主人公であるクラッシュ・ギャルズの二人(長与千種、ライオネス飛鳥)の他に、“第三の視点”が入る。クラッシュの熱狂的ファンである中学生の女の子だ。家では美しい姉と比較され、学校ではいじめられ、居場所のない彼女はクラッシュ・ギャルズにのめり込んでいく。

≪両親の経営する店がつぶれて、一家離散の悲劇を経験した長与千種。
 父親の顔を知らないまま育ち、肥満を強靭な意志で克服したライオネス飛鳥。
 彼女たちの悩みに比べれば、私の悩みなど小さい。つらい日々を送ってきた彼女たちがあれほど輝けるのなら、私だってできるはずや、と心から思えました。≫

 わたしは第三の視点である少女に感情移入した。わたしも母親との関係に悩み、美しくないことに悩み、女であることに悩み続けてきたからだ。彼女がクラッシュに耽溺していくにつれ、わたしもクラッシュに恋をしているような感覚に陥った。

 単なる人物評伝であれば、第三の視点は必要なかったかもしれない。しかし柳澤が試みたのは、クラッシュ・ギャルズという“現象”がなんだったのかを明らかにすることである。そのためには、第三の視点が必要不可欠であった。クラッシュの熱狂的ファンの視点を通して、読者は当時の熱狂を追体験することができる。

 なんておしゃれな構成なんだろうと、眩暈(めまい)を覚えた。いつかわたしもこんな本が書きたい。柳澤健のようなノンフィクション作家になりたい。それまでただ漠然とライターを続けていたわたしにとって、光が見えた。文章を書くときは必ずこの本の260頁を読み、「こういうものが書きたい」と祈る儀式をしてから書いている。こういう本が書けたらもう死んでもいいと、本気で思っている。

 好きなものは全力で「好きだ」と言ったほうがいい。「『1985年のクラッシュ・ギャルズ』が好きで好きでたまらない」と言い続けた結果、2023年12月に新たに出版される文庫版の解説を頼まれた。わたしごときが解説を書くなんて百万年早いが、好機逸すべからず。二つ返事でこの仕事を受けた。

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 9月半ばに依頼を受けて、〆切は10月20日。文字数は8000字以内。「8000字書きます!」と宣言したが、インタビュー記事ならともかく、なんの材料もない状態で一度に8000字という分量を書いた経験はない。「1カ月あればなんとかなるだろう」と高を括(くく)っていたものの、一週間経(た)っても二週間経っても1文字も書けなかった。敬愛する柳澤さんの本。「しくじったら死ぬしかない」と思い詰め、思い詰めれば思い詰めるほど、筆は一向に進まなかった。

 プレッシャーで泣いた。夜、酒を飲んで泣くことはよくある。しかし、朝起きた瞬間に涙が出たのは初めてだった。泣いたところで、〆切は迫りくる。とにかく書き始めなければならない。書くことで流した涙は、書くことでしか止(や)まないのだ。

 書き始めて気づいたのは、これまで自分がいかに構成というものを考えずに見切り発車で書いてきたかということだった。短い文章ならそれでもなんとかなるが、長い文章になるとガッツリ構成を固めてから書かなければ支離滅裂になる。

『父の詫び状』(向田邦子/文藝春秋)の沢木耕太郎による解説が素晴らしいと聞き、読んでみると起承転結の流れが見事だった。起こし、承(う)け、転じて、結ぶ。小学校で教わる簡単なことなのに、これがなかなかどうして難しい。A4の紙に「起承転結」と書き、それぞれの項目を埋めていく作業をした。何度も何度も書き直すうちに、だんだんと書きたいことがクリアーになっていった。

 筆が乗ってくるとあれもこれも書きたくなるが、なにを書くかと同じくらい「なにを書かないか」も重要である。最初に決めた構成から外れるものは、容赦なく削ることにした。ただ、書き進めてみると、自分でも思ってもいなかったような文章が湧き出てくる。そういうときは構成を立て直し、少しずつ少しずつ、自分なりにブラッシュアップしていった。

 完成した原稿をいま見返すと、やはり取っ散らかっているなと思う。それでもどうにかこうにか、8000字近く書き切った。柳澤さんにも「熱量がすごい」との言葉をいただけた。「今回の経験を活かして、いい物書きになってください」――。

 柳澤さんにはずっと「あなたはライターをやめたほうがいい」と言われ続けてきた。酒と睡眠薬に溺れているのを心配してくれていた以上に、才能がないと思われていたと思う。いまもそれは変わりないと思うが、少しだけ認めてもらえたようで嬉(うれ)しかった。

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 久々に『居酒屋とんぼ』に顔を出した。今年の夏、仕事が信じられないくらい立て込み、かつ金もなく、なかなか行けずにいたのだ。ママにこの夏こなした様々な仕事のことを話す。そんな話はだれも聞きたくないだろうに、ママは嫌な顔ひとつせず、「頑張ったね、偉かったね」と言ってくれる。なんていい夜なんだ。つらいことがあっても、たまにこんな夜があるから、人は生きていけるのだなと思った。

 3年間続けた業務委託の仕事が9月末で終了した。収入の半分以上を占めていた仕事だった。ガールズバーはとっくに辞め、いまは週1回、『荒井屋酒店』の角打ちコーナーで短時間アルバイトはしているものの、基本的にこれからはライター一本で食べていかなくてはならない。不安も大きいが、いまのわたしならやれる気がする。

 いままでの人生はリハーサル。ようやく本番が始まろうとしている。

文・イラスト=尾崎ムギ子