名郷バス停
バス停そばのポストに登山届を出して出発。入間川沿いの車道をほぼ15分歩くと大場戸橋の分岐。
↓ 15分
大場戸橋
大場戸橋は帰りにも通るところ。舗装された山中林道をひたすら歩く。30分ほどで山中分岐へ。
↓ 30分
横倉林道起点(山中分岐)
まっすぐ行けば妻坂峠。分岐を左折して横倉林道に入る。横倉入の沢沿いを歩く。
↓ 30分
ウノタワ入口
分岐から30分ほどで林道が終了。ここから登山道。30分ほどで見事な苔の群落が出現。
↓ 60分
ウノタワ
ガレ場の急坂。苔の群落から30分ほどでウノタワへ。ウノタワから尾根歩き。天神山から鳥首峠へ。
↓ 45分
鳥首峠
峠からの下りは、かなりの急坂。右手に廃屋が見えてくると白岩集落跡。車道に出ると鉱山跡。
↓ 50分
白岩登山口
鉱山跡の地点が白岩登山口。白岩入の川沿いの旧白岩林道を歩いて大場戸橋の分岐へ戻る。
↓ 35分
ゴール
名郷バス停
体力度:★★☆
難易度:★★☆
歩行時間:4時間25分
歩行距離:約10㎞
アクセス:池袋駅から西武池袋線で飯能駅、約50分。飯能駅から国際興業バス「名郷」「湯の沢」行きで名郷バス停、約1時間。
林業が盛んだった名郷の集落
飯能駅からバスに乗り、入間川沿いの道を1時間ほど揺られて行くと、辺りの景色が山深くなってきた。名郷(なごう)である。周りはすべて山、山、山である。ここ名郷は2005年に飯能市に編入されたが、明治時代から名栗村といった山奥の集落で、良質なスギ、ヒノキを西川材として切り出していた地域。入間川を利用して木材を東京へ運び、随分と活況を呈した時代もあったようだ。
名郷のバス停から入間川(この辺では名栗川)沿いの山中林道を遡って行く。まもなく大場戸(おおばと)橋。ここは右手の秩父に通じる妻坂峠方面への道をゆく。余談だが、あの有名な植物学者の武田久吉は、秩父の帰りに妻坂峠周辺で植物採集をして名郷へ下りてきた話を書いていた。名郷から1時間弱で山中分岐へ。ここから横倉林道へと入って行く。川の名は横倉入となる。
途中に大正時代に建てられた「道祖猿田彦大神」と刻まれた石柱。簡単に言えば道や旅人の神である。廃屋も1軒。バス停まで1時間以上では、暮らしにくいことこのうえないだろう。手元にある昭和7年(1932)の地図では、この山中地区には3軒の家があったようだ。
ウノタワ伝説の地へ
分岐からほぼ30分で林道は終了し、ここから登山道になる。「ウノタワ入口」の道標が目印。少し休憩してから登山道へと入って行った。すぐに小さな沢が流れる渓谷の様相。その沢のそばをピンクのマーキングテープを頼りに進んでいく。道は登山道になっているので迷うことはない。大きな岩を苔が覆っている。途中からいつしか沢の流れは消えていた。もう源頭部なのだろうか。
木に手書きの小さな標識。「↑ウノタワ 注落石、ガレ場」とある。気を引き締めて登ることにする。途中に石積の跡。たぶん炭焼き釜かなんかだろう。この辺りは炭焼きも多かったようだし。
高度がだんだん上がって行くと、突如現れた苔の大群生地。大きな岩が斜面にゴロゴロあって、そこにびっしりと苔が生えている。苔の大群落だ。異様でびっくりな光景。しかし見事なものだ。だいたいここに岩がまとまってあるのが一番の不思議。傾斜はさらにきつくなり、道は案内通り、ガレてきている。ウノタワ入口から約1時間で尾根に着いた。先へ行くとウノタワ伝説の解説板があった。要約すると、昔は「鵜の田」といい、沼があったところ。解説板の先には、確かに沼跡のように見える広い空間があった。苔の群落と同じくここも不思議な場所である。
ウノタワからは尾根道を鳥首峠方面へ下る。峠を越える人を守るように、祠がひっそりと立っていた。急坂を下って行くと廃屋が何軒もある。白岩の集落跡だ。さらに下りて旧白岩林道へ出ると、石灰を採掘していた鉱業所跡があった。集落も鉱業所もすでに消滅した地だが、そこも不思議な廃墟であった。
廃村・白岩集落跡
1995年に無人化した平家の落ち武者の村
1995年頃まで人が住んでいた白岩集落跡。1950年当時は23軒の家があった。村は古くからあったようで、平家の落ち武者伝説も残る。鳥首峠から秩父側に下りた冠岩集落とは密接な関係があった。冠岩は白岩より10年早く無人化した。
さわらびの湯
途中下車して天然温泉でひと風呂
名郷の手前、名栗にある日帰り入浴施設。時間に余裕があれば途中下車してひと風呂。地元の西川材を使ったログハウス風の建物。泉質はアルカリ性単純温泉で、肌がすべすべになる。露天風呂、ラウンジ、休憩室など充実。
●10:00~18:00。第1水休。042-979-1212。入場料800円(3時間)。
取材・文=清野編集工房
『散歩の達人 首都圏日帰りさんぽ』より