たとえば花火大会。私だって、花火大会には行った。他の劇団に所属する年上の友達と。花火は綺麗だったし、楽しかった。けれど中学時代の友達から、高校の「いつものメンバー」と行った花火大会の話を聞いたり、みんなで浴衣でピースしているプリクラを見せられたりすると、胸が張り裂けそうだった。だって、そっちのほうが圧倒的に楽しそうなんだもの。一緒に行った友達には本当に申し訳ないけれど、自分の思い出が色あせて見えてしまう。
こういうことを書くと、よく「友達がいただけマシ、自分はぼっちだった」「自分のほうが不幸だった」みたいなことを言われる。たしかに、私はまったく不幸ではない。それは当時もわかっていた。ただ、私には理想とする青春像があり、自分がそれに届いていないことが悔しかっただけだ。
私は華やかでにぎやかな青春に憧れていたが、根が暗いせいか、どうしてもそういった世界とは無縁だった。見た目だけでも理想に近づけようと、メイクをして髪を染めてピアスを開けた。当時流行っていたマイクロミニスカートを穿き、厚底ブーツを履いてみる。
しかし、見た目を派手にしてみたところで生活は変えられない。私は無駄にギャルっぽい見た目のまま、通信制高校のレポートとバイトと芝居の稽古に勤しんだ。見た目だけはいかにも夜遊びしてそうだが、実際は一緒に夜遊びできる友達がいない(そもそもうちは親が厳しい)。夜は、家で江國香織や川上弘美の小説を読んだり、爆笑問題のラジオを聴いたりして地味に過ごした。
東京の専門学校に進学した私は、「今度こそ青春を取り戻すぞ」と息まいた。専門学校デビューを果たすつもりだったのだ(ちなみに、この頃はもうギャルファッションはやめていた)。
ここで青春を謳歌したい。そのためには、一緒に青春を謳歌できそうな、楽しくてノリのいい友達を見つけなければ……!
しかし、私は「友達づくり」が上手にできない。流れに任せているうちに気づけば友達になっていることはあるが、自分から意図的に仲良くなることができないのだ。クラス替え直後に仲良しグループが構築されるときも、「どのグループに身を置くかを選ぶ」みたいな器用なことができず、「気づいたらこのグループにいた」みたいに、受け身で結果を待つしかない。
肩に力が入った状態で入学式とオリエンテーションを過ごし、いよいよ専門学校生活が始まった。田舎者だと思われないよう、変な奴だと思われないよう、周りを見ながら注意深く過ごす。
授業の合間、ほとんどの生徒は中庭で過ごしていた。私も中庭にいるうちに、近くにいた人たちと会話をするようになった。
私が最初に話すようになった人たちは、女の子も男の子も派手めで、一言で言えば「クラブで遊んでそうな人たち」だった。みんな、ノリがよくて面白い。けれど、会話のテンポが速くてポンポン話題が変わるのでまったくついていけない。内容も、当時の私が知らないカルチャーの話ばかりで疎外感を覚えた。
私と彼女たちはタイプが違いすぎて合わないから、もっとしっくりくる友達を探せばいい。今ならそれがわかる。しかし、当時の私はなぜかその程度の知恵も回らず、「最初に話しかけてくれた」というだけで彼女たちにしがみついていた。彼女たちひとり一人と、そこまで仲良くなりたいと思っているわけでもないのに。
そうしているうちに、私はわかりやすく5月病に罹(かか)った。華やかでにぎやかな集団にいるのに、毎日ちっとも楽しくない。思っていた青春と違う。人と話すのが億劫で疲れる。
GW明けのある昼休み、友人たちは近所の大学の学食にランチを食べに行くと言う。私も誘われたが、気乗りしなかったので断って、一人で中庭でお昼を食べた。そのとき声をかけてきた3年生の男子と仲良くなり、しばらくして付き合うことになった。
それがきっかけで、私は学校でも彼氏や、彼氏の友人たちと一緒にいるようになった。彼氏は3年生だったが、彼氏の友人たちは2年生が多い。私は1年生なので、すでに関係性ができあがっているところに入れてもらう感じだ。
彼氏もその友達も、サブカルチャーに精通している人ばかりだった。みんな、オシャレな音楽や映画や文学をよく知っている。繊細で社会に適応しづらそうで、まだ何も成していないのにやたらと批評的で、つまりは私と似た人たちが多かった。私をうんとオシャレにしたような人たちだ。
私は新入りとしてあとからグループに加入したので、多少の気まずさや面倒くささはあった。しかし、最初に仲良くなった子たちよりはずっと居心地がよかった。
ちなみに、最初に仲良くなった子たちはみんな、あっという間に学校に来なくなっていた。結局、誰ひとり卒業しなかったと思う。
初夏のある日、彼氏とその友人たちと新宿でオールをすることになった。私にとって、人生で初の夜遊びだ。
正直、その日のことはほとんど覚えていない。誰がいたのかも、新宿のどんなお店で、どうやって朝まで過ごしたのかも思い出せない。いくつかの場所を渡り歩いた記憶はあるが、ひとつの店に長居したり、誰かが深酒した覚えはない。たしか、カラオケには行かなかった。カラオケなしで長い長い夜の時間をどうやってつぶしたのだろう?
覚えているのは、夜道を歩いている場面だ。みんなでほろ酔いのまま、夜の街を歩いた。あれは、新宿のどこだったろう。ビル街だったと思う。気づけば営業しているお店も人通りも少なくなっていて、ずいぶんと歩きやすくなっていた。街にいるというより、「夜」そのものの中にいるような気分だ。
深夜で人通りが少ないとは言っても、そこは新宿、人がまったくいないわけではない。綺麗なお姉さんとすれ違ったとき、甘い香水の香りが漂ってきた。一緒にいた男の子(誰かは忘れた)が吸い寄せられるように振り返り、しっかり者のYちゃんが「お前はカブトムシか」とつっこんだ。
やがて、あるビルの前を通りかかった。そのビルは格子状のシャッターで覆われている。すると何を思ったか、常識人で温厚なM君が助走をつけてシャッターを駆け上がり、そのまま高いところまで登っていった。
私はあっけにとられていた。運動神経抜群のM君はどんどん、どんどん高いところまで登っていく。落ちたら怪我をするのでハラハラしたが、同時にとても痛快だった。ビルのシャッターを登るのはいけないことだとわかってはいるが、それでも笑いが込み上げる。シャッターに張りつくM君の背中が、とても自由そうに見えた。
この一夜は、まるで夢のように楽しくてキラキラしていた。具体的に覚えているのはYちゃんの「お前はカブトムシか」とM君がシャッターに登ったことだけなので、何が楽しかったんだと聞かれれば困るのだが、ともかく楽しかった。
あとになって思えば、あの一夜ははじめて「理想の青春」に手が届いた瞬間だったのではないか。
そういえば、この頃から青春コンプレックスが雲散霧消した気がする。喉から手が出るほど「理想の青春」を追い求めることも、青春を謳歌している(ように見える)人が羨ましくてたまらないことも、気づけばなくなっていた。
それは、おそらく私自身が青春を謳歌しはじめたからだろう。しかし、当時はその自覚がなかった。
夏休み中に演劇の公演があり、演劇の授業を取っていた私は舞台監督助手として参加した。夏休み前半は毎日練習のために登校していたので、演劇の授業を取っている人たちと友達になった。また、シナリオの授業の合宿があり、ここでも何人か友達ができた。
次第に、彼氏の友達の上級生よりも、同級生といる時間が増えた。同級生の友人たちは、演劇をやっていたり小説やシナリオを書いていたりして、創作活動の話ができるのが嬉しかった。
その年の冬には彼氏に振られ、翌年3月には彼氏が卒業。私は2年生になった。
私は1年生の柊子(仮名)と出会い、仲良くなった。柊子に教えてもらったのがきっかけで吉祥寺のハモニカ横丁に入り浸るようになり、私にとってオールや夜遊びは日常になった。また、本格的に小説に取り組みはじめ、小説を書いては新人賞に応募したり、柊子を含む友人たちと同人誌を作ったりもした。
この頃、彼氏の友人たちは3年生として学校にいたが、そこまで親しくはしていなかった。関係が悪くなったわけじゃないから、顔を合わせれば普通に話はするが、もう遊びに誘われることはない。新宿で過ごしたあの一夜が幻のようだ。たぶん、私以外は誰も覚えていないのではないか。
あの一夜は、今でもキラキラした青春の思い出だ。ただ、大人になった今振り返ると、きらびやかな時間だけが青春ではなかったな、と思う。
青春を謳歌している人を妬みながら深夜ラジオを聴いたあの日。専門学校デビューを果たそうと四苦八苦したあの日。
それらの日々も、今の私は「青春」にカテゴライズして目を細めてしまう。
そんなことをあの頃の私に言ったら、きっと目を釣りあげて不本意を表明するだろう。だからせめて、あの頃感じていた青春コンプレックスのことはいつまでも覚えていてあげようと思う。
文=吉玉サキ(@saki_yoshidama)