『埼玉県のうた』(2019年)『咲きほこれ埼玉』(2023年)

むしろ、はなわが唄う『埼玉県のうた』のほうが、しっくりとくる。

この歌は2019年に公開された映画『翔んで埼玉』の主題歌。興行収入30億円を超え、邦画としては、それなりにヒットした。とくに埼玉県内の映画館は盛況だったという。

海も空港もない、何もない。経済企画庁の調べでは6年連続で住みにくい県ナンバーワンとディスっている主題歌を聴きながら、

「埼玉県民には、そこらへんの草でも食わせておけ!」

という二階堂ふみの怒号に、スクリーンを眺めるドMな県民たちは、にやにや笑みを浮かべていた。

続編『翔んで埼玉 琵琶湖より愛をこめて』(11月23日公開)の主題歌はこれもまた、はなわが唄う『咲きほこれ埼玉』。まあ、前作の主題歌よりはサイタマ愛を感じるのだが。

ちなみに、はなわは2歳まで春日部で暮らしたことがあり、その縁から「かすかべ親善大使」に任命されている。でも、どちらかといえば佐賀県のイメージほうが強い。また、いまの居住地は横浜なのだとか。いまや県民的歌手なのだが、地元との縁は薄い。ホント、何もねえんだな埼玉県って。

県民歴20年以上なのだが、埼玉県庁に行くなんてはじめてのこと。浦和にあったことも知らなかった……。
県民歴20年以上なのだが、埼玉県庁に行くなんてはじめてのこと。浦和にあったことも知らなかった……。

『なぜか埼玉』(1981年)

曲のヒットでイジられキャラ化した埼玉

しかし、私の世代になると、埼玉のご当地ソングといえば『埼玉県のうた』よりも、『なぜか埼玉』のほうが思い浮かぶ。

この曲も映画『翔んで埼玉』の挿入歌として使われていた。当時「なんだこの歌は?」と怪訝な顔になった人たちも、いまはそれを懐かしく感じるのだろうか。

『なぜか埼玉』がリリースされたのは、いまを遡ること約40年前。1981年、深夜ラジオの人気番組「タモリのオールナイトニッポン」の「思想のない歌」コーナーで紹介されて話題となり、やがて12万枚を売りあげるヒット曲になった。

演歌調というかムード歌謡というか、当時としても古さを感じさせる1960〜70年テイストが濃厚。さいたまんぞうなる歌手が、抑揚なくコブシも効かせず淡々と歌いあげる。感動するのは無理。歌詞にも意味とか思想は感じられず。ただ、

「埼玉って何もなさそうだなぁ」

ってな雰囲気だけが伝わってくる。東も西も南も北も……どこまで行っても、広いだけの関東平野がひろがっているイメージだ。

埼玉県に生えてるのは草ばかりじゃなくて、浦和駅前には「パルコ」も生えていた。
埼玉県に生えてるのは草ばかりじゃなくて、浦和駅前には「パルコ」も生えていた。

曲のヒットにより、人々は埼玉県の存在をはじめて認識したのかもしれない。

それまでは誰も埼玉県のことなど意識していなかった。誇れるように輝かしいものはないが、かといってディスられるような特段の理由もみあたらない。みんな静かに暮らしていたのだ。

この歌が流行るまでは……。

浦和にある別所沼公園。草だけじゃない、埼玉県には魚だっている……たぶん。
浦和にある別所沼公園。草だけじゃない、埼玉県には魚だっている……たぶん。

何もなかった。それがよかった。

『なぜか埼玉』が発売された80年代の初頭、まだ政令指定都市のさいたま市は存在しない。大宮市や浦和市が、それぞれ勝手に〝埼玉の首都〟を名乗っていた。また、浦和レッズは三菱自動車のサッカー部だったし、埼玉が誇れるものは、いまよりもずっと少ない。また、埼京線もなかったから、東京はもっと遠くに感じられた。

その頃、遠く離れた東京の原宿ではタケノコ族やローラー族が跋扈し、中学校や高校は校内暴力の嵐が吹き荒れていた。前年のクリスマスにはジョン・レノンが銃殺されるわ、中国共産党が文化大革命を否定するわで、もう大変。なんか、世の中がとんでもなく変わっていきそうな不安や期待で、みんなテンパって興奮していた時代だった。

しかし、西武線や東武線に乗れば、時代の狂乱や都会の喧騒は忘却の彼方。車窓に映る街の明かりが減って暗くなってくると、都会の興奮も冷めて眠気に誘われる。満員電車の揺れではっと目が覚めたあたりで、埼玉の自宅がある最寄り駅に着く。ホームに立つとあたりは真っ暗、駅前にある数少ない飲食店はみんな閉店でシャッターを閉めている。

やっぱり、埼玉には何もなかった。けど、安らぐよなぁ。

当時のトップテンでは、3オクターブの美声を張りあげる『大都会』が常連だったけど、大都会に疲れたココロには、テンション低めな『なぜか埼玉』のほうがいい。安眠を誘ってくれそうで……明日も早起きせにゃならんのだし。ああ、早いとこ埼京線が開通しねぇかなぁ。などと、往復2時間の過酷な通勤を呪ったりもした。テレワークなんて言葉すらなかった時代だった。

埼京線の開通で東京はぐっと近くなった。当初は埼京線でなく〝最強線〟と名称を勘違いしてたのは若気の至り……。
埼京線の開通で東京はぐっと近くなった。当初は埼京線でなく〝最強線〟と名称を勘違いしてたのは若気の至り……。

『なぜか埼玉』のヒットで、ひっそりと日陰で平穏に生きてきた埼玉県民の状況も変わってくる。縁もゆかりもなかった大多数の日本人にも、その存在は認知されてしまった。教室の隅でひっそり静かに生きていた陰キャが、陽キャたちに見つけられてイジりの対象になってしまう。そう、イジる。そんな感じ。

曲がヒットしてまもなく、イケてないことを意味する「ダ埼玉(ださいたま)」が流行語になった。また、1984年のベストセラー『金魂巻』にも埼玉がよく登場してくる。この本は人生の勝ち組と負け組を職業別に分けて、そのライフスタイルを細かく紹介するものだが、負け組の居住地は埼玉県内がやたら多かった。

東北・北陸新幹線開業当初の始発駅は大宮だった。「上野駅よりすげー」と県民は狂喜乱舞したのだとか。
東北・北陸新幹線開業当初の始発駅は大宮だった。「上野駅よりすげー」と県民は狂喜乱舞したのだとか。

無個性で何もなかった埼玉県だが、急にキャラが立ってきた。しかし、当時の住人たちにとっては、嬉しくはない目立ち方だった。

埼玉県民であることを恥じて都内への引越しを考える者が増えたとか増えないとか、曲のキャンペーンで埼玉県庁に協力を求めたがガン無視されたとか。県民には拒絶反応が強かったようである。

かく言う私も埼玉県に移住した当初は、どこに住んでいるのか問われると、

「池袋のちょっと先のほう」

とか、口を濁してた。すみません。なんせ”埼玉都民”なもんで。

この40年間で、県民性が激変!?

しかし、いまはどうだろうか。埼玉をディスってる映画を県民がこぞって観に来る。そこらへんの草を喜んで食っている。

また、今秋に公開される続編映画の主題歌『咲きほこれ埼玉』のMVには、埼玉県内60の自治体職員やゆるキャラが出演して地場産品をPRしている。県をあげて協力する気が満々、また、人気に乗っかる気も満々。目立ってナンボとイジられるのを喜んでいる。

なんだか、関西人のようにノリがいい。この40年で県民の意識も大きく変わったような気がする。

いまはもう、何もなかった埼玉ではない。人口130万人を要する全国で9番目に大きなさいたま市がある。しかも、副都心の新宿や渋谷と並ぶ「新都心」だから、札幌や博多よりも上だったりする……のか?

ちなみに2022年の「SUUMO住みたい街ランキング」では横浜や吉祥寺に次いで大宮が3位に。恵比寿とか自由が丘とか、かつて埼玉県民が羨望した都内の街よりもずっと上位にある。また、同じさいたま市内の浦和も5位に入っていた。

2010年に大宮がランキング10位に入った時には、

「なんかの間違いでは?」

とか、言われたりもしていた。昔の感覚ではちょっと信じられない事態だった。昭和の時代に「住みたくない街」とかのランキングがあれば、そっちの上位は埼玉県勢が占めていただろう。他所者(よそもの)たちの埼玉を見る目もまた変わったようだ。

だから、ディスられても平気。いまや埼玉も人気者の陽キャなのだろうか?  多少のディスりは、愛のあるイジりと理解して受け流す余裕がある。

浦和レッズと阪神タイガースって、なんかチームカラーが似てるような……埼玉県民と関西人も意外と似てる?
浦和レッズと阪神タイガースって、なんかチームカラーが似てるような……埼玉県民と関西人も意外と似てる?

実際、埼玉に住みたくて東京から移住して来る人は多いようだ。埼玉は東京からの人口流出が増加し続けている唯一の道府県、しかも、その傾向は10年間つづいている。少子高齢化の影響で人口減少に転じた日本のなかで、毎年1パーセント以上も県民人口は増えつづけているのだからすごい。

『なぜか埼玉』がヒットしていた1981年の埼玉県人口は543万5111人、それが今年の推計人口だと733万1914人。社会増に自然増減も含めれば、当時を知らない県民のほうが多いのではないかと思ったりもする。

仕方なく埼玉に住むことを選択した古い世代と、住みたくて移住してきた新しい世代とでは人種が違う。自虐的なご当地ソングも、違った感じに聴こえるのだろうな。たぶん。

氷川神社の総本社は大宮にある。東京・赤坂にあるのはその分社だから……勝った。ちょっとうれしい。
氷川神社の総本社は大宮にある。東京・赤坂にあるのはその分社だから……勝った。ちょっとうれしい。

取材・文・撮影=青山 誠