おもてなしの街・巣鴨
巣鴨駅にはJR山手線・地下鉄三田線が通っており、都電荒川線の巣鴨新田停留場・庚申塚停留場もほど近い。豊島区の極東部で、板橋区・北区・文京区などとの境に接しており、繁華街・池袋駅までは電車で約5分とアクセスもよく、住みよい街なのだ。
また、「巣鴨という街は訪れた人がおもてなしを受け、心を癒やされ、のんびりと気分も体も晴れやかになれる『歴史と文化を大切にした人に優しい街づくり』を心がけ」ている(巣鴨地蔵通り商店街HPより)。訪れた際には、ぜひそのおもてなしに触れてもらいたい。
メインストリートは巣鴨地蔵通り商店街
巣鴨で最もにぎわう通り「巣鴨地蔵通り商店街」にまずは行こう。全長約780m、約200店舗が軒を連ねる商店街で、髙岩寺参詣の人向けと、地域密着型の店舗が混在している。塩大福やもなかなど和菓子はもちろん、洋菓子、パン屋、茶舗、煎餅屋、仏具屋など、名物店がいっぱいだ。
年配者向けの衣料品店が多いのも特徴。1952年創業『赤パンツの元祖 巣鴨のマルジ』は地蔵通り商店街中央に4店舗あり、健寿と幸福を祈願して「幸福の赤パンツ」をお届けしている。お店の外観も店内にずらりと並ぶパンツも赤と、その派手さはひときわ目を引く。
人影の絶えない商店街だが、4の付く日(4日、14日、24日)は特ににぎわう。とげぬき地蔵の縁日が開催され、通り全体に露店が出るためだ。筆者も巣鴨に住んでいた頃、往来が大いににぎわっていると、「ああ、今日は4の付く日か」と気持ちが華やぐものだった。
老人たちは「とげぬき地蔵尊」を目指す
巣鴨駅側から地蔵通り商店街に入ると、まもなく右手に「とげぬき地蔵尊 髙岩寺」が現れる。「とげぬき地蔵尊」として親しまれる寺院で、いつも高齢者でにぎわっている。門前に居並ぶ露店も人気だ。
とげぬき地蔵尊 髙岩寺の地蔵菩薩は秘仏なので拝見することはできないが、そのお姿を元に作られた御影(おみかげ・おすがた)に祈願しても御利益があるとされている。こちらは髙岩寺のご本堂で授与されている。
「とげぬき」の由来は江戸時代にさかのぼる。あるとき、誤って針を飲みこんで苦しむ女性に、地蔵菩薩の尊影があらわれた霊印で印じた紙札「御影」を飲ませたら、針が尊影を貫いて出てきたという。やがて「針抜き」は「とげぬき」となり、「身心のとげ」を抜く地蔵菩薩として知られるようになった。
とげぬき地蔵尊を訪れたら
とげぬき地蔵尊を訪れたら、まずはお参りをしよう。門をくぐってまっすぐ進んでいくと、正面に大きな本堂があるので、そちらで参拝。本堂の手前には、煙がもくもくと漂う大きな鉢が。これは「常香炉」といわれ、線香をお供えできる。その煙を体の悪いところにあてると治るといい、煙を自分の体の方へ仰いでいる人たちをよく見かける。
本堂の脇では、御守りや秘仏である本尊を元に作られた御影を購入できる。御影の中には尊像が描かれている薄い紙が5枚入っていて、水で飲み込むと大変御利益があるといわれている。
境内にある「洗い観音」は、自分の体の悪い部分と同じ場所を洗うことで、その箇所を治してくれる御利益があるそうだ。4のつく日には、観音様の前には長蛇の列ができる。かつては、たわしでこするように洗っていたのだが、初代の観音様はつるつるになるまで摩耗して引退。2代目の観音様はタオルを使って洗われるようになった。
とげぬき地蔵に足を運んだ際は、お参りだけでなく、御影や洗い観音も試してみてほしい。
地蔵通り商店街の入り口手前には、「江戸六地蔵尊眞性寺」がある。元和元年(1615)に中興した古刹で、地蔵坊正元が造立した地蔵は江戸六地蔵の1つ。毎年6月24日に全長16mの大念珠を100人以上で回す百万遍大念珠供養が行われている。また、境内には松尾芭蕉の句の石碑がある。
通りをずっと歩いていき、都電荒川線庚申塚駅近くまで来ると、「猿田彦大神庚申堂」がある。文亀2年(1502)造立の庚申塔は、庚申様を信仰する講の人々が立てた石塔。庚申の申は猿だが、神を先導したという猿田彦と結びつき、道案内の神として祀られる。
巣鴨駅から地蔵通り商店街へ至る道、そして通り沿いには『元祖塩大福 みずの』や『伊勢屋』、『千成もなか本舗 巣鴨店』など、和菓子のお店が軒を連ねている。巣鴨に足を運んだ際のおみやげにぜひ。
食事処も充実している。大正15年(1926)創業、うなぎ専門店『八ツ目や にしむら』の創業当時からの秘伝のタレで焼いたウナギは香ばしくて、フワッとした食感。おいしく安くボリューミーな『巣鴨ときわ食堂 庚申塚店』や、見た目も味もインパクト大で、一度食べたら忘れられない魅惑の餃子『ファイト餃子』などもおすすめだ。
すがもんのおしりの行方
ところで、地蔵通り商店街の「すがもん」をご存じだろうか。鴨の国からやってきた12才の男の子で、赤い法被を身にまとっている。商店街の至るところで、すがもんのぬいぐるみやイラストを見つけることができる。
すがもんのおしりを触ると恋が実るといわれ、商店街の入り口脇には、かつて「すがもんのおしり」(文字通り、おしりだけ)が置かれていた。筆者も想い人を思い浮かべながらそのおしりを触りに行ったものだが、日頃の行いのためか恋が実ることはなく、ただその触り心地に癒やされるばかりだった。
しかし、そんな「すがもんのおしり」は新型コロナウィルスの影響もあり、地蔵通り商店街内の『巣鴨地域文化創造館』にお引越しした。
巣鴨駅前は俗っぽさが魅力
巣鴨駅~駒込駅の線路沿いには、春になると桜が咲き誇り、お花見散歩にうってつけだ。駅前のアーケードに七夕飾りが施されるのも、最近の夏の風物詩の1つだ。
地下鉄三田線巣鴨駅の地蔵通り商店街に最も近い出口には、「低速」エスカレーターが設置されている。そんなところにも、おじいちゃん・おばあちゃんへの優しさを感じる。(急いでいるときは、階段を利用しよう)。
巣鴨駅から徒歩1分の『煮込 千成(せんなり)本店』は、会津若松の築100年の古民家を移築した店舗が独特な雰囲気。朝じめの牛モツは焼きもさることながら、昼から煮込んだ煮込みが店の顔だ。夕方から飲めるのがうれしい。
『煮込 千成本店』のすぐ向かいには『ゆたか食堂』。コスパ抜群の大衆食堂で、ちょっと1杯飲むのにも最適なお店だ。昭和の風情が漂う店内の『ラーメンBAR やきそばーHIT』のラーメンも外せない。
巣鴨駅の目の前には『成文堂書店 巣鴨駅前店』があり、店内は広々として明るく、入りやすい雰囲気。巣鴨では最たる書店だ。
また、駅から徒歩2分のエリアには、公益財団法人「三菱養和会」のサッカーグラウンドや施設が広がっている。スポーツクラブやスイム・テニスなどのスクール、ジュニア向けの体操やサッカースクールなど多種多様なコースがあり、設備も充実している。筆者も小学生時代、サッカースクールでお世話になっていたのだが、今でも近くを通りかかるたびに、後輩たちに思いを馳せている。
ちなみに、あまり知られていないが、巣鴨はピンクサロン街としての一面も持ち合わせており、そういったお店が軒を連ねる通りも存在する。
染井霊園とソメイヨシノ
現在の豊島区巣鴨・駒込付近はかつて染井村と呼ばれる植木の里。ソメイヨシノはこの地の植木職人が売り出したことから、地名である染井を冠している、といわれている。
『染井霊園』も春になると桜を見渡すことができる。『染井霊園』は明治政府の神仏分離政策により、明治5年(1872)に神式墓地として開設。2年後には公営の共同墓地となり、岡倉天心、高村光太郎、二葉亭四迷など著名人の墓が多い。
『染井霊園』のほど近くには、『東京スイミングセンター』がある。ジュニア競泳選手の育成に主眼を置いたスイミングスクールで、これまで北島康介をはじめ、オリンピック代表クラスの選手を数多く輩出してきた。
『東京スイミングセンター』と並んで立つのは『東京染井温泉SAKURA』。「大人の隠れ家」というコンセプトを掲げ、和の情緒と上品な雰囲気が漂う入浴施設だ。岩盤浴やエステ、レストランなど付帯施設も充実している。
巣鴨ゆかりの有名人たち
都電荒川線新庚申塚停留場から西ヶ原四丁目停留場の途上に、「四谷怪談」ゆかりの妙行寺がある。「四谷怪談」のお岩さんのお墓が妙行寺の墓地にあり、2つの停留場を結ぶ直線道路は「お岩通り」という名前が冠されている。
江戸幕府15代将軍の徳川慶喜が巣鴨に移り住んだのは、明治30年(1897)11月、慶喜が61歳のときだった。大政奉還後、静岡(駿府)で長く謹慎生活を送った後のことだ。巣鴨駅からほど近く、千石駅へ向かう途上に「徳川慶喜巣鴨屋敷跡地」の石碑がある。
都電荒川線新庚申塚停留場のあたりで地蔵通り商店街から住宅地の方へ折れると、「明治女学校」跡の記念碑がある。
明治女学校は明治18年(1885)に現在の麹町で開校。津田梅子、島崎藤村、北村透谷などが教壇に立ち、卒業生には作家の野上弥生子などがいる。明治29年(1896)に校舎が焼失し、翌明治30年(1897)に現在の西巣鴨へ移転、財政状況の悪化などから明治41年(1908)に閉校した。
人通りもまばらな場所でひっそりと立つ記念碑が、明治女学院の設立意義を後世に伝える存在だ。
巣鴨の喫茶は懐かし系
昔懐かしいような、居心地のいい喫茶店も見受けられる。地蔵通り商店街には『珈琲専科 貴族』。シャンデリアがあり、渋い雰囲気の小さなコーヒー専門店だ。千石に向かう大通り沿いには『珈琲専門館伯爵 巣鴨店』。巣鴨駅から出てほど近いところには半世紀以上続く『喫茶 ポピー』もある。街歩きに疲れたら、落ち着く喫茶でくつろごう。
巣鴨プリズンとはどこか
「巣鴨プリズン」(巣鴨拘置所)とは、第二次世界大戦後に設置された戦犯(戦争犯罪人)の収容施設のこと。当時の豊島区西巣鴨にあった「東京拘置所」が連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収され、巣鴨プリズンとなった。
巣鴨、と付いているが、その跡地がどの辺りかというと、現在のサンシャインシティと東池袋中央公園に位置する。東池袋中央公園の一角には、慰霊碑が建立された。
完成当時アジア一高いビルだった『サンシャイン60』の展望台は、2023年春にリニューアルされた。
巣鴨でよく見かけるのはこんな人
もちろん、おじいちゃん・おばあちゃんの原宿といわれるだけあって、年配の方を多く見かける。若者が原宿へ足を運ぶモチベーションと同様に、巣鴨で見かける年配の方々は生き生きしているように映る。
特に「4」の付く縁日の日が顕著だが、地蔵通り商店街などで見かけるおばあちゃんたちは、おしゃれな格好をした方が多い。その色のトレンドはときどきで変化していると感じるが、ひと言で言ってしまえば他では見ないような取り合わせではないかと感じる。おばあちゃんたちにとって、巣鴨はよそ行きの格好をして行く場所なのだ。
そして、おしゃれしつつ、鞄やシューズは、実用性や体への負担の軽さを考慮して選んでいるのが見受けられる。
巣鴨地蔵通り商店街では老いも若いもせかせかしていなくて、心安らぐ。こんな空気感がいつまでも残ってほしいものだと常々思う。
取材・文=阿部修作(さんたつ編集部) イラスト=さとうみゆき
文責=さんたつ/散歩の達人編集部