赤錆びたリベットと溶接の鉄道橋は威風堂々の風格
道路橋の歩道からじっくりとその威容を拝観できます。立入禁止の看板が掲示され緊張感ある空間ですが、瑞穂橋を含む土地の一部は2009年3月31日に返還されており、とくに警備員に咎められることもなく歩けます(というより、ゲートの奥の方に守衛室があるようだ)。米軍のゲートは橋を渡った先。さすがにそちらへレンズを向けるのは気が引けますね……。
橋梁はプレートガーダーと曲弦トラスの複合構造で、両端はプレートガーダーとなっています。
プレートガーダーは、板状の「主桁(しゅげた)」を組み合わせた構造で単純ゆえに、鉄道橋では明治初期から使用されてきました。種類も豊富で、瑞穂橋のものは下路(かろ)タイプです。下路プレートガーダーは桁下の空間(高さ)を確保する場合に用いられ、車両を包み込むようにして両サイドに板状の「主桁」が立ちます。通常の主桁は真っ直ぐな直線です。
瑞穂橋の主桁は、中心部のトラスと一体となったデザインで、橋端部より斜めにせり上がる形状となって、トラスへと繋がっています。滑らかな線を描いているデザインが秀逸であり、赤錆び色であっても美しい橋梁の形状が損なわれていません。
このプレートガーダー部分はアーク溶接によって建造されました。溶接は見慣れているから日本初と知らなければ「ふーん」で終わってしまうのですけれども、知っていたから細部まで目を見開いて見ちゃいますね。
そしてトラス部分との接合部は、主桁がキュッと曲線を描いてせり上がり、滑らかな溶接プレートガーダーから重厚感溢れるリベット打ちの曲弦トラスへと引き継がれます。その境目の構造が美しいのです。鉄骨の美しさですね。むしろ赤錆びている姿の方が、より鉄の造形の生々しさを表しているようです。
リベット打ちのトラス部分も溶接が見受けられる
曲弦トラスを見ましょう。トラス橋は棒状の材料を三角形に組んで支える構造で、これもまた多くの種類があります。棒状の材料は鋼材で、ホッチキスの針の形をした「みぞ形鋼」などを組み合わせます。戦前期ではシングル(またはダブル)レーシングと呼ぶ、網目のような構造で材料を組み合わせました。そのためこの曲弦トラスを構成する部材も、シングルレーシングが使用されています。
トラス中心部は門形の対傾構(たいけいこう)が接合されています。この対傾構が左右の歪みや変形を防止する役目をしているのですね。リベット打ちの中にあって対傾構は溶接であるためにツルンとしています。
上部の「横構(よここう)」と呼ぶ斜めに入った補強材も溶接ですが、一瞬ひん曲がっているように見えました。どうやら一部が曲線を描いているようです。デザインなのか構造的な理由か判明しませんでしたが、直線ばかりの橋梁に曲線が混ざっているとちょっとお洒落というか、遊び心を感じました。もっとも、全く別の理由かもしれませんが……。
複線分の構造は片方が線路の敷かれた状態のままですが、もう片方は線路がありません。そのため溶接で組まれた床組(ゆかぐみ)もよく確認できます。レールの土台となる縦桁と橋の左右を繋ぐ横桁部分はたしかに溶接で組まれていました。
瑞穂橋をじぃぃっと観察しながら渡り終えます。橋端部のプレートガーダー主桁も曲線で仕上げられていました。
渡るとすぐに米軍基地のゲートがあります。その手前には大きな踏切の跡が残っていました。遮断機はすでになく、警報機だけがポツンと立っています。背後にそびえる高島町の高層マンション群との対比がなんとも言えず、横浜港の向こう側が別世界に思えました。ここはまだ時代に取り残されている。そんな空気です。
もし訪れるならば、曇りの日が良いかもしれません。橋梁部分が影にならず、構造をつぶさに観察できるからです。すぐ隣は米軍基地なので留意して。
返還された線路設備の扱いが決まったら、瑞穂橋と線路敷きは一気に撤去されるかもしれません。日本初の溶接鉄道橋の去就が気になります。
取材・文・撮影=吉永陽一