室橋裕和(達人)の記事一覧

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綾瀬『昔のベトナム』は、異国の若者たちを支える下町の助け合い食堂
「夫はもともと、ベトナムの5つ星ホテルの厨房で働いていたんですよ」妻のチャン・ティ・ハーさんはそう自慢する。その腕前を見込まれて、夫のグエン・ズィ・トアンさんが日本のベトナム料理店に招聘されたことから、ふたりの東京暮らしが始まった。グエンさんはそこで腕を振るい、チャンさんは留学生として日本語を学びはじめた。2005年のことだ。
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日本人が守り続ける、古き良きマレー半島の味。八丁堀『シンガポール・コピティアム』
「シンガポールの料理というのは基本的に、『ニョニャ』なんですよね」オフィス街の中に古い住宅も混じり合う八丁堀で『シンガポール・コピティアム』を営む野村壽秋さんは言う。
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神奈川県西部にも急増する、エッセンシャルワーカーたちの憩いの場。平塚のインドネシア料理店『チンタ ジャワ カフェ』
「このへんでおいしいレストランってどこですか?」日頃から外国人ばかりに取材している僕だが、インタビューの内容にかかわらず話の最後にはそう聞くようにしている。純粋な興味と、後の取材につなげようという下心と、半々だろうか。で、神奈川県西部だ。ここ数年で介護や現場作業で働くインドネシア人が急増しているこの地域、だから僕も行くことが多いのだが、例の質問をしてみるとけっこうな数の人が『チンタ ジャワ カフェ』を挙げるのだ。
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ジュエリータウンの真ん中に、ベジタリアンレストランがある理由とは? 御徒町のインド料理店『ヴェジハーブサーガ』へ
「ジャイナ教徒は“ピュア・ベジタリアン”なんです」と、ラジェンドラ・ジェインさんは言う。『ヴェジハーブサーガ』のオーナーにしてジャイナ教徒だ。
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横浜のリトル・タイランド、伊勢佐木町へ。『クァーサイヤム』でガチのタイ料理を味わう!
関内の駅を出て、伊勢佐木町の雑踏を縫い、西へと歩いていく。江戸時代に開発が進み遊郭がつくられ、明治にかけてにぎわったことに街のルーツがあるという。その後は遊郭が移転し商店街として発展、大正時代には横浜を代表するモダンな繁華街になり、ここを歩くことを「銀ブラ」ならぬ「伊勢ブラ」と呼ぶほど人気スポットになったそうだ。
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埼玉県南部に広がるアフリカ人・コミュニティー。レアな料理の数々を食べ歩く!
この地域の東武スカイツリーライン沿い、実はアフリカの人々が多い。レストランや食材店も10軒以上。日本ではきわめてレアな料理の数々を、アフリカ人たちとつきあいの深い比呂啓さんと食べ歩いてみた。取材・文=室橋裕和(TOP写真・左) 案内人=比呂 啓(同・右)
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市ケ谷『タシデレ』は亡命チベット人たちの文化と心を伝える場所。世代をつなげてきた料理の特徴とは?
「150人くらいだと思います」市ケ谷のチベット料理店『タシデレ』の店主、ロサン・イシさんは言う。日本に住む亡命チベット人の人数だ。
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東京最古のコリアンタウン・東上野。70年続く『馬山館』の韓国料理と昭和の香りが濃密な店の歩み
インバウンドの観光客でにぎわう上野のアメ横から東に歩き、首都高に覆われた昭和通りを越えると、時代から取り残されたような一角が見えてくる。2、3階建てで、古びた小さな店が肩を寄せ合うように密集している。焼き肉屋、キムチ屋、韓国食材店……「キムチ横丁」とも呼ばれるこの場所は、東京で最も古いコリアンタウンとして知られている。
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【閉店】80年代の懐かしき香港がここに! 麻布十番『八十港』は自由闊達だった当時を思い出す場所
スープをすすった瞬間「!」とシビれた。あっさりしつつも、しっかりコクが溶け込んだ豚骨ベースの味わい。コシの強い麺の、ほんのりとした香り。そしてなによりこの海老ワンタン。いくつものエビがみっちり詰め込まれたデッカいやつで、ゴリゴリに歯ごたえがあって噛みしめるほどにうまさが口の中に広がる。
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名物のビュッフェをともに食べ、クルドの人々を知ってほしい。川口『AZEL(アゼル) RESTAURANT&BAR』へ
日曜、朝8時30分。すでに『アゼル』はたくさんのクルド人でにぎわっていた。うわさ通りの人気のようだ。家族連れが目立つ。みなさんお皿を手に手に物色しているのは、なんとも豪華なビュッフェコーナー。目にも鮮やか、色とりどりの料理が、数えてみれば50種類以上もズラリと並ぶ。
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