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吉祥寺のハモニカ横丁で飲み歩くようになったのは、専門学校の二年生のとき。一年生として入学してきた同い年の女の子と仲良くなり、彼女がGWに連れて行ってくれたのがきっかけだ。

今のハモニカ横丁は小綺麗なお店が多いが、当時はもっとごみごみしていた。狭い通路に飲み屋がひしめき合うさまは、異国の屋台か学校祭のような雑多さがあって心が躍る。

連れていかれたお店は、ミシミシ音をたてて急な階段を登った先にある、10人入ればいっぱいになるような小さなバーだ。煙草の煙が充満していて、CDウォークマンを繋いだ(今思えば音質が悪い)スピーカーからはロックが流れていた。

そのバーはマスターが曜日ごとの交代制で、みんな他に本業を持っており、儲け度外視の趣味でやっているようなお店だ。一見さんが来ることは少なく、客はほとんどが常連。その日はフリーライターのおじさんがマスターで、マスターや常連さんとお喋りしながら飲むのが楽しかった。

私はすっかりハマってしまい、気づけば、教えてくれた友達以上にハモニカに入り浸るようになった。同時期に上京していた幼なじみのチヒロ(仮名)にハモニカを教えると、彼女もハマって、毎週のように一緒に飲み歩いた。

ハモニカでは、ひとつのお店に長居するより、いくつかのお店をはしごする飲み方が主流だ。そんな飲み方をするのは初めてで、夜がキラキラして見えた。私たちは毎回だらしなく飲んだくれてはケラケラ笑い、早朝の吉祥寺駅で我に返った。いくつかの店に顔なじみができて、行けば誰かしらいるのも嬉しい。

Fと出会ったのはそんなときだ。彼は同い年の美大生で、日替わりマスターの店の火曜日を担当している。人懐っこいがお喋りではなく、真面目じゃないがなんだかんだで社会に適応できそうな人。どうやって知り合ったのかは覚えていないが、気づけば一緒に飲むようになっていた。ほかにも飲み仲間はたくさんいたが、友達と呼べる間柄になったのは彼だけだ。

Fとの会話は基本的にふざけていたが、たまに創作や夢について話すこともあった。私は当時小説を書いていてFは絵を描いていたから、共通項があったのだ。酔っ払ったFが「ラピスラズリの青をふんだんに使って描きてー!」と言ってテーブルに突っ伏したのを覚えている。宝石のラピスラズリを原料とする顔料はとても高価なのだそうだ。

そんな調子で二年弱を過ごし、私もFもチヒロも卒業が近づいてきた(私は三年制、Fとチヒロは四年制の学校だが、私が一年遅れて入学しているため卒業は同時)。私の卒業制作は長編小説で、四人姉妹それぞれの視点から書いた物語だ。ゼミの文集に掲載するにあたり、その扉絵をFに描いてもらうことにした。

出来上がったイラストを受け取ったのは御茶ノ水のカフェで、そのとき初めて、吉祥寺以外の街にいるFを見た。昼間の姿を見るのも初めてだ。彼は私の小説を絶賛し、扉絵も文字通り自画自賛していた。

「四人姉妹のひとりひとりに恋をしながら描いたね」

そう言うFに、「よくそんな恥ずかしいこと言えるな」と思った。自意識過剰な私と違って、Fはストレートな物言いができる人だった。

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学校を卒業すると、私はハモニカに行かなくなり、Fと会うこともなくなった。

私は卒業した翌年に山小屋でバイトをし、そこで今の夫に出会った。夫はFが通っていた美大で助手をしていたそうだ。Fに電話で「吉田さん(夫)って知ってる?」と尋ねると、知っていると言う。それで、Fに夫を合わせてみた。夫はFを覚えていなかったが、Fは「まさかサキが吉田さんと付き合うなんて、世間は狭いな~」と感慨深そうにしていた。

その後Fは結婚し、結婚式には私とチヒロも招かれた。

しかし結婚式以降、Fに会うことはなかった。子供が生まれたFは仕事が忙しくなり、私は私で自分の人生に忙しく、自然と疎遠になったのだ。

そして、そのまま10年の月日が流れた。

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Fから久々に連絡が来たのは一昨年。内容は「吉祥寺で自分の店を始めた」というものだった。彼は自営業なのだが、昼間は昼間で働きつつ、副業としてバーを始めたらしい。

さっそく夫と一緒にFの店へ行った。ハモニカ横丁からはやや離れた場所にある雑居ビルの一室で、彼が学生時代にやっていたバーよりもだいぶしっかりした施工のお店だ。

およそ10年ぶりに会うFは、ほとんど変わっていないように見えた。けれど年齢に相応しい落ち着きは身に付けている。なんだか不思議だが、もちろん嫌な感じはしない。私も同じように見えているのだろうか。

Fは「サキが書いたハモニカのエッセイ読んだよ」と言った。私はとあるWebメディアでハモニカ横丁の思い出を書いていたのだ。

「よく私だってわかったね」

ビックリした。私はFに、ライターであることも、ペンネームも話していなかったから。

「たまたま見つけて読んで、すぐわかった。物書きになりたいって言ってたし」

その日は他のお客さんがいたこともあり、1杯だけ飲んですぐにお暇した。酔わない程度に飲んで終電よりもだいぶ早い電車で帰る私に、Fはなにを思っただろう?

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次にFと会ったのはつい最近のこと。吉祥寺で用事があったので、ついでにお茶でもどうかと私から声をかけた。

用事を終えた夕方、Fのお店に行った。営業は夜からなのだが、特別に開けてくれたのだ。

私はカウンター席に座り、Fはカウンターの中の小さな椅子に腰かけ、近くのコンビニで買ったコーヒーを飲みながら喋った。まるで、吉祥寺の日替わりマスターの店で飲んでいた頃みたい。違うのはお互いに中年であることと、時間帯と飲み物か。

実は、私はFと再会してじっくり話すことが少しだけ怖かった。それには理由がある。10代の頃仲が良かった男友達と再会すると、やたらと「お前、変わったな」と言われるからだ。

たしかに、私は若い頃に比べて変わったと思う。若さゆえの「尖り」が消えて、身も心も丸くなった。ただ、それは当たり前のことだろう。中身に成長も変化もないまま歳だけ10も20も取っていたら、そっちのほうがよっぽど気味が悪い。

しかし、「お前、変わったな」と言う男友達は私の変化を認めたくないようで、私がなにか言うたびに「でも、昔はこうだったよな」と言う。まるで「大人になってつまらない人間になった」とでも言いたげだ。せっかく今の話をしているのにいちいち一時停止ボタンを押されるようで、こちらとしてもつまらない。

その経験があるから、Fとの再会も少し身構えていた。Fが「昔はこうだったよな」と言ってきたらどうしよう。言われるのが嫌というよりも、それを言われることでFに幻滅したくない。

しかし、Fはすぐに「今」の私にチューニングを合わせてくれた。昔より、はるかに当たり前のことを言うようになった私に。

私たちは、カウンター越しに「今」の話をした。家族のことや仕事のこと、最近考えていること、暮らしのこと。もちろん昔の話も少しは出たけれど、お互い「あの頃はよかった」なんて言わない。それがとても、心地よかった。

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過去を反芻して生きるには、人生は長すぎる。今を味わうことなく、40代になっても50代になってもずっと二十歳の思い出を咀嚼しつづける人生なんて嫌だ。私たちは過去ではなく、今を生きているのだから。

1時間半ほど喋ってから一緒に吉祥寺駅に向かい、花屋の前で「じゃ、また」と別れた。Fはこれから息子のミニバスの練習を見に行き、私は帰宅して原稿を書く。夕飯はなにを作ろう。その前にコンビニでスイーツでも買おうかな。

中年になった私たちの生活はそれぞれ、ハモニカ横丁で過ごした時間とはまた違う色で輝いている。

文=吉玉サキ(@saki_yoshidama