年末、この時期になると取引先の挨拶回りに出かけます。茨城県竜ヶ崎市には空撮でお世話になる竜ヶ崎飛行場があり、そこへ行くついでに何気なくネット地図を眺めていると「竹内農場西洋館」という史跡マークを見つけ、「あ、いつも空撮へ行くときに走るバイパス道路のすぐ近くだ。どれどれ」と史跡マークをクリック。「ヲお……」思わず声を漏らしてしまいます。PC画面に映し出されるのは、朽ちたレンガの建物! 林の中に屋根が崩れ落ちたレンガの廃屋が佇んでいる。ああ、江戸川乱歩の小説に出てくるような「繁栄した一族の栄華が染み込んだ洋館の廃墟」のような風格です。かつては瀟洒な洋館であった廃墟。それが、身近なところの近くにあるとは。飛行場への挨拶の前に、さっそく訪れてみました。
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能町みね子著『ほじくりストリートビューザ・フューチャー』の、「フューチャー」ってなんだ!?
能町みね子さんの人気連載「ほじくりストリートビュー」をまとめた単行本『ほじくりストリートビュー ザ・フューチャー』が12月17日より全国書店で発売中! ストリートビューを眺めて見つけた変な地形、かわいい集合住宅地、おかしな看板……。散歩の動機にするにはいささかニッチすぎる場所に能町さんが実際に出かけ、あれやこれやと観察し、歩き、文字通りデジタル地図の中から「ほじくる」ように実踏レポートしてきた数々のスポットが、書き下ろしページも加えて全40編(+コラム3編)収録されている。
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笑う顔には福来る──街角の〈顔パレイドリア〉現象
少しばかり更新が早いですが、新年最初にふさわしいお題は福笑い。どういうわけか「顔」に見えてしまう街角の楽しい仲間たちをご紹介します。おっとその前に。一応学術的な講釈もしておきましょう。視覚的な刺激や聴覚的な刺激を自分のよく知っているパターンで認識しようとする現象を心理学用語で「パレイドリア現象」と言います(世間ではこれを「シミュラクラ現象」と呼ぶ人も多いのですがこれは日本だけの俗称なので今日からは正しく「パレイドリア現象」と覚えてください)。三つの点が逆三角形に並んでいるとなぜか目と口に見えてしまうのは「顔パレイドリア」。今回取り上げるのはまさにその現象です。
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「すみません」は謝っているようで謝っていない、でも相手を気づかう不思議なことば
日常生活のさまざまなシーンで使い勝手の良い「すみません」という言葉。実は、同じく謝罪を表す「ごめんなさい」とは180度異なる謝罪の表現でした。国語学者の小野正弘先生が、詳しく解説してくれました。
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北参道は落ち着いた暮らしとトレンドの先端! 二兎を追える“ダガヤサンドウ”ライフ
西は明治神宮、北は新宿御苑、東は国立競技場と、緑に囲まれた北参道エリア。2008年の地下鉄副都心線開通以降、北参道~千駄ケ谷のあたりは「ダガヤサンドウ」と呼ばれ、おしゃれなアパレル店やカフェもじわりと増加中だ。個性的なヴィンテージマンションや落ち着いた住環境をもつファミリー向けマンションなどが点在するこのエリアの暮らしを、想像しながら散策した。
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ビートたけし『浅草キッド』を聴きながら六区とフランス座周辺の路地を歩いてみた。【街の歌が聴こえる・浅草編】
映画『浅草キッド』が話題である。その舞台は浅草、中でも浅草エンターテインメントの中心地「六区」である。曲がりくねった路地に吹く「六区の風」を感じながら、歌とともに浅草の栄枯盛衰を辿ってみたい。
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お笑いが楽しくなる「ばか」「あほ」の真実! 「東西で言い方が違う」説は間違いだった!?
年末年始、お茶の間の風物詩といえばテレビのお笑い番組。関東のコント師から「ばか」、関西の漫才師からは「あほ」と、軽快なツッコミが飛び交います。地域でことばが変わる理由、日本語ならではの微妙なニュアンスを、国語学者の小野先生がふか〜く解説してくれました。お笑いで頻繁に使われる理由がよくわかります。
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空っぽのガラスケース、〈水槽型〉無言板のある風景
町内会の掲示板といえばたいてい屋根付きのむき出し看板ですが、公民館や信用金庫の前でよく見かけるガラス張りのポスターケースは最強の屋外用掲示板といえるでしょう。雨風からポスターを守る防水性能はもちろん、錆びないステンレスのフレームに強化ガラス、夜間に内部を照らすLEDライトを内蔵するなど贅を尽くしたハイエンドな仕様はクルマにたとえるならスーパーカー。値段も桁が違うはずです。通常何かポスターが掲示されているときにはその造作に気を留めることもないのですが、写真のように掲示物がないと急にその存在感が際立って見えてくるから不思議です。
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ただようケムリは昭和の日常、令和の嫌われ者。
今日はタバコの話を書きます。ちょっと待った、早まってページを閉じないで。「昭和ホメ→タバコの話→タバコ礼賛」だろう、って読む前に判断しないしない。公共空間での禁煙や分煙の流れは私もおおむね同意していますし、よいことでもあると思っています。今回は単に、それが生活の中に深く根付いた時代を、知識としても、体感としても分かっていたほうが、街の過去を知るには良い場合があるよ、という話をしたいだけです。
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逆お椀型の単独峰、山梨県の要害山へ【東京発日帰り山さんぽ】
『散歩の達人 日帰り山さんぽ』より、旅先で気軽に楽しめる散歩コースを紹介。歩行時間や歩行距離も明記しておりますので、週末のお出かけにご活用ください。上野原駅の北部には能岳、八重山、要害山など手軽なハイキングコースがある。特に要害山は逆お椀型の山容で、別名おっぱい山といわれる。 <山梨県・上野原市>
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整骨院入り口のガイコツに、物申したいことがある
突然だが、あなたは街でいきなりガイコツに出くわしたらどうするか。恐らくほとんどの人は、驚いて腰を抜かすに違いない。この世にガイコツがいて違和感がない場所など、お化け屋敷か理科室の棚くらいのものである。私自身、幼少時に東京ディズニーランドのアトラクション「カリブの海賊」で怖いガイコツに脅かされて以来、ガイコツとはあまり相性が良くない。
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飯田橋・牛込神楽坂散歩コース!絶景奇景ほっこり穴場を上り下りする、神楽坂下さんぽ
飯田橋から神楽坂にいたる丘陵地帯は、ビジネスマンや観光客が足しげく訪れる繁華街。江戸にさかのぼる渋い街並みと、新たな絶景ポイントとの取り合わせが楽しい。
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達人考案、神楽坂・江戸川橋散歩コース!地元感満載の裏筋に新スポットを探る、神楽坂上さんぽへ
大久保通りから先の神楽坂は地元の住宅エリアだが、江戸川橋方面の裏手に新しい店が次々誕生中。庶民的な住宅地をゆるゆる歩くと、新たな顔が見えてくる。
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瀬古賛歌~なぜ瀬古利彦以上に有名なマラソンランナーは現れないのか?
今の若い人はスポーツ新聞を買うことなどないだろう。うちは一般紙の他にスポーツ新聞も購読していた。僕が子どもの頃、中京や関西地区だとまた違うだろうけど、スポーツ新聞の一面は決まってジャイアンツ。大人の時候の挨拶は天気か野球だった。ほんとに。巨人の監督が変わるときは総理大臣が変わることと同じぐらい重要とされる時代だった。当時の日本の一般成人男性のマジョリティは「既婚・喫煙者・巨人ファン」だったのではないか。ときは流れて現代ではマイノリティーになった。つくづく価値観とか「当たり前」とか「フツー」とかって、変わっていくものだと思う。子どもだった僕が記憶する、巨人以外のスポーツ新聞の一面はふたつしかない。ひとつは山口百恵の結婚。「三浦友和は山口百恵のこと好きなの?」と親に真顔で聞いたことを覚えている。もうひとつは瀬古利彦。さあ今回の本題です。この人以上に有名なマラソンランナーは現れていない。おそらく僕の世代で「あなたがいちばん好きなマラソンランナーは?」という質問があったら、二大会連続メダル獲得の有森さんでも国民栄誉賞のQちゃんでもなく、瀬古の名前を挙げるはずだ。子どもの頃に、それぐらい刷り込まれた。わりと瀬古好きの僕は彼の文献をいくつも読んで詳しい。ちょっと語らせてほしい。1976年3月、一浪して早稲田大学に入学した瀬古利彦に運命の出会いがあった。当時62歳の中村清だった。中村は1913年、日本占領下のソウルに生まれた。靴さえない極貧家庭に育ち、36年のベルリンオリンピックに1500メートル代表で出場。太平洋戦争では陸軍憲兵隊長。戦後は母校である早大の駅伝コーチを無給で買って出て、ヤミ市で横流しして得た財産をすべて選手の食費などにあてた。この世代だからもちろん選手を殴るのは当たり前。伴走車で轢き殺そうとすることもしばしばだった。東急の監督を7年間務めたがこれといった選手を育てることは叶わなかった。その後、弱体化していた早大競走部の監督に就任した際、瀬古が入部する。中村は選手たちと初めて会った合宿の寮で、彼らに頭を下げた。「早稲田が弱くなったのはおまえたちだけの責任ではない。面倒を見なかったOBも悪かった。代表して謝りたい」そう言った直後、自分の顔を殴り出し、鼻血が出てもなお続けた。壁に何度も頭を打ち付けて、血を流しながら「私の陸上への思いはこの通りだ!」と叫んだという。グラウンドの土を食べたこともあった。今回この原稿を書くため、改めて文献を漁ったところ、「おまえたちのためなら何でも食べる」と言いながら食べた説と、「この土を食べれば世界一になれると言われたら、おまえらは食べることができるか?」と言いながら食べた説と、本によって微妙に異なっていた。たぶん中村は少なくとも2回以上、土を食べたのだろう。えーっと、イッちゃってますね(言葉を選びました)。多くの選手が中村の“奇行”(※温厚な言葉に置き換えました。)に呆然とする中、若き瀬古は引き込まれた。中村もすぐに瀬古の才能を見いだした。瀬古は中村の自宅の敷地内にあるアパートに住むよう命じられ、衣食住を共にした。六畳間にはテレビもラジカセもない。中村が部屋の鍵を持っているため常に監視下にあった。瀬古が散歩に出ただけで、中村は「瀬古には未亡人でもいるのか」と探った。瀬古がポルノ映画館に逃げ込むと、角刈り頭の瀬古の隣に男が来て手を握られた。中村の教えは常に狂気に満ちていた。練習の前後に聖書や正法眼蔵から用いた説教が2時間。選手が自分のことを理解していないと憤るあまり、地団駄を踏みすぎて足を骨折したこともあった。瀬古には大会の10日前からオナニー禁止(中村は学生結婚だったが現役時代に夫婦生活はなかった)。毎日80キロ走らされた。スパルタどころではない。瀬古に人権はなかった。瀬古は中村の期待に応えた。めきめき実力を伸ばし、3度目のマラソンで福岡国際マラソン優勝を果たした。「瀬古は神様がくれた宝物」と中村は喜んだ。中村には娘が4人いたが、「『日本沈没』(1973年発表の小松左京のミリオンセラー)の日が来たとして、誰かひとりを助けられるとしたら瀬古を選ぶ」と言い放った。
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