吉田靖直(達人)の記事一覧

noimage
数カ月経ってもモヤモヤしている、砂時計の思い出【吉田靖直/トリプルファイヤー】
他人に臆せず声をかけられるようになることが大人の必須条件だと思っている。どんなに格好いい人でも他人に道をたずねるのを恥ずかしがってモジモジしていたら一気にダサく見えるだろう。私は30代半ばを過ぎてもなお他人に話しかけることに結構な抵抗感がある。
noimage
36歳にもなって、挨拶のことで説教されるなんて【吉田靖直/トリプルファイヤー】
数カ月に一度は実家に帰って神社の手伝いをしている。先日もお祭りの重なる時期に帰省し、丸1カ月家業を手伝った。宮司である父親が急に倒れた場合のことなども考え、手伝った内容はできるだけ記憶するようにしている。だがお祭りの手順や準備工程を覚えるだけでは不十分で、神主は数百人いる地域の氏子さん(寺でいう檀家)たちを取りまとめ協力を仰ぎ、行事を執りおこなっていかなくてはならない。私にとっては最も苦手とする分野だ。
noimage
怒られるのが苦手だが、怒るのはもっと苦手だ【吉田靖直/トリプルファイヤ―】
できるだけ怒られたくないと思って生きている。誰でも基本的には怒られたくないものだと思うが、私は怒られることによるダメージを人一倍受けやすい方だと感じる。よく「私のために本気で怒ってくれてうれしかった」などとのたまう人がいるが、意味は理解できても感覚的に理解できない。どれだけ自分のことを考えてくれていたとしても、あるいは自分に非があったとしても、怒られたら条件反射的に負の感情を抱いてしまう。
noimage
私が「餅作り」を嫌いな理由【吉田靖直/トリプルファイヤ―】
たびたびいろんなところで言っているが、私の実家は香川県にある神社だ。毎年夏や秋はお祭りが重なって私もちょくちょく手伝いに帰るが、一年で最も忙しいのは、なんといっても年末年始である。
noimage
釣った魚は絶対死ぬとは限らないはずだ。【吉田靖直/トリプルファイヤ―】
子供の頃よく親の夜釣りに付き合わされた。海辺で釣り糸を垂らしてじっと待つ夜釣りは子供にとって退屈だ。何時間経っても何も引っかからず飽きたのか、それとも自分には釣り竿を与えられていなかったのか、今となってはよく覚えていないが、その夜私は親が釣り上げたメバルが入ったビニール袋を持たされ、少し離れたテトラポッドに座りボーッとしていた。
noimage
私は頑張ろうと思う。【吉田靖直/トリプルファイヤ―】
知人の飲み会で一度だけ会った文芸誌の編集者から連絡があり打ち合わせをすることになった。コーヒーをすすりながら「最近は何やってるんですか」「実家にはよく帰るんですか」と世間話のような質問に答えていたら数十分が過ぎていた。相手は私に仕事を頼むつもりだったのに、私の返答のレベルが低すぎたせいで「やっぱこいつダメだ」と見切られてしまったんじゃないか。そんな不安がよぎり始めた頃、編集者は突然「吉田さん、小説を書いてみませんか」と言った。私は虛をつかれたような顔をして「小説かあ……いつか書いてみたいとは思ってたんですけどね。でも自分に書けるかどうか」などとゴニョゴニョ言いながら、顔がニヤつきそうになるのを必死にこらえていた。本当は打ち合わせを持ちかけられた時点で小説の執筆を依頼されることに期待していたのだ。「まあ……なんとか頑張ってみます」と弱気な返事をしつつ、胸の内は小説執筆への熱い思いで滾(たぎ)っていた。
noimage
罪と石段
以前、ネットの掲示板を見ていたら「中高時代の部活について語ろう」というスレッドがあった。それを見て驚いたのは、昔やっていた部活を「楽しかった思い出」として捉えている人が意外に多いことだ。なんだかんだ言っても今思えば楽しかった、という話ではなく、たとえば雨で部活が休みになったら落胆するほど当時から部活を毎日楽しみにしていたらしい。私には部活を楽しみに感じた経験がない。休みになればただただうれしかったし、そのままずっと休みになったとしても喜んで受け入れていただろう。そんなに嫌ならやめればいいじゃないかと思われるかもしれないが、そう簡単に割り切ることもできない。つらいのを我慢していれば時々は「続けていてよかったな」と思うことがあるんじゃないかと期待していたし、実際に何度かはあった。私にとって物事の継続とは我慢を強いられることであり、たまに楽しい出来事はあるにしろ基本的には苦しいのが当たり前なのだ。ただ、「これは続けていても楽しい」と思える物事に出会えるまでは、苦しくなったらすぐにやめて次を探すのもひとつの手だと今は思う。
noimage
NHKからやってきた男
初夏。よく晴れたある日の午後、台所でコーヒーを飲んでいるとインターフォンが鳴った。こんな時間にやってくるのはどうせ不動産の営業か宗教の勧誘だ。無視しようかと思ったが、もし宅急便だったら出ないのは申し訳ない。面倒に思いながらも玄関の扉を開けると、おそらく私と同年輩、30代半ばに見える男が立っていた。白のポロシャツに紺のスラックス、首からは社員証をぶら下げている。これは話を聞いたところでこちらが得をすることはないタイプの来客だとすぐに察した。やっぱり無視すればよかったと後悔してももう遅い。半開きの扉から顔を出し「……なんでしょうか」と言うと、男は「こちらの世帯主の方ですか?」とたずねてきた。
noimage
もしかしたら私も芸能人と付き合えるのではないか?
たまに地元の友人から「お前さあ、テレビとか出てるけど、女優さんと仲良くなって付き合えたりしないの?」と聞かれることがある。あいにくそのような経験はないが、その願望がないわけではない。ニュースで女性芸能人と一般的にあまり有名でない男性ミュージシャンが交際・結婚したなどと耳にするたび、「自分ももしかしたら芸能人と付き合えるのではないか」と淡い期待を抱いてしまう。
noimage
「乃木坂駅のほうが近いですよ」と言えない理由
人と一緒にどこかへ向かうとき、ただ人に導かれるまま後ろをついていくだけになるパターンが多い。ついていくだけで目的地に着けば楽は楽だが、そんなことを繰り返していると「何もしない奴」としての存在が定着してしまい、いざという時に自分の意見が通りにくくなるという弊害がある。
PAGE TOP トップへ PAGE TOP 目次へ