そんな私に唯一気さくに話しかけ、度々ランチに誘ってくれていたのが隣の班の岡さんという男だ。岡さんはおっさんのような風貌でみんなにいじられていたが年齢は私の一つ下。明るい性格で、私と違ってどの同僚とも気軽にコミュニケーションを取っていた。

私も岡さんの前では自然に振る舞うことができた。一緒に昼食を食べていたある日。岡さんが突然、「吉田さんを連れて行きたい店があるんですけど今度一緒に行きませんか?」と誘ってくれた。もちろん行く。肩身の狭かったバイト先で、初めて一緒に飲みに行く友人ができたのがうれしかった。

数日後タイミングを合わせて退勤し、四ツ谷へと向かう。岡さんの家とは逆方向にある四ツ谷になぜ行きつけの店があるのか。たずねたところ、岡さんの友人が店長をやっているとのことだった。

四ツ谷駅から5分ほど路地を歩いてたどり着いたのは、よくあるオシャレなイタリアン風の居酒屋。店長は岡さんが来たのに気づくと親しげに話しかけて来る。店長ばかりか、お客さんの中にも岡さんの知り合いが何人かいた。

岡さんは「この店の名物のチーズドリアは本当に美味しいから絶対食べてみてほしい」と言う。私は別にチーズドリアが好きでなく、どんなチーズドリアを食べても期待されるリアクションはできないだろうと思った。しかしそこまで勧められたら無下に断れない。

届けられたチーズドリアをスプーンにすくい、口に含む。うむ。普通に美味しいがやはり特にコメントすることがない。しかし同じものを頼んだ岡さんは一口食べるごとに「まじうめえ、まじうめえ」「あー、最高」「これ食うためだけにでも毎日通いたいですわ」などと軽薄なことを言っている。岡さんに対して初めて「何だこいつ」という感情が生まれた。

いったい何のパーティーだ?

しばらく飲み食いした後、岡さんが店長を紹介してくれた。仲がいい人ができると、必ずこの店に連れて来るらしい。仲がいいと認定されたのはうれしかったが、それとは別に、年が離れた店長と岡さんとの親しさに不自然なものを感じた。知り合いの開いたパーティーで意気投合したというが、何のパーティーだろう。違和感が残ったが、それ以上たずねなかった。

岡さんは店を出た後も「このクオリティでこの値段は安すぎますよね」と賞賛の言葉を並べ立てる。そうは思わなかった。駅で別れて電車に乗った頃、メールが届いた。「他にも吉田さんに紹介したい人がいるんですけど来週空いてますか?」岡さんの友人と仲良くなりたい気持ちなど全くなかったが、断る言いわけが思いつかなかった。

後日、岡さんと2人、亀戸のカフェで待つこと十数分。30歳前後の居酒屋バイトリーダー風の男が現れた。当たり障りのない世間話をした後、男はカバンからiPadを取り出す。しばらくして理解した。典型的なネットワークビジネスの勧誘だった。「今のままでいいと思ってるわけじゃないよね」「バンドでもっと成功したいでしょ」「CDはどのくらい売れてるの?」とナイーブな部分を刺激して来る。

何でそんなことを言われなくてはいけないのか。屈辱に耐えながら話を聞いていてわかったのだが、あの四ツ谷の店も実はネットワークビジネス関連店で、友達を連れて来るといくらかマージンがもらえるらしい。そんな話は聞かされていなかった。iPadに映る表彰式やバーベキューの様子を見ながら、「岡さんは最初から勧誘のために近づいて来たのだろうか」という怒りと虚しさを感じていた。

飲み会で全部ばらす

数週間後、バイトの忘年会があった。同じ班の5、6人だけで行われる飲み会で、岡さんはいない。ここで岡さんを告発してやろうと思った。全て話せば、岡さんのバイト先における信用は失墜するのかもしれない。多少の罪悪感はあったが、仕方がない。それだけ信用を失う行為を彼はしたのだから。

場が温まって来た頃、タイミングを見計らってやや緊張しながら口を開く。「あの…実はこの前、岡さんに誘われて飲みに行ったんですけど……」不満を溜め込んでいたからだろうか、一旦話し始めるといつになくスラスラと言葉が出て来た。店の雰囲気の胡散臭さ。勧誘だと気づいた時のショック。岡さんへの失望。ドラマティックに話し終えた後、どうですか、驚いたでしょう、と場を見わたす。

おかしい。みんな黙って白けた顔をしている。あれ、と思ったのも束の間、「大変だったねー」と誰かが雑に処理し、話題は次に移って行った。いや、ちょっと待ってほしい。絶対もっと盛り上がるネタなんだけど。

岡さんと同僚の結びつきは、私が思っていたより強かったのか。いつも無口なくせに人の悪口を生き生きと話す姿が醜すぎたのか。岡さんがいくら悪かろうと、岡さんをだしにしてあわよくば「面白い奴」と認められようとした自分はそれ以上に酷い人間かもしれない。何にしろ、今後自分のいないところで悪口を言われることは避けられないように思えた。

文=吉田靖直(トリプルファイヤー) 撮影=鈴木愛子
『散歩の達人』2019年2月号より