ゲストは「片手袋」のエキスパート!

ゲストにお迎えしたのは「片手袋研究家」の石井公二さんだ。

「片手袋」を撮影する石井さん。
「片手袋」を撮影する石井さん。

石井さんは、長年に渡り道に落ちている片方だけの手袋を撮影・研究を続け、2019年にはその成果を書籍『片手袋研究入門』(実業之日本社)として出版した。

『片手袋研究入門』(実業之日本社)。
『片手袋研究入門』(実業之日本社)。

谷根千エリアにお住まいの石井さんは、実は片手袋を撮影しはじめるよりも前の2004年、この地域の路上園芸的な現象を写真や文章として記録していた。

地元の方々とともに地域の樹木や園芸植物などをエピソードとともにまとめた成果は「まちの木霊」という地図となっている。

石井さんが制作に関わった「まちの木霊」。
石井さんが制作に関わった「まちの木霊」。
石井さんが撮影した谷根千エリアの緑。
石井さんが撮影した谷根千エリアの緑。
不忍通り沿いを歩き、街路樹や鉢植えの緑、マンションの緑、工事現場の囲いに描かれた緑など様々な形態の「緑」を記録した文章。
不忍通り沿いを歩き、街路樹や鉢植えの緑、マンションの緑、工事現場の囲いに描かれた緑など様々な形態の「緑」を記録した文章。

石井さんと谷根千エリアをご一緒すれば、片手袋目線で街歩きできるだけでなく、地元の方目線で路上園芸を観察でき新たな発見があるのでは。

そう思い、お声がけした。

植物分類学の父・牧野富太郎の墓にご挨拶

この日のスタートはJR日暮里駅。少し汗ばむくらいの気持ち良い陽気だ。

まず目指したのは日暮里駅からほど近くの谷中霊園。ここには、日本の植物分類学の父とも呼ばれる牧野富太郎博士が眠っている。石井さんのご提案により、散策前に牧野博士にご挨拶することにした。

 

牧野博士は、まだ日本の植物の全容が解明されていなかった時代に「植物の精」を自認し、自らの足で各地を調査し、1500以上もの未知の植物に学名を付けた。

路上のスキマで身近に見られるキク科の「ハキダメギク」も牧野博士の命名だ。

等間隔につく花びらがかわいいハキダメギク。世田谷区の掃き溜め(=ゴミ捨て場)で発見したことからこの名前になったとか。
等間隔につく花びらがかわいいハキダメギク。世田谷区の掃き溜め(=ゴミ捨て場)で発見したことからこの名前になったとか。

「素敵な路上園芸に出合えますように……」。

「植物の精」にあやかるべく、牧野博士の墓に手を合わせる。

牧野富太郎博士の墓の方向を示す石碑。横に立つ手描きの看板が味わい深い。
牧野富太郎博士の墓の方向を示す石碑。横に立つ手描きの看板が味わい深い。

ちなみに牧野博士のお墓に緑陰をつくっている大きなムクノキの洞は、先述の「まちの木霊」によると、かつてスパイが秘密文書の交換場所として使っていたというエピソードがあるとか。すごい。

スパイが秘密文書の交換場所として使っていたという、ムクノキの巨木の洞。覗き込んでみたところ、秘密文書の代わりに空き缶が入っていた。
スパイが秘密文書の交換場所として使っていたという、ムクノキの巨木の洞。覗き込んでみたところ、秘密文書の代わりに空き缶が入っていた。
「まちの木霊」より。
「まちの木霊」より。

石井さんの話によると、谷中墓地にはこのムクノキの他にも「イチョウの巨樹を切ろうとしたら涙のように水が出てきた」など、様々な謂れのある木が数多くあるらしい。

神々しいほどの存在感を放つ巨樹が多く残る、谷中墓地ならではのエピソードだ。

「すごいところに引っ越してきてしまったな」

谷中霊園を後にし「夕焼けだんだん」を目指して歩く。この界隈は、どこを見ても軒先や道沿いのあちこちに鉢植えが置かれている。

下町ならでは、防火用水層が鉢植えの舞台に。
下町ならでは、防火用水層が鉢植えの舞台に。

20年ほど前にこのエリアに引っ越し、今や人生の半分以上の年月が経ったという石井さん。当初の印象はどうだったのだろうか。

石井「引っ越してくるまでは緑やコミュニティといった目線で街を見たことはありませんでしたが、なにしろ植木鉢がすごいなというのは、最初に思いましたね。」

話しているそばから、道沿いに植えられた植物を手入れしている住人らしき方の姿も。植物は住人の方が自発的に植えたもののようだ。

石井「越してきた時にびっくりしたのが、うちの家の通路に隣の家のおばあちゃんが花壇を作っていて(笑)。え、まじ、と思いました。あるときには、家の外で音がすると思って見たら、おじさんが通路に勝手に鉢植えを置いて棒とネットを張っていて。『どうしました?』って声をかけたら、『紫陽花持ってきてやったよ』って……勝手に紫陽花を植えていました。すごいところに引っ越してきてしまったな、と(笑)」

お住まいの方にとっても、花や緑を育てるのは身近な活動のようだ。いきなり自宅の敷地に植物を植えられたら面食らってしまいそうではあるが、地域のおおらかさを感じるエピソードだ。

谷中銀座を花で彩る路上園芸家

夕焼けだんだんに向かって歩く。
夕焼けだんだんに向かって歩く。

日暮里駅前の御殿坂をまっすぐ進んでいくと見えてくる大きな階段が「夕焼けだんだん」だ。名前の通り、階段から美しい夕焼けを眺めることができるのでこの名前がついた。

階段を降りた下に広がる商店街が「谷中銀座」。昭和20年頃に生まれた商店街で、170メートルほどの通りに様々な業種の個人商店が軒を連ねる。

この谷中銀座界隈も格好の路上園芸鑑賞スポットだ。お店の軒下や建物の脇、室外機の上といったちょっとした空間に鉢植えが並ぶ。

鍋が鉢に変身した「転職鉢」発見。
鍋が鉢に変身した「転職鉢」発見。
室外機には鉢植えが置かれがち。石井さんによると「片手袋も置かれがち」とのこと。
室外機には鉢植えが置かれがち。石井さんによると「片手袋も置かれがち」とのこと。
自動販売機の間に多肉の子宝草。お隣のお店の鉢植えから逃げ出したものだとか。
自動販売機の間に多肉の子宝草。お隣のお店の鉢植えから逃げ出したものだとか。

商店街の一角に、色とりどりの花の鉢植えが並んだ場所があった。階段の段差と、建物の塀の脇と、そして前の植え込み部分に鉢がぎっしり。おうちの方がいらしたのでお話を伺ってみたところ、屋根のある場所には直射日光に弱いものや咲き終わったもの、日の当たる植え込みには日を好む植物と、その時どきの状態を見ながらこまめに配置を変えているそう。

屋根のある階段には直射日光に弱い植物が並んでいる。
屋根のある階段には直射日光に弱い植物が並んでいる。
塀の脇には、手入れ中の花が並ぶ。
塀の脇には、手入れ中の花が並ぶ。

枝垂れ桜の植えられた植え込みの根元も、色とりどりの鉢が彩る。

以前は草がボウボウに生えていたのを自ら綺麗に手入れしてお花を飾ったところ、今では道行く人が見たり写真を撮ったり座ってお弁当を食べたりと、愛されるスポットになっているとのこと。以前はタバコの吸殻が捨てられていることも多かったが、綺麗にしたことで吸い殻もなくなったりと効果があるそうだ。

植え込みを彩る色とりどりの鉢に、道行く人が足を止めていく。
植え込みを彩る色とりどりの鉢に、道行く人が足を止めていく。

これだけの鉢、手入れには相当手がかかるだろうと思って伺ったところ、1日2、3回の水やりや手入れで3時間ほどかけているとか。

「この花はもう三度も咲いたんだよ」「これは盆栽みたいに仕立てて……」「こっちは種から綺麗に咲いて……」「これは咲き終わって上を全部切って、水をやったらまた出てきた」など、それぞれの鉢を指差しながら、お花の特徴や手入れについて色々とお話をしてくださった。全ての植物の状態を把握されており、細やかな手入れの様子が垣間見える。

 

街の素敵な路上園芸の背後には、このような園芸家の方の丁寧な手入れが存在しているのだと痛感する。

かつての川沿いを歩く

谷中銀座から脇道へと入ると、秘密の回廊のような細い路地が現れる。路地に入ってすぐのところで、丸まった黒い布地の物体を発見した。

これは「片手袋」? はたまた……?
これは「片手袋」? はたまた……?

これは、「片手袋」だろうか? 広げて確かめたい気もするが……。

石井「こういう時に『触ってはいけない』というルールが足を引っ張るんですよ。」

そう、石井さんの片手袋観察には「触ってはいけない」というマイルールがあるのだ。

村田「他の人が触るのはアリなんですか?」

石井「触ってもいいんですが、胸がドキドキしてしまいます。」

石井さんとの友情にヒビを入れたくなかったので、ここは触らず鑑賞にとどめておくことにする。

石井さんのルールに則り、今回は触らず鑑賞のみ。
石井さんのルールに則り、今回は触らず鑑賞のみ。

路地を抜けしばらく進むと、「よみせ通り」という商店街が見えてくる。

この通りにはかつて、駒込染井から不忍池にかけて流れていた「藍染川」という川が流れていた。大正時代に川を暗渠化した後につくった通りに商店が並び、日が暮れると夜店でにぎわったことから「よみせ通り」と呼ばれるようになったとか。

よみせ通り沿いでも至るところで路上園芸が繰り広げられる。

谷中のアロエスポット。
谷中のアロエスポット。
路上園芸ではおなじみ、狸の置物がひっそり佇む。
路上園芸ではおなじみ、狸の置物がひっそり佇む。

村田「この辺ってご近所同士で植物を交換する文化もあるんですか?」

石井「あるみたいですよ。見事なアロエが生えているお宅の前に、『ご自由にお待ちください』ってアロエの株が置いてあったことがありました。実際、僕の知人もそこから貰って育ててたりするみたい」

村田「地域一帯これだけ路上園芸が見事だと、伝説のグリーンフィンガーがいたりするんでしょうかね。地域の路上園芸を取り仕切る『よみせ通りのマツ』みたいな」

石井「家の前にひと鉢置いたら、『あれ、あんたマツさんに挨拶した?』って」

村田「秘伝のタレみたいに『このカネノナルキはあの家から挿し木で増えていった』みたいなこともあるかもしれませんね……」

 

この地区の路上園芸家たちが繰り広げるドラマを勝手にあれこれと妄想しながら歩く。

通り沿いのあちこちで、鉢植えの紫陽花に蕾が付いており、季節の移ろいを感じる。

ブロッコリーのような紫陽花の蕾。
ブロッコリーのような紫陽花の蕾。

「あ、あいつかわいいですよ」と石井さんが指差す方を見てみると、グレーチングの脇のひび割れた部分で開花するタンポポの姿が。

かわいい〜!と思わず一同、歓声を上げる。

スキマでタンポポが開花!
スキマでタンポポが開花!

片手袋だと思ったら○○だった……!

よみせ通りをまっすぐ進んでいくと、三崎坂という車道に出る。坂沿いには「枇杷橋跡」という看板が立っていた。看板によると、かつてこのあたりに「枇杷橋」という橋がかかっていたそう。かつてここに川が流れていたことの名残を感じる。

枇杷橋跡の道を渡ると、そのまま藍染川の暗渠は「へび道」というぐねぐねした道へとつながっている。

かつて流れていた川の名残を感じる「枇杷橋跡」。
かつて流れていた川の名残を感じる「枇杷橋跡」。

石井さんが「あ、あれ介入型だ」という声を上げる。視線の先を追うと、車道を挟んで向かい側のガードレールのはじっこに、手袋らしきものが被せられている。

あ、ちなみに「介入型」とは、石井さんオリジナルの片手袋分類用語。道に落ちたままの状態を「放置型」、誰かが拾って目立つ場所に置いたりしているものを「介入型」と呼んでいる。

片手袋分類図(作:石井公二さん)。
片手袋分類図(作:石井公二さん)。

こんな遠くからでも「片手袋」と分かるとは。石井さんの片手袋を発見するアンテナの感度にあらためて感心しながら、信号が変わるのを待って介入型の片手袋らしきものに近づいてみると……。

なんと、介入型の「5本指ソックス」だった。

えぇ〜〜〜、こんなことってある!?

指先が5本に分かれた布地のものが落ちていたら、拾ってどこかにかけておきたくなるのが人情というものだろうか。大きな概念で「介入型片手袋」かもしれない。

 

「あ、あれはなんだろう」。石井さんが再び道の向こうを見てつぶやく。

「もしものことがあるから見てみよう」と、「ニオう」方を目指す。

近づいてみると……

ガイドポストが割れた跡だった。残念。

「数々の片手袋研究家をがっかりさせてきたガイドポストですね……」と石井さんがつぶやく。

 

「発見した片手袋は(命の危険がない限り)全て撮影する」というルールを自分に課している石井さん。

バスの中や遠方から片手袋らしきものを見かけ、かなりの距離をかけて近づいたら全く違うものだった、ということもよくあるそうだ。

ううむ、片手袋研究家も結構たいへんだ。

花で季節感を追う地域

藍染川の暗渠である「へび道」を通り抜けると、根津の街に出る。

根津のあたりも住居や商店の軒先に無数の鉢植えが見受けられる。郵便ポストが多肉の部屋のようになっていたり、室外機を品よく目隠しした上に鉢植えが置かれていたり。建物が密集した場所ならではの配置の工夫を随所に感じる。

郵便ポスト園芸。
郵便ポスト園芸。
室外機が小さな庭に変身。
室外機が小さな庭に変身。
路上園芸ストリート。
路上園芸ストリート。

今回の散歩のゴールは根津だったが、さすが石井さんとの街歩き、片手袋以外にも数々の気になるものを発見したのでダイジェストでお届けしたい。

長さがピッタリ!と思わず歓声。ポリバケツの蓋の縁に巻かれたホース。
長さがピッタリ!と思わず歓声。ポリバケツの蓋の縁に巻かれたホース。
「冷やし中華はじめました」みたいなノリ。
「冷やし中華はじめました」みたいなノリ。
小さな階段。
小さな階段。
賽の河原。
賽の河原。
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日暮里からスタートし根津まで歩いて来たが、このあたりの路上園芸は、そこに住む方の暮らしや空間を彩るものでありながら、同時に外にも開かれていることを感じる。

 

石井さん曰く「この辺は、花の循環で季節感を追っている」という。

春は根津神社のつつじまつりや上野東照宮のぼたん祭、夏は白山神社のあじさいまつりや不忍池の蓮。また江戸時代の大名屋敷も近く、六義園や後楽園といった名所もある。墓地や大学、お寺といった大きな緑地もあるから、至るところで巨樹が深い緑陰を作り出しているのも魅力だ。

 

そういった植物を愛で親しむ大本の空気感と、草花で身近な空間を彩るボトムアップの文化と両方が混ざり合って、このエリアの独自の路上園芸風景が作り出されているのだろう。

そう語る石井さんの言葉が、今日歩いて見た様々な風景にすとんとはまった。

取材・文・撮影=村田あやこ