現代の顔ハメ看板について考えてみよう
そして現在。顔ハメ看板は廃れるどころか脈々と存続している。現在はSNSによる需要も高まっているのかも知れない。残念ながら、私がそういった顔ハメ看板の設置現場を通りかかる際は大抵一人である。見知らぬ人に撮影を依頼するのも何となく気恥ずかしく、さりとてセルフタイマーで撮影するのも気が引けて、結果として顔がハマっていない顔ハメ看板の写真だけが増えていくこととなった。そうした顔ハメ看板の観察を続けていくうち、これら看板がいくつかの種類に分類できることに気が付いた。
観光地にある昔ながらの顔ハメ看板
まず設置場所について。昔ながらの観光地には、相変わらず顔ハメ看板が多く設置されている。その地にゆかりのある歴史上の人物が描かれていることが多いようだ。平泉の中尊寺にある弁慶像にはフジカラーの文字が書かれ、記念撮影感を高めている。大津にある石山寺の紫式部顔ハメは、上半身だけを隠すパネルとなっており、うまく撮るための技術が必要とされる。
お店の特徴を一目でわかるようにした顔ハメ看板
しかし顔ハメの設置場所は観光地ばかりではない。近年では街の商店も宣伝のために顔ハメを設置している。自由が丘のハンバーガー店にはゴリラ、神田のお好み焼き店にはカープ坊や、神戸・北野のたこ焼き店にはタコの顔ハメが置かれ、店の特徴が一目でわかるようになっているのだ。
ファン垂涎! 美術館やイベント会場にある顔ハメ看板
また、美術展や催事などのイベント会場にも顔ハメ看板は設置されている。新宿・京王百貨店の恒例行事である駅弁大会や、世田谷で開催されるパン祭りの会場でも顔ハメ看板が確認された。銀座・松屋で開催された「ガラスの仮面展」では、作品内の有名なシーンがパネル化され、マヤや月影先生になりきることができた。ファンにとってはたまらない演出である。
味わい深い手描きの顔ハメ看板
次に、看板の制作方法について見てみる。昭和の時代からの顔ハメ看板は、大抵手描きであったように思う。現在でもこうした路線は健在であるが、その方向性はさまざまだ。駅員さんが描いたと思われる新神戸駅や、東近江大凧会館の顔ハメは手描き感に溢れていて何とも微笑ましい。
この「手描き感満載顔ハメ」は、中学、高校の文化祭などでも発見することができる。川越に設置されている顔ハメ看板は、大学の情報表現学科がデザイン制作を担当しているとのことで、精巧な仕上がりになっている。
スポーツ選手に多い印刷物の顔ハメ看板
一方、現在では大画面パネルへの印刷も手軽に注文することができるようになったためか、印刷物の顔ハメ看板も多く見られる。また、実在の人物が写真で顔ハメ看板になっているケースもあるが、こちらはスポーツ選手などに多いようだ。
穴の位置はこれでいいのか?と思った顔ハメ
ところで、顔ハメ看板の最大のテーマとして、「どこから顔を出すのか」というものがある。顔ハメ看板というからには当然人物が描かれていて、その顔部分だけがくり抜かれているものと思いがちだ。ところが世の顔ハメ看板にはそのルールが通用しないものがある。
まず鉄道から顔を出すケース。これはまだ「運転している」というていで写ることが可能である。
問題は、「人ではないもの」に穴が開いているケースだ。まず動物。「動物ならば顔があるからいいのでは」と思いがちだが、問題はその開ける場所である。井の頭自然文化園のフェネック顔ハメは穴の下に鼻が描かれているし、宮島のタヌキは穴の上に目がある。
顔の造形としてどうにもおかしい。特に鳥類や魚類などの場合、正面から顔を見ることが殆んどないため、横顔に穴を開けると不思議な構図になってしまう。
楽しいのか?
しかし生き物であればまだいい。池袋のタピオカ店の顔ハメはタピオカに、東京スカイツリーの菓子店ではバナナに穴が開いている。
タピオカやバナナになって楽しいのだろうか。いや楽しいのかも知れない。新たな顔ハメ看板の楽しみ方として「あり得ないところから顔が出ているシュールさ」を目指すのもまた一興ではないだろうか。
顔ハメ看板コレクション
絵・取材・文=オギリマサホ