物言わぬ警報機の先は道路となった廃線跡

もう二度と鳴らぬ警報器。背後は小山があって家が点々と建つ。夏雲が浮かび、警報器を引き立てる借景となっていた。
もう二度と鳴らぬ警報器。背後は小山があって家が点々と建つ。夏雲が浮かび、警報器を引き立てる借景となっていた。

一生鳴ることもなく、ただじっと立つ一対の警報器。「哀愁」と一言では表せない、しっとりとした空気に包まれています。撤去されずによく残されていたなぁ。廃線後の踏切はたいてい警報器が撤去されますが、ここは残ってくれました。

警報機は「使用中止」の表示が掲げられたまま幾年の月日を過ぎてきて、さらにこの先も変わらずに過ごしていくことだろう。
警報機は「使用中止」の表示が掲げられたまま幾年の月日を過ぎてきて、さらにこの先も変わらずに過ごしていくことだろう。
線路であった小道から踏切跡と熱塩駅構内を見る。線路は直線で駅舎へ伸びていたのだろうか。ちょうど軽バンが踏切跡を横切っていく。蔦は警報機を覆い隠すように絡み合う。
線路であった小道から踏切跡と熱塩駅構内を見る。線路は直線で駅舎へ伸びていたのだろうか。ちょうど軽バンが踏切跡を横切っていく。蔦は警報機を覆い隠すように絡み合う。

C11形に牽かれたオハフ61形が、何度もこの踏切を通りました。先ほどの保存車両を思い浮かべ、朝夕のみの運転時にしか鳴らなかった警報器をしばし見つめます。背後の夏雲がゆっくりと流れていきました。

日中線の廃線跡はほぼ道路となっています。警報器の先は線路を転用した小道となっていて、野辺沢川の手前で右へ直角に曲がっていますが、線路は渡河していました。その痕跡は見当たらないけれど、傍らには転車台の土台が残っています。転車台は日中戦争の時に人員不足から使用を止めたそうで、廃止まで復活することはありませんでした。

喜多方のほうを見る。小道は先で右に曲がっているが、線路は林となった部分で野辺沢川を渡っていた。転車台の土台も小道が曲がる付近に残されている。
喜多方のほうを見る。小道は先で右に曲がっているが、線路は林となった部分で野辺沢川を渡っていた。転車台の土台も小道が曲がる付近に残されている。

蒸気機関車は下り列車がバック運転をしていて、バック運転を得意とするタンク式機関車C11形とC12形が使用されていたため、とくに運転上の不具合はなかったようです。どれもこれも生まれる前の話なので、伝聞や資料館の写真を見て知ったことですが、もしC11形現役の頃に日中線を撮っていたとしたら、バック運転の下り列車ばかり追いかけていたと思います。動態保存のSLバック運転を見たとき、かっこいいなぁと感じていましたから(笑)。

生活道路となった廃線跡。やがて立派な県道へと吸い込まれていく。日中線の廃止後は、線路が道路へと転用されていった典型的なパターンである。
生活道路となった廃線跡。やがて立派な県道へと吸い込まれていく。日中線の廃止後は、線路が道路へと転用されていった典型的なパターンである。

野辺沢川の先は、生活道路となったり畑になったりと、廃線跡は途切れながら続き、県道383号線へ吸い込まれます。県道は廃線跡を活用した道路。国道121号線と交差して右へカーブしますが、今度は分岐して直進する生活道路が日中線のルートです。畑の中をゆるやかに左カーブして県道335号線と合流すると、加納の集落に到着します。会津加納駅があった場所です。

緑地帯にポツンと残るレールは確かな遺構

駅のあった位置には駅名標モニュメントが立ちます。気になるのはその先、熱塩加納郵便局付近の分岐道で、335号線は左へ曲がるのに対して、廃線跡の小道は直進しています。小道の分岐にある緑地帯には、草に埋もれて錆びた2本のレールがありました。長さは10数メートルほどです。

会津加納駅跡の先に突如として現れる遺構。緑地帯をよく見るとレールが残されている。踏切注意の標識はモニュメントとして設置したものと思われる。2016年12月13日撮影。
会津加納駅跡の先に突如として現れる遺構。緑地帯をよく見るとレールが残されている。踏切注意の標識はモニュメントとして設置したものと思われる。2016年12月13日撮影。

いきなり現れる日中線の遺構。あっ!と声を上げちゃいます。周囲は街並みと田園地帯の境い目。訪れた時は説明板もなかったのですが、日中線の遺構には違いありません。道路整備が完了してから新たにモニュメントとして設置したのか、廃止時に一部だけ残したのか定かではありません。

緑地帯のレール。新たに設置したというよりは、廃線になってもそのまま残されていたような雰囲気がする。枕木の状態とか、バラスト(砂利)の細かさとか……。
緑地帯のレール。新たに設置したというよりは、廃線になってもそのまま残されていたような雰囲気がする。枕木の状態とか、バラスト(砂利)の細かさとか……。

が、年季の入った枕木と土に埋もれかけたバラスト(砂利)の状況から、一部だけ残したのかなと感じました。道路より一段上がった緑地帯にある不自然さは否めませんが、道路整備で地表面を下げたのかもしれないし……。直感です。

保存されているレールには繋ぎ目部分もあった。レールは細いタイプで、おそらく37kgレールかと推測したが、計測はしていないので定かではない。2016年12月13日撮影。
保存されているレールには繋ぎ目部分もあった。レールは細いタイプで、おそらく37kgレールかと推測したが、計測はしていないので定かではない。2016年12月13日撮影。
繋ぎ目部分のクローズアップ。草に埋もれつつあるけれど、それがより「廃なるもの」の匂いを醸し出している。2016年12月13日撮影。
繋ぎ目部分のクローズアップ。草に埋もれつつあるけれど、それがより「廃なるもの」の匂いを醸し出している。2016年12月13日撮影。
僅かな遺構ではあるけれど、草に埋もれかけたレールが日中線のあった歴史を今に語っている。先は再び生活道路となり、清々しい田園風景が広がっていた。
僅かな遺構ではあるけれど、草に埋もれかけたレールが日中線のあった歴史を今に語っている。先は再び生活道路となり、清々しい田園風景が広がっていた。

廃線跡は再び生活道路となって、畑を進みます。青々とした穀倉地帯に真っ直ぐな道。なんと清々しい。オハフ61形の座席に身を委ね、前方から聞こえるC11形の汽笛と煙の匂いを感じながら、ぼんやりとこういう車窓を見たかった。

整備されたばかりの遊歩道。看板も新しい。こうして足跡を辿れるのは嬉しい。春と秋の心地よい陽気ならば全線歩けそうだ。
整備されたばかりの遊歩道。看板も新しい。こうして足跡を辿れるのは嬉しい。春と秋の心地よい陽気ならば全線歩けそうだ。

そんな妄想乗車から我に帰るように、生活道路は遊歩道へとなりました。まだ整備したばかりなのか、両脇に枝垂れ桜を植栽した直後でした。この時の訪問から2年経過したので、2022年現在は枝垂れ桜も根が落ち着いて、春には美しい光景となっていることでしょう。

遊歩道の喜多方方面。その先で県道と合流し上三宮駅跡がある。この撮影から2年経過し、しだれ桜がすくすく成長していることだろう。
遊歩道の喜多方方面。その先で県道と合流し上三宮駅跡がある。この撮影から2年経過し、しだれ桜がすくすく成長していることだろう。

さよならSL列車を牽引したC11形が廃線跡に保存される

遊歩道はいったん県道335号線と合流します。右手にこんもりとした林、左手に石積み農業倉庫のある交差点が上三宮(かみさんみや)駅跡で、会津加納駅と同じように駅名標モニュメントがあります。その先で押切川を渡河。廃線跡は県道と別れて小道となり、再び遊歩道となりました。

立派な名称のついた遊歩道(散策道)は、複線分ありそうなほど幅広だ。
立派な名称のついた遊歩道(散策道)は、複線分ありそうなほど幅広だ。
レールモニュメントと遊歩道。こちらのレールは遊歩道整備後に設置されたように感じる。
レールモニュメントと遊歩道。こちらのレールは遊歩道整備後に設置されたように感じる。

周囲はあっという間に喜多方市内の住宅地となって、遊歩道が区画を貫いて喜多方駅方向へ進んでいます。と、目に飛び込んでくるのは黒い塊。遊歩道の真ん中にC11形63号機が保存されていました。63号機は日中線を走った機関車で、線路のあった場所に鎮座しています。レールも新たに敷設して、汽車が住宅地をかき分けてやってきた。そんな光景を再現してくれています。

踏切内どころか線路内! 緊急停止されるがな。というような構図でC11 63号機とご対面。レールだけでなく踏切も展示しており、住宅地をC11形が走行している雰囲気がじゅうぶんある。
踏切内どころか線路内! 緊急停止されるがな。というような構図でC11 63号機とご対面。レールだけでなく踏切も展示しており、住宅地をC11形が走行している雰囲気がじゅうぶんある。

63号機は昭和49(1974)年に日中線さよなら蒸気機関車列車を牽引しました。きっと多くの鉄道ファンに親しまれていたことでしょう。屋外展示となっていますが美しく整備されており、春のしだれ桜シーズンでは、淡いピンク色に染まります。

<保存車両点描>

柵があるのは仕方ないが、線路脇の柵と思えばリアルに走ってくるように見えてくる。
柵があるのは仕方ないが、線路脇の柵と思えばリアルに走ってくるように見えてくる。
ナンバープレートはレプリカだろう。車体は美しく整備されており、それでより現役時代を彷彿とさせてくれた。
ナンバープレートはレプリカだろう。車体は美しく整備されており、それでより現役時代を彷彿とさせてくれた。
こちらにはナンバープレートがない。タンク式機関車は蒸気機関車の燃料となる石炭と水を搭載する部分が一体型である。バック運転もしやすい構造だ。
こちらにはナンバープレートがない。タンク式機関車は蒸気機関車の燃料となる石炭と水を搭載する部分が一体型である。バック運転もしやすい構造だ。
63号機と並んで展示されているのは昭和電工のディーゼル機関車である。貨車の入れ替え作業用機関車だ。昭和電工喜多方工場で使用されたそうだ。
63号機と並んで展示されているのは昭和電工のディーゼル機関車である。貨車の入れ替え作業用機関車だ。昭和電工喜多方工場で使用されたそうだ。
63号機と入換機関車は遊歩道の中心部分にある。喜多方駅からでもそう遠くはないので、比較的訪れやすいだろう。設置されたレールは会津加納駅跡のレールと比べて新しめである
63号機と入換機関車は遊歩道の中心部分にある。喜多方駅からでもそう遠くはないので、比較的訪れやすいだろう。設置されたレールは会津加納駅跡のレールと比べて新しめである

遊歩道は喜多方駅手前まで続き、磐越西線の敷地へ合流します。11.6kmと短い路線ではあるものの、全区間を徒歩で踏破するのは気合いれないといけません。熱塩までのバスは廃止されたと聞いたので、レンタル自転車か車で巡ることになります。せっかくなので、喜多方ラーメンに舌鼓を打ち、足跡を巡って熱塩温泉に一泊というのも良いでしょう。読んで字のごとく、泉温は熱め、塩分濃いめの塩化物泉でした。熱かったけれど気持ちよかったな~。

喜多方駅方面をみる。遊歩道は春となればしだれ桜でピンク色に染まるという。その時期に訪れるのもよい。
喜多方駅方面をみる。遊歩道は春となればしだれ桜でピンク色に染まるという。その時期に訪れるのもよい。

取材・文・撮影=吉永陽一