「おいしいラーメンが食べたい」。そう思った時、最初に頭に浮かぶのは、どんな一杯だろう? 東京周辺の人なら、あっさりとした醤油ラーメンが多数派ではないだろうか。
それならまずは、歴史ある店だ。
神田 ・ 神保町には、『伊峡』『成光』『たいよう軒』など多くの老舗が残っている。それに、町中華も挙げればきりがない。また、年季の入ったといえば、地方の味を提供する店も目立つ。『長尾中華そば』、『可以(かい)』、『きたかた食堂』 はいずれも東北ルーツだが、基本は淡麗の醤油味。鶏ガラや魚介、野菜などから出汁を取ったシンプルなスープが、世代や地域を超えて愛されていることが実感できる。
しかし、「栄屋ミルクホール」のような老舗でも急に休業してしまういま、こうしたなじみの味は、確実に減っているのが現実だ。そんな中、「普通の最高峰」を目指した店がある。それが、『ラーメン大至(だいし)』だ。
普通においしい一杯はとんでもない発明だった
『大至』 の創業は2007年。鶏の風味香るスープを一口すすれば、深い旨味と甘みが染みわたり、全身がほぐれていく。インパクトはないが、食べ進めるたびに、他のどこにもない一杯であることがわかってくる。
これが 「普通の味」 として認識し得るのは、一般的な材料だけで作られているからだ。「特にアピールするほどの食材は使っていません」と、店主の柳﨑一紀さんは正直に話す。丁寧な仕込みと、非凡なバランス感覚で、そこそこの味にしかならないはずのラーメンを、極限まで磨き上げた。
同世代とは似て非なるいぶし銀の一杯
ラーメン界にとって、直近10年は激動の時代だった。例えば、洋食の技法や、高級食材を使う店が急増した。この街だと、『無銘』、『麺巧 潮(うしお)』、『海老丸らーめん』、『五ノ神水産』などがそれだ。さらに、SNSの普及により、店と客の距離が近づいた。
『黒須』は、日々限定メニューを発信しては、コアなファンを増やし、『覆麺 智』は、毎週会員限定の日があるなど、消費のされ方も変化した。
2015年に開業した『中華そば 勝本』は、元フレンチの巨匠が創業者という、この時代らしい成り立ちだが、他とは趣を異にする。スープの芳醇さには、上質な食材がふんだんに使われていることがすぐにわかる。以前は「鶏は●●産、煮干しは××産」といった紹介冊子が置いてあったが、店を取りまとめる鴨志田裕太さんは、「シンプルだからこそ、時代に後れをとらないように」と、時季によって産地を厳選することが増えたため、それを撤去した。
さらに『勝本』の特異さはそれだけではない。一般に、多店舗展開するとビジネス的には成功しても味が落ちる事が多いが、つけそばの行列店『神田 勝本』、2年連続ビブグルマン獲得の『銀座八五』など系列店を見る限り、無用の心配のようだ。法人化している『勝本』は、 スタッフの入れ替わりは比較的多い。しかし、細やかな接客はどの店舗も共通で、「お客さんに気分よく過ごしてもらいたい」という思いが浸透している。
それでいて、不必要に客となれ合うこともしない。この距離感が心地いいのだ。キビキビ作業に励む店員の姿を眺めて静かにラーメンを待つ。
進化を続ける一杯に、余計な演出はいらないのだ。
ラーメン大至( 御茶ノ水 )
たった一代で築き上げた黄金比。
ラーメン780円のスープは、丸鶏やカツオ、昆布などから取るが、何か1つの味が飛び出ることなく、一束になった深い旨味がある。柔らかくもコシがあり、スープに負けない旨味のある麺は、浅草開化楼の製麺師・不死鳥カラス氏が小麦粉「傾奇者(かぶきもの)」を配合した特注品。「鴨南蛮つけ麺」や「塩バターコーン」など、個性ある期間限定メニューも随時提供。
『ラーメン大至』店舗詳細
中華そば勝本( 水道橋 )
多くは語らない、圧倒的総合力。
「こんなに大量に使うとは」と、鴨志田さん自身も驚くほどの大量の煮干しを使う味玉中華そば970円は、鼻から抜ける香りと余韻まですばらしい。ネギは千住葱で、店内に置かれた段ボールからもさまざまな産地から食材を仕入れることがうかがえる。手作業で袋をかぶせられた割り箸に、この店のホスピタリティが宿っている。
『中華そば勝本』店舗詳細
取材・文=高橋輝(編集部) 撮影=逢坂聡
『散歩の達人』2021年11月号より