エッセイの記事一覧

61〜80件(全104件)
noimage
自分の住む市区町村の花・木・鳥を知っていますか?~街にひそむ地方自治体のシンボルを愛でる~
全国の市区町村では、たいがい花や木、鳥がシンボルとして制定されている。一体なぜ、市区町村はこうした自然をシンボルとするのだろう。
noimage
演劇部の部室では、息をすることができた。中学時代のあの一瞬一瞬が、今の私を形作っている
今まで何度か「やりたいことがわからない」「打ち込めることがない」という相談をされたことがある。そのたびに、なんと答えたらいいのかわからなくて言葉に詰まった。今までの人生、私は常にやりたいことや打ち込めることがあったからだ。
noimage
秋の月見商戦。果たして玉子が好きなのか。イベントが好きなのか。【絶頂チェーン店】
月が出た出た、月が出た。マクド炭鉱の上に出た。9月のあるお昼時。『マクドナルド』の前にやたら人がいるなと眺めていたら、店頭に月見バーガーの垂れ幕が下がっていた。ああ、今年もまた月見の季節なのか。普段は空を見上げる余裕もなく、十五夜にススキも団子も揃えないくせに、チェーン店の季節限定メニューには敏感でいたい貧乏性分。ふらりと長い行列の最後尾についてしまうと、結局、文句言いながらも出来上がりまで30分も待たされてしまうのだ。
noimage
鉄砲と弓はどちらが強いのか!? 種子島の伝来が変えた戦の在り方と、城郭から見えてくる武器の移り変わり
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。暦の上では秋となったがまだまだ暑き日が続くわな。いつまでが夏で、いつからが秋なのか。はっきりとしないままゆるゆると移ろいゆくのが季節といえよう。我らが生きた歴史や時代も季節と同じように段々と少しずつ進んでいく、あるいは積み重なっていくもの。であるが、しばしば技術は急速に発展し、一つの出来事が大きく時代を変えてしまうことがある。それ以前とそれ以降では暮らしや文化が全くの別物になる、まさに転換期と呼べるもので、鉄器や火薬の発明や産業革命が最たる例であろう。日ノ本における大きな転換期もいくつかあるが、その中の一つに「鉄砲の伝来」が挙げられるであろう。各地で戦が起こり、混乱を極めておった戦国期の日ノ本を大きく変えた鉄砲。こたびの戦国がたりではそんな話をして参ろうかのう。
noimage
MA-1を着た悪魔【吉田靖直/トリプルファイヤー】
高級ブランドの服など一着も持っていない私だが、高級ブランドのパーティーへ行ったことは2度ある。ファッション関係の仕事をしている友人が「タダで飲めるからみんなで行かない?」と2次会的ノリで連れて行ってくれたのだ。
noimage
姿を消しつつある、公衆電話の跡地をめぐる旅
一昔前、街を歩けば必ずと言っていいほど公衆電話が設置されていた。財布には必ずテレホンカードが入っていたし、出先で急に連絡を取らなければならない時に備えて、行動範囲のどこに公衆電話があるかは大体把握していたように思う。
noimage
萌えすぎて後悔。突如として現れるホッパーと鉄道公園! JR吾妻線の前身、旧長野原線をめぐる<後編>
2回にわたって群馬県長野原線の遺構をじっくりと探索してきました。締めくくりは、みんな大好きなホッパーの遺構です。
noimage
酒場ライター・パリッコの理想的な一日。石神井で過ごす日々は、まるで終わらない夏休み
石神井公園の街に住み、2024年でもう16年目になる酒場ライター、パリッコ。年月を経るごとに強まる地元愛と共に、石神井で過ごす理想的な一日をご紹介!
noimage
猛暑の日々、氷やアイスのデザインを見て涼しい気持ちに浸りたい
8月上旬を過ぎてもなお、毎日のように猛暑日が続いている。この暑さでは、気軽に散歩もできやしない。手っ取り早く涼を取ろうと、毎日かき氷ばかり食べていたところ、冷たいものを食べると覿面(てきめん)におなかを壊す体になってしまった。もはや自分は、かき氷の名店を巡るレポすら書けない人間である。
noimage
「だけど、優しい人だった」。沖縄のゲストハウスで出会った、もう顔も思い出せない彼のこと
新橋の広告会社を早期退職した直後の7月、私は沖縄の那覇にいた。友人の結婚式に参列するために沖縄に来て、そのついでに1人で何日か旅行しようと思ったのだ。
noimage
向かい合う双方のトンネル。真っ暗な第二愛宕トンネルを行く。JR吾妻線の前身、旧長野原線をめぐる<中編>
群馬県の旧長野原線をめぐる旅、前編では第一愛宕トンネルに入ったところで終わりました。気になるその先へと足を進めましょう。第一愛宕トンネルの壁面は、吹き付けたコンクリートに、ツーっと涙跡のような白い線が数本垂れています。何も知らなければ眉をひそめる姿ですが、廃なるものに慣れてくれば「あー、コンクリートの白華現象か」と、いたって冷静になれます。白華現象を簡単に言うと、コンクリートの石灰石成分が水分などによって表へ染み出したもの。鍾乳石みたいなもので、ひび割れた部分などによく現れます。石灰石の涙と言ってもいいのかな。白い線が多すぎるとひび割れも多くなり、耐久性は大丈夫かと別な怖さを感じてしまいますが、とりあえずこのトンネルは大丈夫そう。
noimage
口説いてません。これはジローラモキャラです【吉田靖直/トリプルファイヤー】
お笑い芸人「ニッポンの社長」の辻さんに誘われ、ふたりでトークライブをした。芸人でもなく弁も立たない私が吉本の舞台でトークさせていただくとはなかなか得難い機会である。テーマは特に決めていなかったが、以前私と辻さんが飲んだ時の話に自然となった。
noimage
『かるびのとりこ』で夏の思い出作り。北関東のスンドゥブは血の色よりも赤かった【絶頂チェーン店】
あたいのなつやすみ。妻と子供が2週間の海外旅行に出かけて行った。カリブ海。ビーチだとか。筆者は置いていかれたわけではない。なぜなら最初から誘ってくれなかったから、ハブとか家庭内イジメとか、家庭不和にはあたらない。きっと「父さまはお忙しいのだから」と、慮(おもんぱか)ってくれたのだろう。
noimage
蒸し暑い真夏のひととき、霧も出る漆黒のトンネルへ。JR吾妻線の前身、旧長野原線をめぐる<前編>
関東は梅雨明けしました。途端に35度以上の酷暑日が続き、どこか涼を求めて彷徨(さまよ)いたい。こんな暑さには廃トンネルです。廃トンネルは崩落の危険があったり閉塞していたりと、閉鎖されているところが多いです。そういうところではなく、生活道路としては現役だけれども、鉄道としては遺構となった廃線跡を訪れました。JR吾妻線の前身、旧長野原線の廃線跡です。生活道路へ転用された廃線にトンネルがあるのです。前編は廃線跡をめぐりながらトンネルへ、中編はトンネルとその先、後編は終点へとめぐります。
noimage
日本いかにも土産物考~村上宗隆・岡本和真選手も身に着けていた、あの記念メダル編~
どこの家庭の引き出しにも、1枚や2枚は転がっていそうな土産(みやげ)。それが記念メダルではないだろうか。昭和の時代、観光地には必ずと言っていいほど記念メダルの販売機があった。金色に光るそのメダルは、まるで物語に出てくる金貨のように映り、自分の名前や日付などをガヒョンガヒョンと刻印できる機械とともに、子供たちの心を捉えたものである。
noimage
薬局のオレンジ象、サトちゃんの造形とファッションを観察する
街の薬局の店頭には、さまざまなキャラクターがいる。以前このコラムでも取り上げたパンダのニーハオシンシン、カエルのケロちゃん、赤いウサギのピョンちゃん……。その中でも最も有名なのが、佐藤製薬のキャラクターであるオレンジの象「サトちゃん」ではないだろうか。
noimage
戦国武将のたしなみ!戦術眼を養う囲碁将棋について語る!
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。突然じゃが皆々は将棋や囲碁に触れたことはあるかのう。日ノ本の古き戦術遊戯で、現世では「ぼーどげーむ」なるものが流行っておると聞くが、その元祖とも言える存在じゃな。日ノ本の民になじみの深い遊戯じゃが、今再び人気が増してきておる。一番の理由は言うまでもなく、若き天才棋士・藤井聡太殿の活躍じゃな!史上最年少の記録を数多く持ち、令和六年七月の頭には史上六人目の永世棋聖の称号を最年少で獲得するなど、将棋の長い歴史の中でも特別なる才を見せつけ続けておる。藤井殿は尾張の出身なこともあって、タイトル戦が名古屋で行われる折には大きな盛り上がりを見せておるのじゃ。対局の中で藤井殿が食べる名古屋名物の甘味も注目を浴び、同じものを買い求める者で行列ができたりと一つの名物となっておるわな。囲碁も今大きく盛り上がっておって、こちらも若き天才・一力遼殿の躍進もあって注目を集めておる。一力殿は四年に一度の国際戦である「応氏杯世界選手権」にて決勝へと進み、これに勝利すれば日ノ本初の快挙となる!対局は来月となるそうだで、皆も応援いたそうではないか。囲碁や将棋を知らぬ者たちにはこれを機に興味を持って欲しいところであるが、そんな此度は我ら戦国武将のたしなみでもあった囲碁や将棋の歴史について紹介して参ろうではないか!それでは、いざ参らん!!
noimage
静岡『エコパアリーナ』へ急ぐ道中で生まれた、世代を越えた一体感。いくつになっても一生ものの思い出はできる
この歳になってもなお、一生ものの思い出は増える。2024年6月16日、静岡の『エコパアリーナ』へAぇ! groupのライブを観に行った。一緒に行ったのは、さとうさんという東京在住の同世代の女性だ。3月のAぇ!のイベントに私が当選した際、SNSで同行者を募集したところ、DMをくれたのがさとうさんだった。そのイベントで初めて会ったのだが、とても面白い方で意気投合し、4月には恵比寿で昼飲みをした。この歳になっても新しい友達ができるんだなぁ、とうれしく思う。
noimage
数カ月経ってもモヤモヤしている、砂時計の思い出【吉田靖直/トリプルファイヤー】
他人に臆せず声をかけられるようになることが大人の必須条件だと思っている。どんなに格好いい人でも他人に道をたずねるのを恥ずかしがってモジモジしていたら一気にダサく見えるだろう。私は30代半ばを過ぎてもなお他人に話しかけることに結構な抵抗感がある。
noimage
『河太郎』でイカの活き造り定食を味わう至福。食べたら忘れられない、呼子は私(イカ)の聖地そのもの【絶頂チェーン店】
(コロナ禍2回目の)緊急事態宣言が出た当時、毎日家でじっとしていた。東京に縛り付けられて3カ月弱。苦しかった。取材に出たい。地方に行っておいしい地のものが食べたい。そんなことを思いながら、ぼーっとテレビを見ている。今日も行政改革大臣の会見を見るたびに、思い出すのはイカだった。ワクチンがどうたらと言うたびに。珍奇なマスクが映し出されるたびに、脳裏をよぎる、限りなく透明に近いイカー。
PAGE TOP トップへ PAGE TOP 目次へ