牛の角突き
角突きの音と掛け声、歓声が響き渡る伝統神事
疫病除けに始まるとされる神事。闘牛だが勝負はつけず頃合いをみて引き分けにする。ほとんどが南部牛で最大1100kgの巨体がぶつかり合うさまは圧巻だ。相撲同様、取組が進むにつれてどんどん強くなり「終い三番」は横綱級の好取組。わかりやすい軽妙な実況解説があるので初心者でも安心。
●一般席1000円・特別席2000円。9月6日、10月4日、11月1日各12時〜15時ごろ、小千谷闘牛場で開催。新潟県小千谷市小栗山2453 ☎0258‐83‐3512(小千谷市観光交流課・観光協会)
石動神社
疫病退散を願って「面綱(おもづな)の輪」くぐり
上杉謙信没後の家督争い「御館(おたて)の乱」で落城した薭生(ひう)城の城主や家老、宮司家初代の廣井清左衛門らにより始まったとされる蘭木村。14・15代目宮司が、村で代々信奉してきた石動様や内鎮守を祀る里宮を2015年に建立。2020年は茅の輪でなく、牛の角突きの化粧まわし「面綱」を新型コロナ終息まで設置。
錦鯉の里
「泳ぐ宝石」「泳ぐ芸術品」が愛めでられる唯一無二の場所
錦鯉発祥の地、小千谷ならではの世界唯一の施設。約200年前に突然変異で生まれ、この地で研究と改良が重ねられ世界が認める鑑賞魚になった錦鯉。誰でも気軽に鑑賞でき、歴史や品種・飼育方法などを学べる。屋内外の池で泳ぐ優秀鯉の眺めは壮観そのものだ。錦鯉オーナー制度もある。
小千谷織物工房「匠之座」「織之座」
素朴で涼やか、伝統の小千谷縮は夏の高級織物
伝統技法で独特のシボ(しわ)を生み出し、織りあげる小千谷縮。江戸時代初期、越後麻布に改良を加えて生み出され、薄く涼しいことから全国で広く愛用されてきた。『サンプラザ』内で織物製品を展示販売する「匠之座」、織物体験(現在は展示のみ)できる「織之座」でその質感に触れられる。
元祖小千谷そば 角屋
織物の町ならではのへぎそばを老舗で食す
明治22年(1889)の創業から伝統の味を守り続ける老舗そば処。オススメは、もちろん小千谷名物へぎそば。織物の糊付けに使う海藻の布海苔(ふのり)をつなぎに打つユニークなそばで、コシが強く歯ごたえのよさとなめらかさが特徴。「へぎ」は剝ぐが訛ったもので、杉板を薄く剝いで作った四角い器のこと。その器に食べやすいよう「手振り」で小分けされる。
クレープハウス星野屋
たっぷりのフルーツは果物専門店ならでは
明治38年(1905)創業の果物専門店が営む店。クレープやパフェ、パンケーキのテイクアウトメニューが盛りだくさん。本業が果物屋だけに、ジューシーで旬なフルーツをたっぷりトッピング。驚くべきはその種類。クレープだけでも約200種類以上あり、さらに新メニューが続々と登場している。
さつまいも農カフェ きらら
アツアツとひんやり、まぜながら一口ずつ
サツマイモマニアのオーナー考案の、焼きイモソフトクリームが人気。コーンの代わりに焼きイモを使った独創的なスイーツで、濃厚なガンジー乳のソフトとホカホカの焼きイモの相性が絶妙。焼きイモのおいしさと温かさがより引き立つ。雪イモポテト590円、フライドイモ子310円もぜひ。
ぽっぽの里公園
「おぢや」? 「おじや」? 今さら校正しても……です
今はなき国鉄魚沼線の終点、西小千谷駅の遺構を保存する公園。魚沼線はもともと魚沼鉄道という軌間762㎜の軽便鉄道。大正9年(1920)にほぼ並行する現在の上越線が開業したため赤字に転落、国有化され戦時中に休止されるまで軽便規格で営業した。1954年に一部ルートを変更、1067㎜に改軌して再開されたが利用者は少なく1984年廃止された。
●園内自由。新潟県小千谷市城内3-2
小栗山木喰観音堂
微笑を浮かべた温和な木喰(もくじき)仏
全国を旅しながら微笑仏(みしょうぶつ)と呼ばれる仏像を91歳まで精力的に彫り続けた木喰上人(1718〜1810)。2度目の越後巡礼で、ここに24日間滞在して三十三観音と行基菩薩、大黒天の35体を彫り上げた。上人85歳のときの円熟した作品群に心が和む。
郡殿(こおりどん)の池
竜神が現れそうな圧倒的な秘境感
里に立つ弁財天の赤い大鳥居が目印。参道を車で上っていくと、標高230mの山中にひっそりと現れる。池には大小20ほどの浮島があり、30数種のトンボ類など珍種の昆虫、植物が多く生息している。地中で池と信濃川と通じているとか、池の主が竜神で、この主に嫁いだ娘「おいよ」の悲話といった多くの伝説も興味深い。
●見学自由。新潟県小千谷市西吉(にしよし)谷
山本山高原
名山と信濃川を望む新潟屈指の絶景スポット
市街中心部から3㎞ほどの近さにあり、車で頂上まで行ける。標高336mの頂上展望台からは越後三山や会津の山並みを見渡せ、眼下に信濃川と新潟平野が望める。霧が発生しやすい地形のため、秋の早朝には雲海や滝雲、ブロッケン現象などが見られる。また9月中旬〜下旬には、南方へ帰る猛禽類のハチクマの渡りも観察できる。
●見学自由。新潟県小千谷市山本
棚池と棚田
錦鯉が泳ぎ、稲が黄金色に輝く日本の原風景
棚池は休耕田を利用した錦鯉の養鯉池で、小千谷市東部の山あいや隣の長岡市山古志地区に点在する独特な風景。稲作の棚田は、市内岩沢地区の「外ノ沢(そでのさわ)の棚田」がすばらしく「にいがた棚田カード」になっている。県が作るこのカードは20種類あり、それぞれの地域で絶賛配布中。収集癖がもたげてくる。
●見学は外から。新潟県小千谷市浦柄ほか/岩沢(外之沢)
おぢや震災ミュージアム「そなえ館」
震度7を体感して学ぶ「備える」ことの大切さ
2004年10月23日17時56分、新潟県中越地方を襲ったM6.8、震源の深さ13㎞の直下型地震「新潟県中越地震」。県民が「新潟県中越大震災」と呼ぶほど甚大な被害を受けた。日本初となる迫力の4D×3Dシミュレーションシステムで地震を疑似体験し、地震発生から復興までの道のりをたどりたい。
小千谷ふるさとの丘ユースホステル
自然に囲まれた古民家で非日常的な体験を
山あいの集落を見下ろす日当たりのよい高台に立つ。建物は明治時代の茅葺き農家の骨組みを残して大改造したもの。雪国ならではの柱や梁の太さに目を見張る。縁側から季節の花が咲く前庭を眺めてのんびりしたり、畳敷きの食堂や談話室で親切なペアレントご夫婦に小千谷情報を伺いたい。
古民家民宿「おっこの木」
集落のお母さん方と語らいおいしい料理に癒やされる
中越地震で半壊した築160年の古民家を、地域住民とボランティアによって補修して利用。野菜や山菜、棚田で作られる米など地元の旬の食材を使い、集落のお母さん方が賄う料理は、量も品数も圧倒的な多さ。地元の人が案内する自然散策などのプログラムも楽しめる(要予約)。
片貝まつり
世界最大級の正四尺玉と私的な願いを込めた花火
奉納花火大会で知られる鎮守の秋祭り。直径約800mの花を開く正四尺玉が圧巻だが、慶事や弔事、成人、還暦、厄払いなど私的イベントにちなんで奉納される花火もユニーク。個人や家族、地元中学校の同級生の集まり(同級会)が経費を出してスターマインなどの大きな花火を打ち上げる。2020年は10月まで日時非公開で「プライベート花火」を打ち上げ中。
●今年は中止。新潟県小千谷市片貝町6548
薩長に戦いを挑んだ越後のラストサムライ、『峠』の舞台めぐり
司馬遼太郎の小説『峠』で知られる河井継之助。近代的な合理主義者で先見の明と実行力を持ちながら、時代の波に翻弄され、東軍(奥羽越列藩同盟)の一員として長岡藩を率い西軍(新政府軍)と戦うことになった悲劇の英雄。近日公開予定(2020年9月現在)の映画『峠 最後のサムライ』に期待しつつ、北越戦争の発端となった小千谷で彼の足跡をたどりたい。
慈眼寺
小千谷談判の地で和平を願った継之助を偲ぶ
慶応4年(1868)5月2日に長岡藩家老・河井継之助(1827〜1868)が藩主の歎願書を持参、西軍軍監・岩村精一郎(1845〜1906)と和平交渉を行った座敷が保存されている。岩村は味方からも軽率で無思慮と評された人物だったこともあり談判は決裂、北越戦争に突入した。
●無料(本堂および会見の間の見学は要予約)。新潟県小千谷市平成2-3-35 ☎0258‐82‐2495
居・食・亭 東忠
河井継之助ゆかりの和モダンな割烹料亭
小千谷談判を終えた河井継之助が昼食をとった、江戸時代から続く老舗割烹。厳選された地元産の素材を使った創作日本料理を、居心地のよい空間で味わえる。歴史を感じる3階建ての建物には、気軽に利用できるカフェも併設。ブレンド500円。
五智院
小千谷陣屋の遺構を大切に保存する古刹
幕末の小千谷は会津藩の預かり地だったが「芋坂・雪峠の戦い」敗退の報を受け会津藩は早々に小千谷陣屋を放棄、町に無血入城した西軍が拠点とした。当時の陣屋の表玄関が、この寺の中玄関として使われていた。ちなみに日本最初の公立小学校「振徳館」(現在の小千谷小学校)が、明治元年(1868)にこの境内で創立されている。
●境内自由。新潟県小千谷市元町14-7
殉難者墓碑
両軍戦死者を手厚く弔う小千谷の人情に敬意を
小千谷の人々は東軍、西軍問わず手厚く弔った。戦後、薩長は会津藩士の遺体の放置を命じ野ざらしにされたそうだが、朝日山には兵士が斃たおれた場所や麓に墓碑が立つ。船岡公園には明治41年(1908)に改葬された西軍殉難者の墓地がある。時勢を反映してか立派な「戊辰役薩藩殉難碑」のもと197柱の墓碑が整然と並ぶ。
●参拝自由。新潟県小千谷市浦柄/稲荷町12-2
古戦場
150年前の出来事とは思えない生々しさ
小千谷談判決裂後の5月10日、西軍が占領していた榎峠を東軍が奪回。西軍は近くの要衝朝日山を攻めたが、山頂に陣取る立見尚文(たつみなおふみ・後の陸軍大将)率いる東軍に敗れ、指揮官の時山直八は戦死した。その後西軍は5月19日に長岡城下を奇襲、城はわずか半日で落城し小千谷の戦闘も終わった。前哨戦があった雪峠にも碑がある。
●見学自由。新潟県小千谷市浦柄
取材・文・撮影=飯田則夫
『散歩の達人』2020年9月号より