尾崎ムギ子(達人)の記事一覧

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工場勤めと元カレ。不安定でも曖昧でも、しがみついていたい幸せ【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
早めの5月病だろうか。4月半ばから一切のやる気がなくなった。とくに仕事に情熱が持てない。情熱だけで記事を書いているわたしは、困り果ててしまった。
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42歳になっても、いまだ青春真っ盛り【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
3月に入ってから体調不良が続き、病院へ行くと甲状腺の病気が見つかった。肝臓の数値も異常で、これまでと同じ生活を送ることが難しくなった。煙草をやめ、酒をやめた。週1回の角打ちバイトも辞めることにした。角打ちで酒を飲まずに働くことは難しいように思えたからだ。元々は客として通っていた『荒井屋酒店』。2023年6月、社長に「いつ辞めてもいいから働かない?」と声を掛けられ、なんとなく働き始めた。大してやる気があったわけではなく、酒も飲めるしいいかな程度の気持ちだった。ところが辞めた途端、とてつもない喪失感に苛(さいな)まれた。ライター業をしていて、日常で自分の価値を感じる機会というのはそんなにない。しかし角打ちでは、毎週わたしが入る火曜日にわざわざ店に来てくれる人たちがいた。知らず知らずのうちに、自己肯定感が高まっていたのだと思う。いつの間にか、自分にとってかけがえのないコミュニティーになっていた。
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人にすがろうとするのは、自分に軸がないから。【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
年明け、男に懲りてレズビアンバーに行ったことで、自分のセクシュアリティを見失った(連載第10回参照)。異性愛者か、同性愛者か、はたまたパンセクシャル(全性愛者)か――。「なんでもいいや」と思ったのが正直なところだ。わたしは何者にも傷つけられず、自由に、楽しく生きたいだけ。それでも一度興味を持つと、とことん突き詰めたくなる性分である。レズビアンバー初訪問時から数日後には、SNSでレズビアンオフ会を探し、申し込んでいた。
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雑念恐怖症のわたしの背を押してくれた、女子レスラーの勇姿と西加奈子【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
しばらく趣味のプロレス観戦を控えていた。雑念恐怖症の症状がひどくなってきたためである。雑念恐怖症とは強迫性障害の一種で、文字通り雑念にとらわれる症状のこと。雑念にとらわれるがあまり、物事をうまく進めることができないのだ。
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異性とかLとかTとか、もうどうでもいいのだ。と新宿のレズビアンバーに行ってみて思った。【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
普段ストイックに生きている反動か、「ゴミのような男に引っ掛かって、ゴミのように捨てられる」ということが5年に1回くらい起こる。その1回が、2023年末に起こった。死にたくなった。
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どんな状況でも夢は人を強くする【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
2023年11月末、プロレスリング我闘雲舞が運営するプロレス教室「誰でも女子プロレス」(通称「ダレジョ」)に参加してきた。純粋にプロレスを体験したかったというのもあるが、お目当てはコーチの駿河メイ選手。9月に鈴木みのる選手とのシングルマッチを観て以来、わたしはメイ選手にぞっこんなのだ。148cmという小柄な体で、リング内外を縦横無尽に飛び回る。アクロバティックでハイスピード。なによりだれと闘っても“駿河メイの試合”にしてしまうのが本当にすごい。メイ選手の試合を初めて間近で観たとき、びっくりして泣いてしまった。人は天才を目の前にすると泣いてしまう。そんな感じだった。メイ選手直々にプロレスを教えてもらえるとあっては、行かないわけにはいかない。始まるまで怖くてたまらなかったが、どうにか逃げ出さずに会場へ向かった。
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千住から神楽坂にきて気づいた。仲良くなった人との距離感が分からない。【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
週1回アルバイトしている『荒井屋酒店』の角打ちコーナーに、ある日、ファンキーなお姉さんが現れた。名前はあつこちゃん。鼻ピアスにへそ出しルック。アバンギャルドな雰囲気の彼女は、明らかに千住大橋では浮いている。美大卒でいまは洋服を作っているという経歴もまたカッコよく、初対面でも距離をぐっと縮めてくる感じは九州人ならでは。店の全員がすぐにあつこちゃんのことを大好きになってしまった。
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これからようやく、人生の本番が始まる【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
 柳澤健の『1985年のクラッシュ・ギャルズ』が、わたしのバイブルである。1980年代、女子中高生が熱狂した女子プロレスユニット「クラッシュ・ギャルズ」に関するノンフィクションだ。
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幹事が苦手なわたしが、少しだけ前に進めた日【尾崎ムギ子の転んでも、笑いたい】
生まれてこの方、幹事というものをまともにやったことがない。企画力、スケジュール管理能力、リーダーシップ、予算管理能力、柔軟性、気遣い、気配り、痒(かゆ)いところに手が届く感じ、その他諸々の幹事に必要とされる能力すべてが絶望的に欠如しているからだ。苦手なことはしないに限る。わたしは常に「参加して楽しむ役」に徹してきた。
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ハレー彗星を見て生まれた男色プロレス集団への恋心【尾崎ムギ子の転んでも、笑いたい】
25歳で脱サラして、憧れのフリーライターになった。出版社に売り込みに行くと、必ず言われた言葉がある。「得意分野はなんですか?」――。ない。ないよ……。得意分野も、書きたいジャンルも、これといった趣味もない。強いて言えば美容が好きだったため、美容雑誌に売り込みに行ったが、そこでも「得意分野は?」と聞かれ、「いや、美容なんですけど」とは言えずに俯いてしまった。なんとなく体当たり系のレポートを書くことが増え、歌ったり踊ったり、ハプニングバーに潜入したり、いろいろやった。しかし30歳を過ぎると、「こんなやり方、いつまでできるのだろうか……」という焦りが芽生えた。先輩ライターに相談したところ、「コンビニのカップスープについて書いている人いないから、狙い目だよ」と言われ、カップスープを買い漁ったこともある。しかしさすがにニッチすぎるし、好きでもなんでもなかったため、すぐにやめた。だれも書いていないからとか、そういうことじゃないのだ。自分が心底惚れ込めるなにかが、わたしはほしかった。
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