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人里離れ、道路もない山深い秘境駅の周りは全てが朽ちていた。飯田線小和田駅~廃なるものを求めて 第11回~
今回は関東を離れて、ちょっと山深い駅へと足を延ばします。ちょっとと言っても、豊橋駅から飯田線に乗り換えて電車に揺られること約2時間なので、ちょっとどころではありません(笑)。ショートトリップです。(※緊急事態宣言が発令される前の出来事です)飯田線小和田(こわだ)駅は耳にしたことあるでしょうか。天皇陛下と皇后雅子様ご成婚の際、雅子様の旧姓が小和田(おわだ)家だったことが縁で、漢字が同じ小和田駅が一時期有名に。最近では秘境駅ブームで注目されています。なぜ秘境駅かというと、天竜川のほとりの山肌にへばりつくようにしてホームがあり、周囲は県道や国道はおろか車が入れる生活道路もありません。一番近い塩沢集落までは徒歩約1時間。この環境が秘境駅たる所以です。
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撤去されつつある、住宅地に残されていた旧貨物専用線の遺構。旧・日本製紙北王子線 ~廃なるものを求めて 第10回~
東京都北区の京浜東北線王子駅は、地下鉄南北線と都電の乗り換えだけでなく、東北・上越新幹線の高架橋がそびえ、東北本線(宇都宮線)の線路が並んでいます。常に電車が行き交うにぎやかな走行音が響き、ちょっとした鉄道スポットでもあります。王子駅を北側に歩きます。頭上に聳えるのは新幹線高架橋で、前方に長い跨線橋が見えてきました。跨線橋の階段を上がると、母親と一緒の男の子が欄干にかじりついて電車を見下ろしています。ああ、かつての私もこうだったなどと、目を細めるひととき。でも男の子は、ずらっと並ぶ東北本線と京浜東北線の線路の端っこ、新幹線高架橋の真下に、赤錆びた線路があることには気がついていないかもしれません。
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高さ170㎝の“行灯殺しのガード(高輪橋架道橋)”の今と、空から見た高輪築堤 ~廃なるものを求めて 第9回~
再開発たけなわの高輪ゲートウェイ駅付近に、通称“行灯殺しのガード”または“首曲がりトンネル”あるいは“おばけトンネル”と呼ばれる、大層古いガードがあります。品川地区が再開発される前、品川〜田町間が車両基地で埋め尽くされていた時代には既に存在し、高さはなんと約170cm、長さは約220mという、洞窟のように大変低くて長いガードです。
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国道駅、それは生と廃の交わる空間。生きている駅と静かに眠る高架下。~廃なるものを求めて 第8回~
皆さん、国道駅という駅を聞いたこと、訪れたことがありますか? このストレートなネーミングの駅は、JR鶴見線鶴見駅の隣にある高架駅です。国道15号に面しており、駅名はその国道が由来です。この駅を目的に訪れる人々が絶えることがなく、鉄道ファンや旅人には名が知れた駅です。なぜそんなに注目されているのかというと、国道駅は昭和5年(1930)に開業した高架構造の雰囲気を、今も色濃く残しているから。高架下はコンクリートのアーチ型が続き、「レトロでノスタルジック」な佇まいが人気です。
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廃線跡の聖地を巡礼する・安比奈線その②~廃なるものを求めて 第7回~
新年、明けましておめでとうございます。まだ始まったばかりの「廃もの」ですが、今年も宜しくお願いいたします。さて、昨年末は安比奈線その1を紹介いたしました。新年はその2をご紹介いたします!前回は、雑木林の前に立ちはだかる立入禁止看板の前で立ち尽くす……もとい、柵から林を覗いて「こりゃ何も見えないや」と諦めたわけですが、線路はこの林の先にも続いています。回り道をして、物流倉庫の脇を歩き、対面通行の道路へ出ました。ふと右を見やると線路が雑木林から現れて、道路と交差すると鉄橋が見えました。「池辺用水橋梁」と呼ばれる、1スパンの橋梁です。
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廃線跡の聖地を巡礼する・安比奈線その①~廃なるものを求めて 第6回~
全国津々、廃線跡はたくさんあります。道路になった場所もあれば、人を寄せ付けない山中にひっそりと存在する場所もあって、廃線跡と言ってもその形態は千差万別です。私はまだ訪れていない廃線跡も多々ありますが、いままで出会ってきたなかで、これは聖地に値するなというところがあります。川越市にある、西武安比奈線です。今回はボリュームも多めに、二回に分けて紹介します。
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雑木林に同化しながら奥多摩湖のほとりで佇むオート三輪 ~廃なるものを求めて 第5回~
オート三輪は、1970年代前半まで日本各地で活躍した三輪トラックです。東洋工業(現・マツダ)や、ダイハツなどが代表的なメーカーでしたが、製造中止になると、1970年代後半には輸送の脇役となり、現在ではすっかり見かけなくなりました。
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再開発によって激変した晴海と豊洲に埋もれる貨物線の跡 ~廃なるものを求めて 第4回~
今から30数年前の東京臨海部。倉庫群の脇に線路があるのを見たことがあります。何の線路か分からなかったのですが、後に東京湾の埋立地を結ぶ貨物線だと知りました。戦後の高度成長期、東京湾の臨海部には貨物線が張り巡らされていました。この貨物線は「東京都港湾局専用線」。最盛期の1960年代には、汐留〜芝浦埠頭・日の出埠頭(芝浦線、日の出線)、汐留〜築地市場、越中島〜豊洲埠頭・晴海埠頭(深川線、晴海線)を結び、臨海部の貨物線網が形成されていました。その路線群はトラック輸送にバトンタッチして昭和末期に使命を終え、1989年には全面廃止。1990年代に入ると線路のほとんどが剥がされていきました。
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かつてここは駅だった……。桜の木が立派な廃駅。旧筑波鉄道雨引駅 ~廃なるものを求めて 第3回~
筑波鉄道という私鉄はご存知でしょうか。「つくばエクスプレス(TX)」ではなくて筑波鉄道です。もうかれこれ33年前(1987年)に廃止となった私鉄で、JR常磐線の土浦駅から北上して筑波山の麓を走り、JR水戸線の岩瀬駅までを結んでいました。筑波鉄道は非電化で、ディーゼルカーが走っていました。車両は国鉄や他の私鉄からやってきたものが多かったのですが、廃止になった時は私自身がまだ小学生でして、東京に住む子供には筑波鉄道は遠すぎて、ついぞ訪れることはありませんでした。
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職場の隣にある「廃」 調布飛行場周辺に残る旧陸軍航空隊の掩体壕3基~廃なるものを求めて第2回~
掩体(えんたい)という言葉を聞いたことがあるでしょうか。掩体とは、ざっくり言うと敵弾から守る設備のことです。大小様々な掩体があり、とくに航空機を守ったり秘匿したりするのには「掩体壕」というものがあります。これは航空機をすっぽりと覆う、大型の設備です。掩体壕はカマボコ屋根状のコンクリート製が多く、屋根の上に草木を生やして偽装する場合もあります。かつて、旧・陸海軍の基地周囲にはたいてい掩体壕が存在しました。戦後、掩体壕は解体されていきますが、元来空爆などから身を守る設備であるため解体しづらく、そのまま放置されて倉庫となるケースもあります。そして、掩体壕は東京都内にも存在しています。場所は調布市。調布飛行場の周囲に数カ所点在しているのです。
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再開発真っ只中の渋谷駅で、東急東横線の痕跡を探す ~廃なるものを求めて~
はじめまして。廃なるものと鉄道と線路と飛行機をこよなく愛する、写真作家の吉永陽一です。廃なるものは、廃線跡、廃墟、その他うんぬん。要は朽ちていくものを愛でるのが好きです。普段は小型機やヘリに乗って空撮をする仕事をしていて、ライフワークは鉄道の空撮。「空鉄(そらてつ)」の名で鉄道空撮作品を発表しており、著作や個展で聞いたことがある方もいるかと思いますが、この記事では、私が愛でる「廃なるもの」を紹介します。廃墟や廃線跡、建物の痕跡などといったものに惹かれていったのは小学生のころで、中学生では廃線跡を撮影していました。未来を見つめるより、過去の事柄やモノのほうに惹かれていき、現在では4×5インチ大型カメラで「廃なるもの」を見つめています。
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