都会とローカルの中間
玉川上水の真上に建てられた三鷹駅。南口へ出たらほぼ三鷹市で、ぺテストリアンデッキを降りると活気ある商店街が大きな木の幹のように延びて、『三鷹の森 ジブリ美術館』行きの黄色いコミュニティバスがのんびりと走る。一方、北口はほぼ武蔵野市。南口と比べると落ち着いた印象で商店は広い範囲に点在する。なぜか外食企業の本社ビルが3つもある。南北ともに吉祥寺ほど忙(せわ)しくなく、さらに西の武蔵境や小金井ののどかさとはまた違う。都会とローカルのハーフ&ハーフな街、それが三鷹なのだ。
バックボーンとして特記すべきは、緑地の多さ。自然散策やバーベキューなどアウトドアを楽しめる野川公園や武蔵野中央公園は、地元民がこよなく愛する憩いの場所だ。さらに、季節の野菜や果物を育む畑の多いことよ! 都市農業に可能性を見つけ後を継ぐ若手農家が元気なのだ。畑の直売所で朝どれ野菜を買って、公園でバーベキューできる豊かさこそ、三鷹ならではないか。登山ショップもあり、南口の『ハイカーズデポ』と北口の『むさしの山荘』は他エリアからも注目され、それぞれコアなファンを持つ。ボルダリングジムも南北の両方にあり、気軽なアウトドア派に混じって、ガチな山男&山女の気配も感じる。
時代を遡ると野川公園も武蔵野中央公園も、軍事産業の街として栄えた歴史につながる。野川公園に隣接する武蔵野の森公園周辺には歴史を伝える史跡「掩体壕(えんたいごう)」があったり、平和を考えるイベントが毎年繰り返し開催されるのも、三鷹の根っこのぶれない強さ。今の豊かさが歴史の上にあることを身近で感じられる。
文学の足跡、古本屋めぐりが愉快
三鷹といえば太宰治を連想する人も少なくないだろう。太宰治だけでなく、山本有三、三木露風、武者小路実篤らが暮らし、数々の作品を三鷹で書いた。出版社がある都会からそんなに遠くなく、静かに執筆に専念できる場所として三鷹を選んだと想像。『国立天文台』は、1924年(大正13)に東京麻布飯倉から移転してきたが、都心にはない暗闇があり天体観察に適した場所として三鷹が選ばれたという。都会とローカルのいいとこどりの感覚は、戦前も同じだった!?
駅周辺には太宰治ゆかりの場所が多くあり、贔屓にしていた「伊勢元酒店」跡地には『太宰治文学サロン』が開設された。駅前コラル内にある『三鷹市美術ギャラリー』には、太宰が暮らした家を復元した「三鷹の此の小さい家」(〜10月29日まで休室)がある。玉川上水沿いには山本有三の邸宅を利用した『山本有三記念館』が悠々と立ち、カメラを片手に文学散歩をする老若男女をよく見かける。
文学の色濃い街だからか、古書好きが一目置く古書店が林立する。『水中書店』、『りんてん舎』、『上々堂』、駅から少し距離はあるが太宰ファンが営む『古本カフェ・フォスフォレッセンス』、店番不在で代金をガチャガチャに投入する『無人古本屋BOOK ROAD』など、古書店も充実だ。
本を片手に一人でしっぽりと、読書しながら飲める喫茶店や酒場もよりどりみどり。玉川上水の緑に手が届きそうな『日本茶さらさら』、電車が見える喫茶店『Eldrick』、開店40年を超える渋いコの字のカウンター酒場『婆娑羅』など、一見でも気負いなく静かに落ち着いてくつろげる空間を、店主がさりげなく演出している。
堂々と自由人でいられる
振り返れば太宰治の時代から、新しいものを生み出そう、何かアクションを起こそうと考える自由人たちが好んだ三鷹。今も三鷹に暮らす漫画家、小説家、ミュージシャン、落語家の皆さんの顔が次々と浮かぶ。
個性際立つ個人商店も目立つ。例えば、弁当・総菜を看板に山好き店主が営む『長男堂』。旅に行けない昨今だからと「妄想駅弁」を限定販売したり、夏休みに「子ども弁当」を250円で提供したり。そんなユニークな商売を、在住自由人らが応援している。また、普段はエプロンをしている店主妻が実はミュージシャン!という『定食あさひ』、スーパーフードを使ったスムージーなど健康メニューを目指してランナーもやってくる『海猫山猫』など、皆、目立ちながら我が道を歩んでいる。
昭和香る横丁も健在で、北口にある「八丁横丁」の袋小路は、空き店舗に入居した居酒屋『三鷹の山ちゃん』を中心に怪しげな雰囲気を醸し出している。
「吉祥寺とか駅前はイヤ。通りがかりの人ではなく、地元の人に通ってもらいたい」と、北口徒歩数分に位置する「三谷通り商店街」に店を構える若き店主たちは口を揃える。実力派の小さな名店『焼き菓子co-ttie』、2020年開店の人気パン屋『callas pain』、さらに2021年春開店のコーヒースタンド『Rowans coffee』と、三鷹の寂れかけた商店街が活き活きしはじめた。まだ空き店舗はある。吉祥寺、駅前を避けたい自由人の皆さん、ウエルカム!
三鷹で見かける人はこんな人
ファッションは、老いも若きもラフなアウトドアスタイルが目立つ。みなさん姿勢良くシュッとしていて、シンプルで実用的なもの、地球に優しい環境に配所した製品をなるべく選ぶスタンスも感じる。足元はドイツの健康サンダル「ビルケンシュトック」、また履くだけで筋肉が鍛えられる「MBT」が支持される。目立つのは、30〜40代の父ちゃんと子どもの組み合わせで、料理上手そうなイクメンがにこやかに我が子の手を引く。第二の人生をこの街で謳歌する手つなぎカップルも少なくなく、いやはや「堂々と自由人」だらけ。
南北にかかる橋
冒頭に記したように、南と北で行政区が異なる三鷹。武蔵野市の住民が駅名に意義を唱え、駅名を「武蔵野三鷹」にと声を上げたのは今は昔。ただ、南北の往来の厄介。駅を越えるには階段を上り降りが必要で、近くにある地下道は薄暗い。そこでおすすめは、太宰治がよく行った跨線橋だ。眼下には中央線、総武線、そして三鷹車庫があり10数本の線路がある。西方面を眺めると富士山をはじめ高尾、丹沢、秩父の山々も見渡せ、都会とローカルの中間にいることを実感できる。三鷹駅誕生より1年早い1929年(昭和4)生まれの跨線橋、老朽化が進み撤去されることになった。とても残念だが、今のうちたくさん往来しようではないか。ドラマチックな夕焼け空、雨上がりには大きな虹に合えるかも。
文=松井一恵 文責=散歩の達人/さんたつ編集部 イラスト=さとうみゆき