しかし昔から、大切なコミュニティーができると逃げ出したくなる癖がある。大学時代、男性の先輩2人と同級生1人、そしてわたしの4人で、1カ月間ギリシャに旅行に行った。アテネの歴史的な街並みを探索したり、サントリーニ島の海で朝から晩まで泳いだり、いま思い出しても涙が出るくらい楽しい日々だった。
そのメンバーは元々そこまで仲が良かったわけではなく、たまたま同時期にギリシャに行きたかった4人というだけなのだが、1カ月間、旅をしたことで絆が深まった。ところが帰国後、わたしは彼らを避けるようになった。仲間ができるのが怖くなってしまったのだ。大切な仲間ができて、いつか離れてしまうのが怖い。コミュニティーに属すことの窮屈さもあったと思う。
わたしはその後もどのコミュニティーに属すことなく生きてきた。だから角打ちが自分にとって大切なコミュニティーになってきていると感じて、逃げ出したかった節もある。それでもいざ逃げ出したら、寂しくてしかたなくなってしまった。
毎週、必ずと言っていいほど来てくれたのはかなえちゃん。そしてもう1人、オピタンという男性だ(おっぱいが好きだからオピタンというあだ名らしい)。背が高くてカッコいいのだが、なんせ口が悪い。会う度に「ムギちゃん、痩(や)せたほうがいいよ」「姿勢が悪い」「歯が黒い」と、主にわたしの容姿にいちゃもんをつけてくる。それでもどこか憎めない根っからの性質のよさがあり、わたしはオピタンのことが大好きだった。
角打ちを辞めても、かなえちゃんとはいつでも会える。でもオピタンにはもう会えなくなるだろうなと思った。角打ちを辞めてからずっと、心のどこかで「オピタンに会いたいな」と考えている自分がいた。
ステロイド治療をして、炎症の数値は劇的に改善した。痛みも治まっている。かなえちゃんが週末働いている立ち飲み屋に久々に顔を出すと、みかちゃんという若い女の子がいた。みかちゃんはオピタンに「ムギちゃんの代わりに角打ちで働きなよ」と言われたという。辞めたのだから、だれが代わりに働こうが文句は言えない。しかしわたしがこんなにもオピタンのことを恋しく思っているのに、オピタンにとってはだれでもいいんだなと思うとショックだった。べろんべろんに酔っぱらい、深夜ついオピタンに「ショックです」とLINEを送ってしまった。
結局、わたしはまた角打ちで働くことになった。大仁田厚バリの復帰劇である。復帰初日、かなえちゃんもオピタンも飲みに来てくれてうれしかった。
しかし閉店時刻が近づき、オピタンに突然詰められた。「なんで謝らないの?」——。そうだ、夜中にワケわからないLINEを送ったのだから、真っ先に謝らなければいけなかった。しかしわたしは久々にオピタンに会えたうれしさで、「オピタ~ン!」と呑気に手を振ってしまったのだった。
閉店後、かなえちゃんのセッティングにより、近くのインド料理屋で話し合いの場が設けられた。オピタンに「いままでもすぐ休んでたし、やる気あるの? 『散歩の達人』と角打ちどっちが大事なの?」と聞かれた。そういうときはしおらしく「どっちも大事です」と答えるべきなのだろうが、わたしは迷いなく「『散歩の達人』です」と答えた。そりゃそうだ。16年かかって、ようやく持てた雑誌の連載なのだ。比べるのもおかしい。
オピタンもそこでスイッチが入ったのだろう。語気が強くなり、わたしは思わず泣き出してしまった。「泣くなよ」と言われると、余計に涙が止まらない。ワンワン泣きながら「もうすぐ42歳になるのに情けない」と言うと、かなえちゃんも「ムギちゃんはこういう風にしか生きられないのよ」と泣き始めた。深夜0時のインド料理屋がカオスと化した。
2日後、わたしは誕生日を迎えた。孔子は40歳で惑わなくなったと言うが、わたしは42歳にもなって人前で大号泣。フラワーカンパニーズの『深夜高速』さながら、青春ごっこをいまも続けながら旅の途中だ。
文・イラスト=尾崎ムギ子