景色は風のなか

作家・貝塚円花による、Web「さんたつ」初の小説連載。実在の街を舞台に、時の移ろいの中で変わりゆく街の景色、変わらないものを捉えます。

*主な登場人物*
米沢紗凪(第1話、第4話 語り手)
幼いころに亡くした母の面影を求め、母が通っていたのと同じ大学に進学した。K-POPアイドルの動画を見たり、流行のコスメを集めたりするのが好き。

林康太郎(第2話、第5話 語り手)
大学進学に際し札幌から上京した。音楽サークルに所属していて、ライブではベースを担当することが多い。頼まれると断れない性格。

広末絢実(第3話、第6話 語り手)
パートタイムの事務員として札幌の役所を転々としている。数年前に離婚し、いまはひとり暮らし。趣味で短歌を作っている。

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第6話「すれちがう人々の」~後編~/小説連載『景色は風のなか』17(最終回)
案の定なかなか寝付けず、朝方ようやく眠って、起きたときはチェックアウトぎりぎりの時間だった。朝食を食べ損ねたが、仕方ない。慌てて荷物をまとめ、身支度を済ませ、ホテルを飛び出す。午前中の光がまぶしい。街はすっかり人々でいっぱいになっている。働きに出る人々、学校へ向かう人々、遊びにやってきた人々。間を縫うようにゆらゆらと歩く。改札を抜け、乗るべき電車へ向かう。オレンジの標識を探し、東海道線へ。ホームに立って、周りを見回す。わかっているけれど、浜野くんらしき人はいない。

この連載の記事一覧

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第1話「光の日々を」~前編~/小説連載『景色は風のなか』①
駅を出た途端、黄色い「学生ローン」の看板がでかでかと並び立っているのが目に入り、足が思わずすくんだ。あんなに目立つところにあるってことは、在学中、お世話になる人も多いんだろうか。おろしたてのスーツが肩の辺りでごわつくのが急に気になりだしたけれど、信号は既に青になっていて、雑踏に押されるようにそのまま歩き続けるしかなかった。
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第1話「光の日々を」~後編~/小説連載『景色は風のなか』②
ピアノは母が習わせてくれていた。父のところへ引き取られてしばらくしてから、それを知った父が近所のピアノ教室を探してくれたが、私は練習しているときに母が隣で一緒に弾いてくれるのが好きだったので、新しい教室ではさぼりがちになってあまり上達しなかった。最後に弾いたのは六年生のクラスの合唱コンクールで、クラスに私しかピアノを弾ける人がいなかったので仕方なく引き受けた。他のクラスの伴奏担当はもっと上手なのを知っていたから本番ではよけい緊張して、簡単なはずの場所でなんども間違えた。
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第2話「この眠りから醒めたら」~前編~/小説連載『景色は風のなか』③
ぼくのモラトリアムはまだ息をしているらしい。在宅勤務と週末が重なって、四日ぶりに結んだネクタイは何度直しても歪んでいた。母親の手弁当を持ってかつて通学に使っていた東西線で大通駅まで向かっていると、大学時代を通り越して、むしろ高校生に戻った気分にさえなる。時の流れを感じさせるのが、街の変化ではなくて、乗客たちの顔を半分覆うマスクだというのが皮肉だけれど。
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第2話「この眠りから醒めたら」~中編~/小説連載『景色は風のなか』④
はやりのリモート飲みというやつをぼくらもやってみようぜ、というわけで、数ヶ月ぶりにぼくらはオンライン上で集まった。メンバーは同じサークルで幹部仲間だった安田と柳本。安田は大企業に就職して、いまは配属先の福岡にいるらしい。柳本は学生時代からやっていた音楽メディアのバイトを足掛かりに、ライターとして活動している。
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第2話「この眠りから醒めたら」~後編~/小説連載『景色は風のなか』⑤
広末さんの言っていた「知り合いの店」というのがまさか美容室だとは思っていなくて、グーグルマップ上の目的地についたぼくはしばし呆然としていた。雨とランプ、という風変わりな店名も相まって、完全に喫茶店かなにかだと思い込んでいたのだ。
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第3話「ぶどうを煮た夜」~前編~/小説連載『景色は風のなか』⑥
十月の人事異動で林さんが東京へ出向することが決まったと、課長からわたしたちパート職員に伝えられたのはたったの一週間前で、彼をあてにしていたいくつかの業務をまとめてこなすことになりここ数日はとても慌ただしかった。わたしだって人のことはぜんぜん言えないが、他のパートさんはみんなパソコンが苦手で、エクセルの関数はおっかなびっくり、マクロなんて言われた日にはもうお手上げだ。いつ人が替わっても大丈夫なようにと林さんがマニュアルを作ってくれてから作業量の不公平感はいくらかマシになったけれど、家庭がないという理由で残業はわたしばかりがやる状況までは改善されなかった。
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第3話「ぶどうを煮た夜」~中編~/小説連載『景色は風のなか』⑦
このまま三角山の麓まで歩いてみたっていい、とぼんやり考えていた気がするけれど、実際には国道に突き当たったところで引き返したのだった。たぶん、それがセイコーマートのあたりだったはずだ。そう、たしか、買ったのはグミだったはずだ。ぶどう果汁のグミが棚にひとつだけ残っていて、思わず手に取った。
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第3話「ぶどうを煮た夜」~後編~/小説連載『景色は風のなか』⑧
国道から家の方へ通りを戻っていくうちに、そういえばいつもと何か違う、と考えて、警笛が大きく聞こえすぎるのがおかしいのだ、と思い当たった。普段なら近隣の酒屋や質屋の宣伝が絶えずスピーカーから流れているのだが、それもぴたりと止まっていた。
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第4話「霧が晴れるまで」~前編~/小説連載『景色は風のなか』⑨
いくらなんでも、と思っていたが、長袖を着てきた方がよかったのかもしれない。運転席に座るおじいちゃんが「暑くないか?」と窓を開けてくれたけど、正直、寒いくらいだ。曇っているのもあるかもしれない。曇り、というか、うっすらとどこまでも霧が出ている。来る前に軽く検索して、霧の街と呼ばれていることを知った。到着口で祖母から掛けられた第一声は、着陸できて良かったねえ、だった。あまりにも霧が濃い日は、飛行機が降りられないこともあるらしい。
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第4話「霧が晴れるまで」~中編~/小説連載『景色は風のなか』10
祖父母の家は釧路駅の裏手の方にある古い一軒家で、玄関を開けると柴犬が元気よく飛び出してきた。名前はコロというそうだ。たぶん丸っこくてコロコロしているからだろう。コロは突然あらわれた見知らぬ人間を警戒するようにしばらく居間をうろうろしていたが、祖父母の様子を見て私が危険な人物ではないとわかったようだ。いつも寝床にしているらしい犬用ベッドに寝転んでくつろぎながら、わたしたちの会話に聞き耳を立てていた。その奥には大きなストーブが鎮座している。きっと冬はここが一番あたたかいのだ。
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第4話「霧が晴れるまで」~後編~/小説連載『景色は風のなか』11
釧路まで戻ると昼時を少し過ぎた所だった。朝に散歩で行った新釧路川を渡って、有名だというそば屋に連れて行ってもらう。店内は広々していて、横に小さな庭園がついている。天皇陛下が来たことがあるんだ、とおじいちゃんに教えてもらった。提供された蕎麦が緑で驚いていると、こっちの蕎麦はそうなんだと言われる。でも帯広は違うよ。札幌もね。この辺だけなのかな、と皆で話している。
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第5話「明け方のメロディ」~前編~/小説連載『景色は風のなか』12
ぼくの心はとっくに折れていた。東京へ出向になって一年弱。最初はどうせすぐ慣れると高をくくっていた仕事はいまだに全然こなせていないし、教育係を兼ねている上司にはどうやら嫌われている。はなから終えられるわけがない量の仕事を振られているので毎日遅くまで残業、とはいえぼくだけが理不尽な目に遭っているのかというとそういうわけでもなく、他の同僚たちもパンク寸前でみんな目が死んでいる。完全に人手不足だ。そんな状態の部署にのこのこやってきた仕事のできない出向者がぼく、というわけで、まあ疎まれる理由ははっきりしている。許せはしないが。
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第5話「明け方のメロディ」~中編~/小説連載『景色は風のなか』13
結局、口実だった余興についてはほとんど話さず、後日メッセージで詳細を固めようということになって解散した。米沢さんを見送ったあと、柳本とぼくは顔を見合わせると、学生のころよく通った安居酒屋へ入って飲み直した。かつては金がなくて卓上の調味料までつまみにしたものだが、もう大人なのでちゃんと串の盛り合わせをふたりぶん注文した。
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第5話「明け方のメロディ」~後編~/小説連載『景色は風のなか』14
サークルで出会って結婚しただけあって、回りのテーブルは見知った顔だらけだ。ほとんどが後輩で、林さん、林さん、と慕わしげに語りかけられ、あれ、自分って学生のときけっこうがんばってたのかなあ、なんてちょっと泣きそうになったりする。隣に座る柳本も似た状況になっていて、同じことを考えているのが分かり、そのだらしない顔を見てぼくは慌てて表情を引き締めた。
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第6話「すれちがう人々の」~前編~/小説連載『景色は風のなか』15
迷いに迷ってやっとのことでたどり着いた京急線のホームで、暑さに耐えかねてダウンを脱いだ。服の中にこもっていた熱気があたりに解き放たれていくのが、湯気になって見えるようだ。本当は大きく伸びをしたい気分だったけれど、大きなリュックを背負っていたし、後ろにもスーツケースを転がしている人たちが続々と並んでいたから、軽く首を回すだけにとどめた。慣れない飛行機にやっぱり緊張していたのか、約一時間半の空の旅で全身の筋肉がガチガチに固まってしまっていた。最後に羽田空港を利用したのは元夫の浜野くんの転勤についていった十年近く前だ。今日はひとりで来たからか、記憶よりさらに巨大な空間に思えて、案内板に従って歩いているはずなのになかなか駅らしい場所につかず、不安で何度もマップを確認してしまった。
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第6話「すれちがう人々の」~中編~/小説連載『景色は風のなか』16
自分を落ち着かせるためにかわいい動物の動画などを探しているうちに、電車は品川へ到着していた。人波みに乗って一歩ずつゆっくりと歩みを進め、ホームへと降り立った。エスカレーターにできた行列に並びながら、わたしは頭の中でむかし水族館で見たイワシの魚群を思い浮かべた。空から見たらわたしは大きなひとつの生き物の一部に見えるのかもしれない。改札を抜けると、人々は少しずつ違う方へ散っていく。わたしは山手線へ向かう。案内板を見上げながら、多すぎる表示をひとつずつ確かめて行き先を探した。
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第6話「すれちがう人々の」~後編~/小説連載『景色は風のなか』17(最終回)
案の定なかなか寝付けず、朝方ようやく眠って、起きたときはチェックアウトぎりぎりの時間だった。朝食を食べ損ねたが、仕方ない。慌てて荷物をまとめ、身支度を済ませ、ホテルを飛び出す。午前中の光がまぶしい。街はすっかり人々でいっぱいになっている。働きに出る人々、学校へ向かう人々、遊びにやってきた人々。間を縫うようにゆらゆらと歩く。改札を抜け、乗るべき電車へ向かう。オレンジの標識を探し、東海道線へ。ホームに立って、周りを見回す。わかっているけれど、浜野くんらしき人はいない。
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