東京にあるのにあったかくて田舎っぽい雰囲気
近くに住む友人が「去年、ママ友がいい店開いたよ!」と連絡をくれた。谷根千の地元口コミ情報でハズレを引いたことはない。急いで教えられた雑貨店『coccia』に向かう。
すると、入り口のベンチで赤ちゃん連れの家族客が飲み物を手にくつろいでいた。なんだろう、このお店の、はじめて来たのに妙に懐かしい感じ。近所の人が突然来て、玄関先でお茶飲んでいく地方の実家みたいだ。こういう光景、谷根千ではよく見る。すごい、新しいお店なのにすでに地域に溶け込んでいるではないか!
「そうなんです、東京にあるのにあったかくって田舎っぽい雰囲気が気に入って」
と笑顔でうなずいてくれた店主の池田春香さん。革職人の夫とのフィレンツェ生活で得たつながりを活かしてお店を開きたいと考えていたところ、大好きな寺社や博物館が多い谷中に物件が見つかった。人通りが多く、近所の人たちも応援してくれるのがうれしいという。
“地元の人がお店を応援”って谷根千ぽいな、と頭に浮かんだのが豆大福で有名な『谷中岡埜栄泉』の新島良子さん。案の定、取材をお願いすると、
「本当にうちでいいの? この辺りはいいお店がいっぱいで、あのお店はおいしいし、このお店は素敵だし……」
とおすすめが止まらない。良子さんはお嫁に来た2000年頃、亡き先代から
「谷中に来る人はここ特有の心に触れたくて来る。近所の人と仲良くして、街全体でおもてなししなさい」
と言い含められたそう。
「守っているうちに、谷根千の景色や人情がいとおしくなって」
と目を細める。
置いてけぼりにされない、ゆるやかな新陳代謝がうれしい
「いつ来ても変わらなくてホッとする」
という声を、谷根千びいきの人からよく聞く。確かに、根津神社や須藤公園のように、常にどっしりと迎えてくれる場所が多い。もちろん、谷根千でだって長年親しまれていたスポットやお店がなくなることはあるが、地域の有志が協力して景観を守るように働きかけたり、お店がちょっと違った形で復活したりすることも、よくある。人にやさしいおだやかな新陳代謝があるのも、谷根千の特徴の1つだと感じる。
転んでもただでは起きない、コロナ禍で「はじめた」人たち
いつも元気な谷根千の街だが、コロナ禍では大きな痛手を負った。『旅館 澤の屋』の3代目、澤新(あらた)さんは
「当館を訪れる9割の方は外国人旅行者。入国制限で宿泊客がゼロの日が続き、さすがに落ち込みました」
と2020年頃を振り返る。何かしなければ、とテレワーク利用や散策の休憩を見込んでデイユースプランを作ったところ評判に。さらに、ぬいぐるみと旅行して撮影をする「ぬい撮り」ファンの存在を知り、ぬいぐるみ専用の布団を用意。「ぬい撮り」旅行も積極的に受け入れるようにした。
「ぬいぐるみとの撮影は他の方に気を使うものですが、せっかく空いているのだから人目を気にせず思う存分楽しんでほしくて」
最近は外国人観光客の受け入れが再開できたためにデイユースは中止しているが、ラウンジは宿泊客でなくても有料で利用できるようにした。
「コロナ禍で苦しかったですが、国内からはじめて訪れる方々をお迎えできてよかったです」
とほほえむ。
同じようにコロナの影響を受け、一からお店を始めたのが『悠々庵』の堀さん。以前は外国人旅行客専門のお寿司のワークショップで教えていたが、予約がゼロに。「バス停の前にあって便利そう」と感じたこの物件で2021年5月に開業したところ、瞬く間に人気の店となった。
「鉄分などの栄養が豊富なマグロでお客さんに元気になってもらいたい」
と張り切る。
三崎坂の途中にある『さんさき坂カフェ』はオープンから13年間、地域の交流の場としても機能してきた。大の人間好きで、人脈が広い店主の大野孝子さんが、「合いそう」と思ったお客さん同士をどんどんつなげていくからだ。そんな孝子さんにとって、飲んだり食べたりすることに制限があるコロナ禍は辛かった。しかし、息子の義高さんがアートの展示やイベントを企画し続け、お客さんとスタッフの心を励ました。
「飲食ができない時でもアートがあれば交流できる」
と力を込める義高さん。取り扱うテーマは、宮崎や鳥取といった地方や外国、絵画や写真など多岐にわたる。「なんでもあり」になりそうだが、アーティストやコラボレーションする人たちと必ず一緒に考えていくことで「さんさき」らしい企画になると教えてくれた。
都内にあるのになんだか妙に田舎っぽくて、自然や文化がたくさんあって、ピンチでも負けないたくましい人たちがいっぱいいる。伝統や人気にあぐらをかかず、新しいことを「はじめる」人も多いから、はじめての人はもちろん、谷根千びいきの人にとっても、歩くたびに発見があるのだ。
そんな谷根千を少しでも感じてもらえたら幸せである。
【はじめての谷根千おすすめスポット】
coccia(コッチャ)
めずらしいものとおいしいものが手まねき
青森出身でイタリアにも住んだ店主・池田春香さんが2021年10月に開店。津軽びいどろやこぎん刺し、イタリアのデッドストック陶器を多数揃える。
カフェ利用&テイクアウト可な珈琲280円などドリンク類も人気。
●10:30~17:00。Instagram(@coccia_yanaka)を確認推奨、月・火休(祝の場合は営業)。
☎︎03-5834-2712
谷中岡埜栄泉(おかのえいせん)
つきたてお餅にこだわりあんこの超人気豆大福
明治33年(1900)創業。職人のご主人新島伸浩さんらが手作業で作る、こしあんが人気の豆大福は260円。1つから予約可。金つばやどら焼きは氷温熟成製法でしっとり。
●9:30~14:00ごろ(豆大福が売り切れ次第終了の場合あり)、月・水休(不定休あり)。
☎︎03-3828-5711
悠々庵
極上本まぐろとジビエを手巻き寿司で
フレンチと和食の経験を積んだ堀さんが2021年5月にオープン。天然本まぐろや京都のジビエ、三浦半島の野菜を使った逸品を手巻き(1本500円~)でもおつまみでも提供。テイクアウト可。
●11:30~14:30LO・17:00~20:30LO、第1・3・5水と日休。
☎︎なし Instagram:@uuan.japan
旅館 澤の屋
獅子が見守るラウンジで散歩休憩OK
2代目澤功さんが1980年代から外国人客を受け入れ始めた家族経営の老舗旅館。ラウンジは宿泊しなくても有料で利用でき、散策中の休憩に最適。無料Wi-Fi完備、フリードリンク(コーヒー、お茶など)あり、飲食の持ち込みも可。
●1時間700円。12:00~18:00、無休。
☎︎03-3822-2251
根津神社
権現造りの社殿は国の重要指定文化財
宝永3年(1706)に完成した本殿・幣殿・拝殿・唐門・西門・透塀・楼門すべてが現存している神社。楼門の左側の道には森鷗外や夏目漱石が座った「文豪の石」が。
文京区立森鷗外記念館
鷗外立案の方眼つき地図が手に入る
明治の文豪・森鷗外の旧居「観潮楼」跡地に2012年に開館。1階のショップでは、明治42年(1909)に鷗外の立案で刊行された方眼付きの東京の地図が手に入る。
●10:00~17:30最終入館、毎月第4火休(祝の場合は開館し翌休)。一般300円。
☎︎03-3824-5511
中華 華
少人数制の本格中華で待望の再始動
2017年に惜しまれつつ閉店した根津の「華」が谷中で再オープン。海鮮五目ソバ1800円、自慢の酢豚ランチセット(ライス、スープ、小皿つき)1400円は全身がほころぶ味。
●11:30~14:00(ランチコース予約可)・18:00~20:00LO(時間変動あり、事前に電話で要確認)、月・火・金休。
☎︎03-3823-0692
岡倉天心記念公園
六角形のもの、いくつ見つかった?
東京美学校(現・東京藝術大学)を創設した岡倉天心が日本美術院を開院した場所。天心はのちに茨城県五浦(いづら)に転居した。園内には五浦の六角堂を模した記念堂があり、よく見るとトイレや水飲み場、石碑にタイルも六角形だ。
さんさき坂カフェ
食もアートもイベントも行けばある
2009年に開業。家族経営で年間200回を超すさまざまなテーマのイベントを手掛ける。家族の一員が宮崎県諸塚村に移住したことがきっかけで、諸塚村と提携。現地の食材を使ったランチ1100円。
●11:00~17:00(夜は不定期営業)、水休。
☎︎03-3822-0527
取材・文=仲間麻美 撮影=オカダタカオ
『散歩の達人』2023年1月号