病を治した延命地蔵の話

昔、田付又四郎という侍が江戸小石川(現在の文京区)に住んでいました。彼は毎日、妻の病気が良くなるように地蔵を拝むことにしていました。
とある晩、夢の中に現れた黒衣の僧侶が「妻の病気を治したいならば、私の姿を一寸三分に彫刻して川に流すといい」と言いました。田村がそれに対して「急にはできません。難しいです」と返事をすると、「ではあなたに印像を与えます」と僧侶はこたえたといいます。

夢から覚めると枕元にあったのは、何かの木のような不思議な地蔵の御影(※神仏などの像や画のこと)でした。
田村は夢で言われた通り、これを使用して一万体の御影を紙に刷り、両国橋へ行って川に流しました。すると、その日から日を追うごとに妻の体調が良くなっていったそうです。

この噂が広まり、地蔵を紙に写した札は「延命地蔵」と呼ばれるようになりました。

めでたしめでたし……となりそうですが、この話はこれで終わりではありません。
次は毛利家で働いていた、ある女中の話に移ります。

「とげぬき地蔵」と呼ばれるようになるまで

田付又四郎が先述の体験を知人の家で話していたところ、その場に居合わせた一人がその話に興味を示しました。毛利家によく出入りしていた西順という名の僧侶です。
彼が「延命地蔵の御影をくれませんか」とお願いしてきたので、田村は持っていた2枚を渡しました。
それからしばらくがたち、毛利家で働く女中が針を飲み込んでしまうという大騒動が起こりました。
医師もなすすべがなく、女中はひどくもがき苦しんでいる。騒ぎを聞きつけた西順が女中に延命地蔵の御影を一枚飲み込ませると、女中がなにかを吐き出しました。驚くべきことに、飲み込んだ針が御影を貫いて出てきたのです。
この時から、延命地蔵は「とげぬき地蔵」とも呼ばれるようになったそうです。

やがて延命地蔵(とげぬき地蔵)は江戸湯島にある高岩寺に納められ、明治24年の高岩寺の移動とともに巣鴨駅近くへ移りました。

フィールドワーク①とげぬき地蔵尊高岩寺へ

まずは「とげぬき地蔵尊 高岩寺」を訪れてみることにします。
JR巣鴨駅にて下車し、駅からすぐの「巣鴨地蔵通り商店街」へ。

しばらく商店街を歩いていくと、右手に高岩寺が現れます。

高岩寺は1596年に江戸湯島に開かれ、1891年に巣鴨へ移転しました。1945年の東京大空襲では本堂が全焼し、1957年に再建。長い時を経てもなお、多くの人が訪れている歴史あるお寺です。

また、高岩寺には「とげぬき地蔵」だけではなく、自分の悪い所に水をかけて洗うと治ると信仰されている「洗い観音」も存在します。

実は、この高岩寺の本尊(その寺院の信仰の対象となる重要な仏像のこと)である「とげぬき地蔵」自体は秘仏で、公開はされていません。
ですがその姿をもとに作られた御影(おみかげ)、今回のお話に登場する「地蔵を紙に写した札」が、本堂にて販売されています。

フィールドワーク②「とげぬき地蔵尊御影」

こちらが「とげぬき地蔵尊御影」(5枚入り200円)です。

本尊である地蔵本体だけではなく、その姿を移した御影にもご利益がある。この御影が神仏の宿る「依り代」的な役割を担っていることがわかります。

御影は持っているだけでご利益があるそうですが、それ以外にも冒頭の話に登場するように、痛むところに貼る、あるいは魚などの骨が喉に刺さった時に飲むと治るそうです。

調査を終えて

病気の妻が全快したり、飲み込んだ針が御影に刺さって出てくる……。
民話・伝説らしいドラマチックさのある「とげぬき地蔵(延命地蔵)」のお話ですが、実はこちら、話の中に登場する田付又四郎本人が自らの不思議な体験を記録し、1728年(享保13年)7月17日に高岩寺へ献納した霊験記だそうです。

どこまでが事実でどこまでが事実でないかはさておき、病や痛みを治すご利益があるということで、約300年間ものあいだ信仰の対象としてあり続ける「とげぬき地蔵」。

そこにあったのは、「あの人が元気になってほしい」という、誰かが誰かを大切に思う気持ちなのでした。

 

参考サイト
巣鴨地蔵通り商店街「とげぬき地蔵尊 高岩寺」 https://sugamo.or.jp/prayer/koganji/

取材・文・撮影=望月柚花