そんな至れり尽くせりの仕事だが、唯一の悩みのタネが人との接し方。共演者やスタッフとの正しい距離感がわからず、控室で台本に集中しているフリをして殻にこもってしまう。年齢を重ねて社交性を身につけたつもりだが、初対面の数十人と一定期間仕事をすると、思春期の頃とそう変わらないコミュ力不足が露呈するのだ。都内だと場所が押さえにくいのだろう、撮影は東京から電車で1~2時間ほどの近県で行われることが多い。その日は栃木県足利市で行われる撮影に参加して2日目、1シーンだけの撮影は1時間程度で終わり、帰りは撮影地から最寄りの足利市駅までマイクロバスで送ってもらうことになった。

次の現場へ移動する女性ADさん、メイクさんとマイクロバスで乗り合わせた。2人はそれなりに仲が良いようで、気安い世間話をしている。

私は離れた座席で会話を聞きながら、この後のシミュレーションを始めていた。駅で車を降りてからも2人の近くにいたら、東京まで一緒に帰る雰囲気ができてしまうだろう。そんな状況は向こうも私も望んでない。顔見知り程度のスタッフさんと東京まで2時間、楽しく過ごす力を私は持たない。だから駅に着いたら速やかに2人から離れる必要があった。

電車はかなり短かった

新宿や渋谷など見知った場所なら、「ちょっと寄っていくところがあるので」と適当な理由を付け自然に別れることもできる。しかし縁もゆかりもない足利で用事などあるはずもない。離れる口実を思いつかないまま駅で降ろされ、中途半端な距離感のまま改札まで来てしまった。足利市駅から東京方面への電車は20分間隔、同じ電車に乗るのは明らかだったが、私は改札前に着くと「じゃ、おつかれさまです!」と挨拶をした。

「急に何?」という顔をしていた2人を振り返ることなく改札に入って早歩きで階段を上がり、ホームの一番端へ到達。同じ電車に乗るにしてもここまでは来ないだろう。かなり不自然な別れ方になってしまったが、東京まで乗り合わせるよりはマシだ。

10分ほど待っているとホームに電車がやってきたが、思ったより編成が短い。私のいる場所よりかなり手前で止まった。急いで先頭車両へ向かうと、乗車待ちで並んでいた2人と会ってしまった。

今までの工作が台無しだ。「あ、ここに並んでたんですね」と白々しい台詞を吐きながら一緒に乗り込む。ここまで来たら離れた席に座るのも感じが悪いだろうと、2人の隣に横並びで座った。

序盤は自ら話を振るなど頑張ってみたものの、つまらなかったのか、真ん中に座るメイクさんの体幹が少しずつ私と反対へ向いていき、10分も経たないうちに私以外の2人で話す体勢が固定されてしまった。だから、こうなるのが嫌だったんだ。

東京まで2回の乗り換えがある。私は黙って景色を眺めつつ、15分後の乗り換えポイントで2人と自然に別れる方法を探っていた。

最初の乗換駅である館林に着いた。私は2人が降車した後でできるだけゆっくりと降り、ホームに立ち止まった。スマホと電光掲示板を交互に見ながら「あれ、おかしいな。あ、なるほど、そういうことか」と何かを確認するフリをして2人の背中が離れていくのを待っていたら、親切なADさんが振り返って「乗り換えこっちですよ」と方向を示してくれた。「あ、そっちか」とうっすら演技を続けながら、数歩後ろをついて行くしかなかった。

これ以上は堪えられない

「また横に座ってくるのかよ」と思われるのは嫌だったが、離れた席に座るのも大人としてどうなのだろう。逡巡していたら、2人から0.8席分空けて横に座るという内面の葛藤が表出した不自然な位置取りをしていた。数駅後に老人が間に座って壁ができ、おかげで堂々とスマホを見やすくなったが、中途半端に間隔を開けていた事実は隠しようがなくなった。

数十分後、再び乗り換えの久喜駅でSuicaの残高が足りず改札に引っかかっていると、今度は2人とも私を待つことなく、スタスタと先へ行き見えなくなった。

やっと終わったのはいいが、次の撮影で会ったときどんな顔をすればいいのだろう。この気まずい距離感にこれ以上堪えられる気がしなかった。

私は踏み込むことにした。

次の撮影でADさんと再会したとき、できるだけ明るく「この前一緒に帰ったとき正直気まずかったですよね~!」と自ら繊細な部分をさらけ出したのだ。なのにADさんはピンと来ていない表情で「ああ……ハハハ」とわかりやすい愛想笑いを残し、逃げるように向こうへ去った。

残された私は廊下に佇み、果たしてこの撮影を最後までやり遂げることができるだろうかと不安に包まれていた。

文=吉田靖直 写真=鈴木愛子
『散歩の達人』2020年6月号より

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