とはいえ、このシリーズは「廃なるもの」。戦前から現役なのは嬉しいけど“廃墟”ではないため、ここで紹介するのは筋違いなのでは? と思いますが、国道駅は現役ながらも階下の商店街は一軒を除いて廃業し、住居として使用されているとはいえ、商店街としては役目を終えて静かに眠っているのです。
いわば、生と廃が交わる空間と言えましょう。国道駅は中学生の頃から何度か訪れてきましたが、生きている空間と廃墟の空間がミックスされている、そんな不思議な光景に惹かれてきました。なので、今回は「廃なるもの」として紹介します。
鶴見駅からJR鶴見線へ乗り換えます。京浜東北線が地上で鶴見線が高架ホームなのは、前身の鶴見臨港鉄道からの名残で、昭和5年(1930)に開通した当時の高架橋を使用しています。3両編成の電車は、ほどなくして発車。高架橋を進むと、すぐに島式ホーム部分と階段だけが残った駅跡を通り過ぎます。
これは旧・本山駅で、至近にある總持寺へのアクセスのため開業したものの、戦時中に不要不急として廃駅となりました。国道駅より本山駅の跡のほうが「廃もの」的にはもってこいなのですが、駅があった場所は川崎鶴見臨港バスの営業所となっていて立入禁止のため、車窓から望むのが精一杯です。(十数年前にバス営業所を取材したことがあり、そのときは階段跡などが残存していました)
車窓から見る本山駅跡はコンクリートが剥がれかけ、高架下へ降る階段のタイルもボロボロです。205系はゆっくりと走るため、数秒ですが観察することができました。本山駅跡を過ぎると、ゆっくりと左へカーブして東海道本線をオーバークロスします。その先にはカマボコ状のホーム上屋が見えました。相対式構造の高架駅、国道駅です。
国道駅に到着。ドアが開くや、いきなりの試練です。国道駅はきつい曲線上にホームがあり、電車とホームの間が広いのです。駅に気を取られて足元を見ないと、ストンと落ちてしまうほど広い。曲線標には半径200mと記されています。20m級車両ではかなりきつかろう。気をつけないと。
電車が去って聞こえるのは、直下にある国道15号線を行き交う車の音です。3両編成ぶんのホームには、鉄骨が組まれた屋根があり、戦前の開業時から変わらぬ姿をしています。
飾り気のない階段を降りると、目の前には3階分の高さがあるアーチの柱、地上へと降りる階段。2階部分には上りホームへの渡り廊下。それらの光景が一気に視界へ入り込み、エッシャーの騙し絵かと錯覚するほどの空間です。3階分の高さがある広い空間なのに、中途半端な高さで渡り廊下があるという少々不思議な構造です。
アーチ空間は、かつて「臨港デパート」という商店街でした。いまや焼き鳥屋一軒以外は閉店となり、戦前からのコンクリート建造物の空間がガランと広がっているのみです。役目を終えた商店街というのは静かなもので、行き交う車の音が止むとシン……としており、洞窟のように遠くの明かりが差し込んで、薄らと形状が浮かび上がります。その姿を眺めていると、まるで、遺跡となった神殿にいるかのような……そんな感覚。
現役で使用している駅ながら、遺跡のような風格を醸し出していて、ずっと前に訪れたときから「生と廃が同居しているような、複雑に絡み合っているような、そんな不可思議な空間」と感じていました。
さて、今回久しぶりに国道駅へ訪れたあと、鶴見臨港鉄道時代に竣工した当時の写真をネットで見つけました。Wikipediaなどに掲載されている改札口の竣工写真です。最初何気なく眺めていましたが、ふと気になったのです。階段と改札口の位置が現在と逆だと。
ネガの裏焼きかと思いましたが、どうやら違います。改札の奥ではアーチ空間が左へカーブしており、現在の改札口辺りから撮影したことに間違いありません。はて?改札口が移った? 気になってきました。これは再訪するしかない。
再び国道駅。私は竣工時の写真と現況を見比べます。竣工時の写真には、あの中途半端な位置にある渡り廊下が存在していません。こう推測します。「鶴見臨港鉄道時代は上下ホーム用にそれぞれ改札があって、階段も独立していたが、何かのきっかけで改札口を一か所にするため、上り線側を廃止して渡り廊下を新設した。」と。
竣工時の図面があれば解決しますが、今回は学術的調査ではなく、“廃もの”を愛でるのが目的です。構造を推測し、使われなくなったモノを想像しながら現場を観察する、そういう楽しみに留めておきます。
ホームから階段を降ります。渡り廊下の結合部を観察すると、古い手摺(す)りの跡は確認できたものの、うまく接合されているためか、増設した感じはしませんでした。
でも、「綺麗に纏まっているアーチ空間に、ズバッと一本の渡り廊下があり、しかも中途半端な高さにある」のは、いかにも後で増設したという匂いがします。
廊下を渡り、上りホームの踊り場に着きます。竣工写真ではこのまま階下へ続く階段があったようで、壁となった部分をコンコンすると板の感触がしました。
一部崩れている部分には木目が露出しており、他の壁面も板の感触がしました。戦前から残存する壁はコンクリートであり、この部分は後で塞いだ?と推測できます。ということは階段が眠っているのだろうか。覗き穴みたいなものがあればいいのですが、そういったものはありません。
この板壁の真下は、ただ一軒だけ営業している焼鳥屋です。再訪時は休みのため、店内で確認することは叶いませんでした。
改札を出ます。竣工写真の撮影位置は、現在の改札口付近です。同じような画角にしてファインダーを覗くと、右端の出札窓口があった場所は商店の跡になっていました。その基礎部分は古く、現改札口の基礎部分と似ています。この位置に出札窓口があったのでしょう。
竣工写真では、飾りを施した柱に電灯が掲げられ、モダンな空間だというのが伝わってきます。その柱は変わらずに現役で、飾り帯の部分には電灯があった痕跡が確認できました。
肝心のホームへ続く階段があった場所は、残念ながらベニヤ板で密封されて確認できません。この板の向こう側には階段が眠っているのか?と思いましたが、記憶ではここも商店だったような気がします。これも後ほどネットで写真を見かけると、商店が2店舗連なっていました。
店舗内に階段があるのは邪魔ですよね。となると、店舗にしたとき、あるいは改札口を現在地へ集約したとき、階段は解体したのではなかろうかと。そう推測したのです。
国道駅は「生と廃」が絡み合う空間で、その姿そのものに癒やされます。今回の訪問で旧出札口と階段の存在や、あの不思議な渡り廊下の増設といった、国道駅の歴史を推測することができました。いつもの“廃もの探訪”とは異なる視点でしたが、推測しながら観察するのも楽しいものです。
写真・文=吉永陽一