40代独身女のギリギリ東京ライフ『転んでも、笑いたい』

40代独身女性ライター・尾崎ムギ子がつづる、素直で不器用な東京ギリギリライフエッセイ。更新は毎月1日。毎月21日発売の月刊誌『散歩の達人』で先に読めます。

最新記事

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素顔の自分をそろそろ受け入れるときなのだ【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
9月下旬、出版社のマガジンハウスから一通のメールが届いた。雑誌『クロワッサン』でプロレスを取り上げるので、対談に出てほしいという。名前を売る絶好のチャンス!……のはずだったが、迷いが生じた。撮影があると聞いたからだ。最近のわたしは外見にすっかり無頓着になっている。

この連載の記事一覧

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【新連載】EPISODE01 居酒屋とんぼ:金に無頓着でもどうにか生きていられる
ライターになって14年。自著を2冊出版し、いくつか連載も抱えている。傍から見ればそこそこ順風満帆に見えるかもしれない。それがどうだろう。実際はライター一本では生活できず、週3日、業務委託でニュース記事をチェックする仕事をしている。それでも足りないため、ガールズバーでアルバイトもしている。なぜこんなに金がないのか、自分でもよくわからない。ブランド品を買うわけでもない。ホストに貢いでいるわけでもない。ただ根っから金に無頓着で、考えなしに1000円もする柔軟剤を買ってしまうのだ。深夜2時。日払い伝票に「3000円」と記し、判を押す。ガールズバーの店長に伝票を確認してもらい、レジ係のゆうちゃんから3000円を受け取る。(これで支払いができる……)。30回払いのローンで買った一眼レフカメラの支払いが、月々3000円。しかし帰り道、自転車をこぎながらわたしは考える。(来週シフトを増やせばいいや)。そして『とんぼ』に直行するのだ。赤い看板の居酒屋『とんぼ』。愛しの『とんぼ』。
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EPISODE02 かなえちゃん:落ちると思っても前に向かって飛びあがる
長年、母と二人暮らしをしている。数年に一度、「自立しなければ」と思い立って一人暮らしをしても、金銭的に厳しく、孤独にも耐えられず、1年余りで母の元に戻るのがお決まりのパターンだ。2021年の夏、わたしは人生三度目の一人暮らしをした。原因は、酒と煙草である。酒も煙草もやらない母と、酒飲みでチェーンスモーカーのわたし。普段は仲が良いものの、わたしの酒量と煙草の本数が度を超えると、母の怒りが爆発する。それでもどうにか一緒に暮らしてきたある日、部屋に赤ワインのボトルを隠しているのが母に見つかり、ついに母の堪忍袋の緒が切れた。涙ながらに謝罪するも許してもらえず、わたしは家を出ることになった。これまでは実家から遠い物件を借りたために上手くいかなかった。実家の近くなら家賃も安く、寂しくなったらすぐに帰省できる。そう考えて、実家の南千住から徒歩13分の物件に決めた。最寄り駅は千住大橋だ。引越しの日、母から「お酒はなるべく飲まないように」と口酸っぱく言われたのに、ろくでもないわたしは「これで思う存分、酒が飲める」と浮かれ、間もなく駅下の角打ちの店『荒井屋酒店』に入り浸るようになった。
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EPISODE03 陰謀論:止まらない母の備蓄癖に悩むも、強く言えないワケ
「今日から“お父さん”と呼ぶように」ある朝、母に突然そう言われて、面食らってしまった。父は11年前に他界している。いまさら父の代わりになろうというのか。それとも昔、「お母さん、武田鉄矢に似てるよね」と言ったことをまだ根に持っているのか。理由はわからないが、その日から母の一人称は「わし」になり、「わし、風呂に入る」「わし、茶が飲みたい」とぶっきらぼうに言い、時折、ちゃぶ台をひっくり返す真似をするなど“お父さん”ぶった言動をするようになった。数日経っても母のお父さんごっこは終わる様子がなく、わたしも仕方なく母を「お父さん」と呼ぶようになった。しかし数週間後、いつものように「お父さん」と呼びかけると、振り向かない。「ねえ、お父さん」と繰り返すと、「お父さんは11年前に死んだじゃない」と言う。その目はいたずらっ子のように笑っている。
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EPISODE04 恋愛症候群:男性嫌悪が解消された意外なきっかけ
「南千住~千住大橋」という小さなコミュニティーで酒を飲んでいると、惚(ほ)れた腫れたの噂話が一瞬で広まる。だれがだれにお熱だとか、だれとだれがデキているとか、あいつは騙(だま)されているとか、いないとか。そういう話を聞くたびに、「怖いなあ」と思うと同時に羨(うらや)ましさも感じる。いいなあ、わたしも恋がしたい。これまでにお付き合いした男性は5人いる。5人というと、あたかもそれなりに恋愛してきたようにも聞こえるが、1人目は1カ月半。2人目も1カ月半。3人目も1カ月半。4人目は4カ月。5人目に至っては3週間。つまり、人生で合計9カ月しか交際経験がない。なぜそんなにも恋愛が短命に終わるのかと言えば、端的に申し上げて「セックスをすると相手のことが気持ち悪くなってしまう」からだ。幼少期に性的虐待を受けたとか、レイプされたとか、そういう経験は一切ない。大好きな彼とセックスをした途端、どうしようもない嫌悪感に支配され、一方的に振ってしまうのだ。3人目の彼氏に「やり捨て」と罵(ののし)られたのもしかたがないだろう。歴代の彼氏たちには申し訳ない気持ちでいっぱいだ。セックスという行為自体も好きなほうではないため、できればこのまま一生セックスをせずに生きていきたいと思っている。思っていた、のだ。
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ハレー彗星を見て生まれた男色プロレス集団への恋心【尾崎ムギ子の転んでも、笑いたい】
25歳で脱サラして、憧れのフリーライターになった。出版社に売り込みに行くと、必ず言われた言葉がある。「得意分野はなんですか?」――。ない。ないよ……。得意分野も、書きたいジャンルも、これといった趣味もない。強いて言えば美容が好きだったため、美容雑誌に売り込みに行ったが、そこでも「得意分野は?」と聞かれ、「いや、美容なんですけど」とは言えずに俯いてしまった。なんとなく体当たり系のレポートを書くことが増え、歌ったり踊ったり、ハプニングバーに潜入したり、いろいろやった。しかし30歳を過ぎると、「こんなやり方、いつまでできるのだろうか……」という焦りが芽生えた。先輩ライターに相談したところ、「コンビニのカップスープについて書いている人いないから、狙い目だよ」と言われ、カップスープを買い漁ったこともある。しかしさすがにニッチすぎるし、好きでもなんでもなかったため、すぐにやめた。だれも書いていないからとか、そういうことじゃないのだ。自分が心底惚れ込めるなにかが、わたしはほしかった。
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幹事が苦手なわたしが、少しだけ前に進めた日【尾崎ムギ子の転んでも、笑いたい】
生まれてこの方、幹事というものをまともにやったことがない。企画力、スケジュール管理能力、リーダーシップ、予算管理能力、柔軟性、気遣い、気配り、痒(かゆ)いところに手が届く感じ、その他諸々の幹事に必要とされる能力すべてが絶望的に欠如しているからだ。苦手なことはしないに限る。わたしは常に「参加して楽しむ役」に徹してきた。
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これからようやく、人生の本番が始まる【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
 柳澤健の『1985年のクラッシュ・ギャルズ』が、わたしのバイブルである。1980年代、女子中高生が熱狂した女子プロレスユニット「クラッシュ・ギャルズ」に関するノンフィクションだ。
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千住から神楽坂にきて気づいた。仲良くなった人との距離感が分からない。【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
週1回アルバイトしている『荒井屋酒店』の角打ちコーナーに、ある日、ファンキーなお姉さんが現れた。名前はあつこちゃん。鼻ピアスにへそ出しルック。アバンギャルドな雰囲気の彼女は、明らかに千住大橋では浮いている。美大卒でいまは洋服を作っているという経歴もまたカッコよく、初対面でも距離をぐっと縮めてくる感じは九州人ならでは。店の全員がすぐにあつこちゃんのことを大好きになってしまった。
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どんな状況でも夢は人を強くする【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
2023年11月末、プロレスリング我闘雲舞が運営するプロレス教室「誰でも女子プロレス」(通称「ダレジョ」)に参加してきた。純粋にプロレスを体験したかったというのもあるが、お目当てはコーチの駿河メイ選手。9月に鈴木みのる選手とのシングルマッチを観て以来、わたしはメイ選手にぞっこんなのだ。148cmという小柄な体で、リング内外を縦横無尽に飛び回る。アクロバティックでハイスピード。なによりだれと闘っても“駿河メイの試合”にしてしまうのが本当にすごい。メイ選手の試合を初めて間近で観たとき、びっくりして泣いてしまった。人は天才を目の前にすると泣いてしまう。そんな感じだった。メイ選手直々にプロレスを教えてもらえるとあっては、行かないわけにはいかない。始まるまで怖くてたまらなかったが、どうにか逃げ出さずに会場へ向かった。
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異性とかLとかTとか、もうどうでもいいのだ。と新宿のレズビアンバーに行ってみて思った。【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
普段ストイックに生きている反動か、「ゴミのような男に引っ掛かって、ゴミのように捨てられる」ということが5年に1回くらい起こる。その1回が、2023年末に起こった。死にたくなった。
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雑念恐怖症のわたしの背を押してくれた、女子レスラーの勇姿と西加奈子【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
しばらく趣味のプロレス観戦を控えていた。雑念恐怖症の症状がひどくなってきたためである。雑念恐怖症とは強迫性障害の一種で、文字通り雑念にとらわれる症状のこと。雑念にとらわれるがあまり、物事をうまく進めることができないのだ。
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人にすがろうとするのは、自分に軸がないから。【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
年明け、男に懲りてレズビアンバーに行ったことで、自分のセクシュアリティを見失った(連載第10回参照)。異性愛者か、同性愛者か、はたまたパンセクシャル(全性愛者)か――。「なんでもいいや」と思ったのが正直なところだ。わたしは何者にも傷つけられず、自由に、楽しく生きたいだけ。それでも一度興味を持つと、とことん突き詰めたくなる性分である。レズビアンバー初訪問時から数日後には、SNSでレズビアンオフ会を探し、申し込んでいた。
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42歳になっても、いまだ青春真っ盛り【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
3月に入ってから体調不良が続き、病院へ行くと甲状腺の病気が見つかった。肝臓の数値も異常で、これまでと同じ生活を送ることが難しくなった。煙草をやめ、酒をやめた。週1回の角打ちバイトも辞めることにした。角打ちで酒を飲まずに働くことは難しいように思えたからだ。元々は客として通っていた『荒井屋酒店』。2023年6月、社長に「いつ辞めてもいいから働かない?」と声を掛けられ、なんとなく働き始めた。大してやる気があったわけではなく、酒も飲めるしいいかな程度の気持ちだった。ところが辞めた途端、とてつもない喪失感に苛(さいな)まれた。ライター業をしていて、日常で自分の価値を感じる機会というのはそんなにない。しかし角打ちでは、毎週わたしが入る火曜日にわざわざ店に来てくれる人たちがいた。知らず知らずのうちに、自己肯定感が高まっていたのだと思う。いつの間にか、自分にとってかけがえのないコミュニティーになっていた。
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工場勤めと元カレ。不安定でも曖昧でも、しがみついていたい幸せ【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
早めの5月病だろうか。4月半ばから一切のやる気がなくなった。とくに仕事に情熱が持てない。情熱だけで記事を書いているわたしは、困り果ててしまった。
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「死なないこと」。家出したわたしのいまの課題は、たったひとつだけ【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
ある日、バイトから帰宅すると母が顔を真っ赤にして玄関に立っていた。A4の紙を持ち、わなわなと身を震わせている。「これ、どういうつもり?」——。一瞬、なんのことかわからなかったが、母に紙を差し出されてすべてを把握した。この連載の前回の原稿だ。プリントアウトしたものを机の上に置きっぱなしにしていたのだ。頭が真っ白になった。
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絶縁された母の元へ「出戻り」。みんな元気なら、それだけでいい【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
この連載が始まって一年、自分や家族のことをこれでもかと赤裸々に書いてきた。母には連載していること自体をひた隠しにしてきたが、先月ついに見つかってしまい、絶縁されて家を出ることになった。引っ越そうにも金がなく、区役所で紹介された施設に入った。惨めだった。
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大丈夫になったのだ、きっと。いまのわたしは完全に陽気なパリピ【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
6月のある日、千住大橋駅前の立ち飲み屋『八ちゃん』で飲んでいると、けーた君とノノさんがやって来た。2人はかなえちゃんの友だちで、何度か一緒に飲んだことがある。ルームシェアをしているが、付き合っているわけではないらしい(2人ともゲイだ)。
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躁とうつを行ったり来たり。一体どれが本当のわたしなのだろう【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
8月下旬、月一回通院している精神科の主治医に「気分はどうですか?」と聞かれ、「毎日が楽しくてしかたないです」と答えると、主治医はわたしの顔をジロジロと観察して、こう言った。「躁(そう)転しているかもしれない」——。躁転とは、うつ状態から躁状態に転じること。わたしは双極性障害(俗に言う躁うつ病)を患っており、何年かに一度、躁転するのだ。
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素顔の自分をそろそろ受け入れるときなのだ【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
9月下旬、出版社のマガジンハウスから一通のメールが届いた。雑誌『クロワッサン』でプロレスを取り上げるので、対談に出てほしいという。名前を売る絶好のチャンス!……のはずだったが、迷いが生じた。撮影があると聞いたからだ。最近のわたしは外見にすっかり無頓着になっている。
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