そこを知るまでは、鎌倉にある『津久井』が建物の外観、内観ともに最もレトロ建築で飲(や)れる酒場と思っていたのだが……そこからさらに西へ進んだ、同じ神奈川県で見つけてしまったのだ。場所は、小田原である。
小田原といえば小田原城、かまぼこ、二宮金次郎などが有名だが、城下町として発展してきた街は、必ずといってレトロ建築も多く残っている。その中のひとつがこちら。
出たっ! 『だるま料理店』だ! まず「料理店」というネーミングセンスがグッとくる。ちょうど明治維新の時期で、それがモダンな言葉だったのかもしれない。明治26年(1893)創業の100年酒場で、しっかりと登録有形文化財となっており、この圧巻の外観を見れば誰もがうなずくだろう。
美しくせん定された庭木、その合間に延びる石畳の通路の先には、これまた迫力の宮造り建築。彫刻ひとつひとつが繊細で、よほどの名人が時間と金をかけて造ったものだろう。現代のパソコンでは変換できない旧字体で書かれた「だるま料理店」の暖簾(のれん)。どこを見ても、すべてがホンモノ。これは中に入るまで時間がかかりそうだが……。
「オヌシ、ナニモノダ?」
どこからともなく「ドコドコドコ……」と、おどろおどろしい和太鼓が鳴り始めそうな雰囲気と共に、達磨様であろうか、茂みの奥からこちらの様子をうかがっている。
「オホホッ、ユックリシテ、イキナマシ~」
ハッ! ……その反対の茂みには、お多福さんが笑顔で立っている。こんなお2人に促されては、仕方がない。いざ、中へと入るといたそう。
「いらっしゃいませ」
ガラリと木製の引き戸を開けると、そこには高い天井、いくつもの磨かれたテーブルとイス……なんにせよ、そのどれもが文化財であると主張する店内が広がっている。これは……すごい。私がよく訪れるレトロ建築は見学こそできても、そこに滞在することは許されない。
けれども、そんな状況で目の前では何人もが食事をしているという妙。柱一本一本、その接合部分の細部にわたり、希少なシルエットを醸し出している。おそらく、私がここに来ることは必然だったのだろう、これからここで飲(や)れると思うと、また何とも言えない高揚感に包まれるのだ。
まずは席に座り、喉をアルコールで包むのが得策。KIRIN LAGERをコップに注ぎ、それに庭園から照らす光を浴びせたところで、ひと口。
ごくんっ……ごくんっ……ごくんっ……、とふぁぁぁぁっうんめいなぁ! KIRIN LAGER、あなたも確か生まれが明治21年(1888)。この店とほぼ同期じゃないか。そりゃこれだけウマいわけだ。諸先輩方に敬意を表して、お料理といきましょう。
まずは、お上品に煮物からいただく。なんですか、この美しい碗は。朱色に金の松竹梅が描かれた蓋をカパリと開けると、そこには宝石が潜んでいた。
ニンジン、レンコン、フキ、カボチャ、ツミレとサトイモがお行儀よく並んでいる。皆一様に、薄っすらとトロミのある出汁を纏(まと)っている。ツミレはムッチリと肉々しく、サトイモはネットリと滋味深い。ニンジン、レンコン、フキはシャクシャクとした食感が気持ちよく、大好きなカボチャなど、こんなにも甘く仕上げることができるのかと驚く。良いスタートだ。
続いて刺し身の盛り合わせがやって来たのだが……アナタ、そんなに美しく盛られるものかね? 紅白で統一された盛り付けは、マグロの赤身とハマチ、そして皮付きの鯛。
マグロなんて流石は海の街、締まりのいい赤身は旨味が強い。ハマチは身から染み出る脂で、箸が滑るほど濃厚。皮付きの鯛は、ぎゅっと白身の淡泊な旨味が詰まっており、醤油がいらないほどだ。
ふと、見上げる天井。壁との境目はS字状に滑らかで、そこへ続く天井は碁盤目に区切られた枠のうち、いくつかだけ照明を入れ込んでいる。これこれ、この感じ。レトロ建築でよく見るこだわりだ。よーく見てみると、ちょっとした細工を施しており、ただ、それがちょっとした技術じゃないこともある。ここのS字の天井も、本来は必要ない設計なのだろうが、こういうなんでもないところにチカラを入れちゃうところがレトロ建築の醍醐味でもあるのだ。
そこへやってきたのが自家製玉子焼きだ。玉子焼きもそうだ、なんでもない料理である。ただひと口いただくと、なんでもなくはないのだ。
いわゆる「甘い系」の玉子焼き……いや、もはやこれはカステラなんじゃないかと思うほど、上品な甘味だ。サクッとした歯触りと、しっとりとくどくない甘味。おいしいなぁ……玉子焼きって、おいしいなぁ。
こういうレトロ建築で何を一番いただきたいかと問われれば、間違いなく天ぷらの盛り合わせであろう。明治・大正時代のレトロ建築に住んでいた富豪たちって、きっと天ぷらを好んで食していたと思うんですよ。やってきたのは、まさしく富豪レベル極上天ぷら。
「カリッ」という音の吹き出しが見えそうなほどのコンガリ感。イカとキス、ナスとシシトウ、それとエビが2本の大好物のフルメンバー。これらは『だるま』専用特注のごま油を使用しているらしく、ごまの香りが鼻孔をくすぐってしょうがない。トタンを踏みつけたような「ザクッ!」という乾いた衣の音が店内にこだまする。イカは肉厚でしっとり、ナスとシシトウは野菜の繊維感を完全に残しつつ非常においしい。
砂浜の女王であるキスは、その見事な白身をホクホクのまま味わうことができる。天ぷらの王様であるエビは、もはや言うことなどない。今まで食べてきたエビ天とは一体何だったのかと思うほど太(ぶ)っといエビは、プリシコの芸術品。
だめだ、これ以上ここの天ぷらを食べると、他で天ぷらが食べられなくなりそうで怖い。
あ──、すごくイイ。我が酒場人生、ここを最後の酒場として認定してしまおうか……さすがに、それは時期尚早か。下手にレトロ建築が好きなだけに、こんな葛藤をしなけれならない運命だなんて……名残惜しくも、小田原かまぼこの板わさをアテに酒で締めて店を後にした。
「オヌシ、モウカエルノカ?」
はい、ごちそうさまでした。
「オホホッ、マタヨッテッテ、クンナマシ~」
はい、ありがとうございます。
達磨さんもお多福さんもお元気で。小田原の海風を浴びながら、またしばらくレトロ建築のたたずまいに酔いしれるのである。
『のれんと味 だるま料理店(のれんとあじ だるまりょうりてん)』
住所: 神奈川県小田原市本町2-1-30
TEL: 0465-22-4128
営業時間: 11:00~21:00
定休日: 正月元日~1月3日のみ
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取材・文・撮影=味論(酒場ナビ)