栃木県の記事一覧

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宇都宮に新路面電車“ライトライン”が走るのだ ~路面電車の完全新設は75年ぶり!~
2023年3月、雷都(らいと)・宇都宮に新たな路面電車が誕生する。国内初、低床式車両での全線新設や快速運行の採用など、渋滞緩和の切り札となりそうな新路線を、一足早くゴン掘り!
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上杉謙信も落とせなかった関東一の山城、唐沢山城へ【東京発日帰り旅】栃木県・佐野市
『散歩の達人 首都圏日帰りさんぽ』より、旅先で気軽に楽しめる散歩コースを紹介。歩行時間や歩行距離も明記しておりますので、週末のお出かけにご活用ください。佐野駅北部の唐沢山には関東では珍しい高石垣の堅固な山城がある。展望もよく、江戸の町の火災も見えたというくらい。上杉謙信が何度も攻めたが落とせなかった城でもある。
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埼玉県・久喜の『しおん動物病院&ねこカフェShe-on』のマサムネくんたち
今回の看板猫のいるお店は埼玉県久喜市にある『しおん動物病院&ねこカフェShe-on』。今日はどんな猫ちゃんに会えるかワクワクしながら入店します。
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日光鬼怒川の『仁王尊プラザ』の看板猫みーちゃん、とらちゃん
看板猫のいるお店を探して、今回訪れたのは今回訪れたのは日光市鬼怒川。4月上旬に日光に行く予定があったので、近くに看板猫のいるお店はないものかと調べたところ『仁王尊プラザ』に看板猫がいると言う情報を入手。せっかくなので旅の途中でふらっと立ち寄ってみた。
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群馬・埼玉・栃木・山梨のご当地うどん7選!わざわざ訪ねていきたい名店の絶品を紹介します
関東は一大小麦生産地帯だ。国内生産量の半分を占める北海道を除くと、群馬県は堂々4位で12位までに埼玉、茨城、栃木が続く。そこで、群馬三大うどんをはじめとした絶品のご当地うどんをご紹介。地域によって麺の太さや味が異なり、とても奥が深いので、食べ比べしてみてはいかが? どの店も手打ちのため売り切れ次第終了なのでお早めに。
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【読む聴く!鯉八さんぽ落語】「また泣いた赤鬼」瀧川鯉八
ひとりさんぽの目的は、人それぞれ、鬼もそれぞれ。新作落語の奇才・瀧川鯉八さんによる誌上落語企画、待望の第2弾。あこがれの地へのさんぽ、その顚末とは――?
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栃木県大田原市 ~歴史と自然が交錯する日本一のとうがらしタウン~
八溝(やみぞ)山地を隔てて茨城県および福島県と接する栃木県北東部の大田原市。松尾芭蕉が「おくのほそ道」の道中で長逗留した旧黒羽町、貴重な史跡が数多く残る旧湯津上村を編入し、2005年に現在の大田原市が誕生したこともあり、市内を訪ね歩くと新しい表情だけでなく、各地区で培われてきたであろう伝統や文化の残り香が今なお色濃く漂っているのに気づく。これが数百年、あるいは千年以上の時が刻んできた歴史の重みなのだろう。その大田原市が、とうがらし生産量日本一の地であると今回の旅で初めて知った。地域おこしの一環として“とうがらしの郷 大田原”をうたい文句に、栃木三鷹(さんたか)と呼ばれる品種のとうがらしと鶏の唐揚げを組み合わせた「さんたからあげ」をはじめ、とうがらし関連の料理や銘品を鋭意開発中だという。塩原や那須といった知名度の高い地に隣接しながら、交通の大動脈である新幹線や東北道がすぐ脇をすり抜ける立地もあり見過ごされがちだが、足を運べばピリッと刺激のある新鮮な出合いが待ち受けているに違いない。
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撮影現場の女性スタッフ2人と足利から東京まで電車で帰る気まずい2時間
役者として映画やドラマの撮影に参加したことが何度かある。正しい演技の仕方も役者の醍醐味も今のところよくわからないが、とりあえず仕事にしては楽しい部類である。撮影中、寒い日は周りがサッカーの控えが着るようなベンチコートを着せてくれたり、お茶を持って来てくれたりする。恐縮しつつも、慣れないVIP待遇がうれしい。ドラマに出たと言うとガールズバーなどの店員が一目置いてくれることもある。
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【東京発日帰り旅】宿場町・栃木は巴波川の舟運と共に栄えた蔵の街
『散歩の達人 首都圏日帰りさんぽ』より、旅先で気軽に楽しめる散歩コースを紹介。歩行時間や歩行距離も明記しておりますので、週末のお出かけにご活用ください。今回は、蔵の街で知られる栃木県栃木市。江戸時代直前は城下町だったことも。その後、日光例幣使街道の宿場町としてにぎわいを見せ、巴波(うずま)川の舟運によってさらに隆盛を極めた。その証が、今も残る多くの蔵だ。
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餃子だけじゃない! 奥深きカレーの街・宇都宮のホットな名店3軒
市街地を歩くと、カレー専門店が多いことに気がつく。インドカレーから、オリジナルのキーマカレー、昔ながらのカレーまで、多彩な味が市民を魅了してやまない。餃子、焼きそば、そしてカレーとくれば、まさに宇都宮はファストフードの王国だ!
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年間購入額日本一、餃子の町・宇都宮で、思う存分餃子を堪能できる店3選!
宇都宮っ子は、週に数回餃子を食べるのが当たり前といわれ、それは年間購入額日本一という数字にも表れている。野菜多め、肉やニンニク少なめなのが特徴だ。市内で餃子を扱う店は300以上。各店独自の味でしのぎを削っている。
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もちもち麺&昔ながらのソース味! 手軽に味わえる、宇都宮の焼きそば
今や餃子に続くソウルフードとなっている宇都宮焼きそば。もちもちの太麺とキャベツや目玉焼きのトッピングが特徴で、地元メーカーのソースを使うのが基本。手軽に味わえるので、街歩きの途中にひと休みを兼ねて訪ねるにはぴったりだ。
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栃木県 塩谷町 ~水あり、山あり、心あり。自然と人情豊かなアクアの里~
栃木県には、日光をはじめ、鬼怒川温泉、塩原温泉、那須高原といったメジャーな観光地が目白押しだ。それらに囲まれ、しかも県都・宇都宮のすぐそばに、ツウ好みの静かな町、塩谷がある。人口1万あまり、栃木県最少という密でない小さな町のいちばんのウリは、なんといっても自然。とくに「日本名水百選」のなかでも、屈指のおいしさと軟らかさを誇る「尚仁沢湧水」は見逃せない。一般観光客の多くは通り過ぎてしまうそうだが、じつにもったいないことだ。高原山の麓に開け、豊かで良質な水と土に恵まれた塩谷は、農作物もおいしい。「たかはら山麓水街道」という、このエリアの食のキャッチフレーズが言い得て妙だ。穏やかで親切な住民と触れあいながらのウォーキングも楽しい。私事だが、昭和時代によく通った人間としては、令和になっても昔とあまり変わらない雰囲気にひと安心だった。いつもと違う今年の夏は「ウィズ・アクア」。鬼怒川と、尚仁沢湧水が注ぐ荒川が町をとうとうと流れる名水の里で、密にならない涼しげな散歩を。
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栃木県鹿沼市~掃除には鹿沼箒!! お茶とあんこを巡る”あん”行脚
江戸日本橋から27里(約100km)、麻や木材の集荷・加工でにぎわった宿場町。市街で街道が2本に分かれているのがめずらしい。中世以前からの街道筋は東側で日光道中壬生通(日光西街道)という。城址に近いほうの道は殿様の壬生氏が小田原攻めで滅亡後、家臣が消えた城下へ自然に人が集まった結果、日光例幣使街道として整備されたとか。近年、日光例幣使街道を中心に電線が地中化されて見違えるようにスッキリした景色になった。有名な秋祭りでの山車の繰り出しも俄然スムーズになったそうな。街の特産といえばかつて全国一の生産量を誇った鹿沼箒。天保年間からの伝統を守る箒職人が、現在お一人でがんばっている。地場産の香り高い鹿沼そばで一足早く年越し気分を味わい、一生モノの箒を求めて大掃除に励みたい。例年12月初旬には総鎮守の今宮神社で冬渡祭(おたりや)もある。鹿沼市は散歩の達人2010年10月号「さんぽ旅」で紹介した、個人的にお気に入りの街。満を持しての再登場となった。コアな読者は併読してガッツ氏の墓参りを!
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栃木県益子町~陶芸と中世の歴史に親しむ
江戸時代の末期、常陸国笠間藩(現・茨城県笠間市)で修業した陶工が、益子に窯を築いたことから始まったとされる益子焼。最初は水がめや火鉢、壺などの日用品がおもな製品だったらしい。その後、昭和に入って濱田庄司が創作活動を開始、民芸運動によって一躍有名になった。芸術的な面も持つようになり、作家が集まることで自由な創作環境が育っていった。現在は400人強の陶芸作家や窯元が活躍する陶芸の里に発展。笠間焼とともに、関東の二大陶器生産地になり、店も350軒あるという。陶芸に気をとられて忘れがちだが、文化財がたくさん残されているのも魅力の一つ。中世の文化財で国指定重要文化財の建造物が一番多いのは京都で2位は奈良。意外なことに益子町は全国10位で、東日本では鎌倉を抑えて益子町が唯一トップ10入りを果たしている。益子の町は自転車でポタリングするのにちょうどいい広さでカフェも多い。ヒロインが陶芸家を目指す朝ドラも放送していることだし、ぶらっと陶器市の見物がてら訪ねたい。
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『女子旅日和』校了記念~心の声のままに「和」を満喫するわがまま旅で星野リゾート『界 川治』へ
11月13日に発売された『旅の手帖MOOK 女子旅日和』は全国のおすすめエリアや宿をシチュエーション別に紹介している使える一冊。旅の計画を立てるときに便利なのはもちろん、たくさんの写真が旅情を誘い、読むだけでも楽しい――と。はい、宣伝はここまで。絶景スポットや料理の写真に囲まれて編集作業をしていると、どうしても旅好きの血が騒ぐ。こんなきれいな海や山、ここ1年は確実に見てないぞ! 出版社がここまでデスクワークが多いとは思わなかった。もういいじゃん、旅に出ちゃおうよ、という心の声は大切にするべきだと判断し、上司への報告もそこそこに年休を取得したのであった。
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