吉永陽一(達人)の記事一覧

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9月の高輪築堤見学会レポート3部作~後編。出土遺物の目玉は双頭レールと枕木
高輪築堤見学会レポは今回でラストです。最後は出土遺物を紹介します。出土品は鉄道遺物よりも生活品などが多かったのですが、この度の高輪ゲートウェイ駅前の記録保存作業では、大変興味深いものが出土されました。どんなものが出土されたのか見てみましょう。
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高輪築堤を地上から見てみた!移築保存される信号機跡と石垣構造。9月の見学会レポート3部作~中編
高輪築堤見学会レポ2回目は、信号機跡と築堤構造細見です。では、高輪ゲートウェイ駅目の前で発掘された、信号機跡の土台を含む築堤部分を見ましょう。信号機跡はニュースにもなったので記憶ある方も多いかと思います。信号機跡部分の長さ30mは、第一京浜沿いに移築保存されることになりました。信号機跡はまだナンバリングだけで発掘状態のままです。築堤から少し迫り出した、城の見張り台のような感じになっています。
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高輪築堤を地上から見てみた。9月の見学会レポート3部作~前編
今月14日は鉄道の日です。1872(明治5)年に日本初の鉄道が開通してから149年目となり、来年は150周年となります。前回「廃もの」横浜空撮編では「次回も空撮で」と紹介しましたが、ちょうど「高輪築堤」の見学会に参加する機会がありましたので、その模様を先にお伝えします。今回は前置きが長いです(笑)高輪築堤とは、この数年で注目されている鉄道遺構です。2021年は日本初の鉄道が新橋〜横浜間を結んで開通するとき、品川付近は陸ではなく海上に築堤を築きました。その海上築堤の遺構のことを指します。田町〜品川間の旧車両基地と山手線・京浜東北線の線路跡地再開発中、線路跡地を掘ったら海上築堤と石垣がほぼ完璧な姿で現れたニュースは、人々の注目を浴びることになりました。2019年に最初の確認がされてから、もう2年前近くになります。
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【後編】空撮で見る、横浜の臨港線廃線跡と海上築堤。
前回は横浜港の臨港線を紹介しました。今回は桜木町駅と横浜駅までの廃線跡を上空から紹介します。空撮日は2021年7月12日と9月7日です。
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【前編】空撮で見る、横浜博覧会後の臨港線廃線跡
遠い記憶の彼方の話になります。横浜港で開催された「YES’89・横浜博覧会」に、家族で訪れたことがあります。おぼろげなのですが、仮設の駅からディーゼルのレトロ車両に乗って、鉄橋や高架橋を走っていきました。その鉄道は横浜博覧会用の輸送列車で、1986年に廃止となって間もない横浜港の臨港線を使用したものでした。走っていた車両は三陸鉄道へ譲渡され、ミャンマーへ渡ったのち、いまはどうなっているか存じません。横浜博覧会後の臨港線廃線跡は1997年に「汽車道」として整備され、現在は手軽に散策できます。今年4月にはヨコハマエアキャビンというロープウェイも開業し、ゴンドラからドローンと同じような高さで汽車道を観察することができます。
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【後編】日本初の溶接鉄道橋が残存する横浜港米軍専用線跡
前編に続き、横浜港米軍専用線跡を見ていきます。今回は瑞穂橋をメインにレポいたします。低木の茂る線路を横に見つつ、瑞穂橋はすぐ現れました。
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【前編】日本初の溶接鉄道橋が残存する横浜港米軍専用線跡
人々がにぎわう横浜みなとみらい地区。そこから横浜港を挟んだ瑞穂埠頭には在日米軍基地があり、基地へは在日米軍専用線の線路が残っています。2回に分けてこの在日米軍専用線を追います。瑞穂埠頭の大部分は在日米軍基地「横浜ノース・ドック」となっており、東海道本線支線の高島貨物線から分岐し、基地へと伸びる在日米軍専用線があります。在日米軍専用線は国鉄が編纂した専用線一覧表によると、東高島貨物駅が接続駅、距離は5.0kmとなっています。もともとは米軍専用線ではなく、戦前の瑞穂埠頭は貿易港で、線路は輸出入品を輸送する貨物線でした。戦後に米軍が接収し、長らく基地間輸送に使用していたのです。
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十字状滑走路跡の先の田んぼに残された2基の掩体壕。旧海軍香取航空基地 その2
前回は香取航空基地の保存飛行機と滑走路の雰囲気を見ました。今回はより廃ものらしく、残存する掩体壕(えんたいごう)を見学します。香取航空基地は戦争末期に100基以上の掩体壕がありましたが、現在は3基の掩体壕が残るのみです。そのうち1基は個人宅の敷地内にあるため、見学は差し控えました。掩体壕は第2回調布飛行場掩体壕でも紹介しました。掩体壕とは主に航空機を攻撃から守る防空壕みたいなもので、カマボコ状のタイプや土塁をU字状にしたものなど、いくつか種類がありました。2基の掩体壕は、ブレーキテスト場滑走路跡の北西端の延長線上にあります。前方の畦道を見やると、カマボコ状の物体が二つ、田んぼの中から生えているように見えます。
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黄色い海自練習機が保存される場所は十字状滑走路の廃飛行場~旧海軍香取航空基地 前編
千葉県の旭市に十字の滑走路が残る海軍飛行場跡がある。そう聞いたのはずいぶん前のこと。それから20数年。やっとのことで訪れました。旧海軍香取航空基地。場所は千葉県北東部、匝瑳(そうさ)市と旭市の境界です。電車だと総武本線干潟駅が最寄り。ここには海上自衛隊の練習機が保存され、周囲に掩体壕(えんたいごう)も残存しています。今回はちょっと短めですが、海自練習機を見学しつつ香取航空基地跡の全体を観察し、次回は掩体壕を紹介いたします。
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碓氷峠の中間駅であった熊ノ平。いまはアプトの道終点である。~碓氷峠その4
碓氷峠は3回に分けてお話しするつもりでした。案の定、話が延びてしまい、4回目の今回がほんとにラストです。話が延びるほど、アプトの道には見るものがたくさんあるということですね。さて、前回まで「熊ノ平(くまのだいら)」と述べているけれども、そもそも熊ノ平とはなんぞやと言うと、アプト式時代は山中にある中間駅でした。新線に切り替わってしばらくした昭和41(1966)年に信号場となりました。駅とはいっても周辺は鉄道関係者か、玉屋の「峠の力餅」(第2回のレポに登場した力餅)の店舗くらいで、変電所と上下列車の交換設備が狭い山肌にへばりつく形であったのです。
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