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子供の頃から、母に「男は汚いもの」と教えられて育った。直接的にそう言われたわけではないが、わたしが「だれだれ君のことが好き」といった話をすると、母は露骨に嫌な顔をした。少しボディラインが目立つ服を着ると、「はしたない」と注意された。中学受験のとき、「女子校に行きたい」と言うと、母は大いに喜んだ。次第にお母さんは男の人が嫌いなんだと感じるようになり、母に愛されたい娘のわたしも、男性に嫌悪感を抱くようになった。

わたしは父と一緒にお風呂に入ったことが一度しかない。いま思うと、母は男性が嫌いだったのではなく、父のことを憎んでいたのかもしれない。憎まれてもしかたない父親だったのだが。

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父は不動産屋の社長だった。社長といっても社員は父だけの、町の小さな不動産屋だ。バブルのときはバンバン建て売りを手掛けて儲けていたようで、我が家はそれなりに裕福だった。しかしバブルが崩壊すると、父は多額の借金を背負った。そのことについて、母は愚痴や文句を言ったことはない。問題は、ギャンブル癖だった。パチンコ、競馬、競輪、麻雀……。休みの日は朝からギャンブル三昧で、父に遊んでもらった記憶は一切ない。

いや、一度だけある。母が「たまには遊びに連れて行ってほしい」と頼んだところ、父はわたしと兄を上野の映画館に連れて行った。映画が終わると、父の姿はなかった。30分待っても、1時間待っても、父は現れない。兄と二人で泣きながら保護された。

家に帰ると、父がいた。わたしと兄を映画館に置き去りにして浅草に馬券を買いに行き、わたしたちの存在を忘れてそのまま家に帰ったらしい。「ごめんな」と言ったときの、父のニヤついた顔をいまでも鮮明に覚えている。

父はいつもニヤニヤしていた。わたしはその顔が大嫌いだったはずなのに、大人になったわたしはいつもニヤニヤしている。父は酒と煙草が大好きだった。そんな父が大嫌いだったはずなのに、いまのわたしは酒と煙草に依存している。父は酒を飲むと、よく泣いた。わたしも酒を飲むと、すぐに泣く。「お父さん、そっくり」と母はいつも呆れ顔だ。

中学3年生のとき、父と離れて暮らすようになった。大学に入ってから一度だけ食事に行ったが、「奨学金はもらっているのか? バイト代はいくらだ?」と金の話ばかりされて嫌になり、それ以来、父と会うことはなかった。その後、父がどうしようもない人生を歩んでいることを風の噂で聞いた。

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大学4年生のとき、初めて彼氏ができた。シャイで少し天然な彼のことがわたしは大好きだった。しかし上野公園の木陰で初めてキスをし、舌を入れられた瞬間、殺意が湧いた。自分が汚れたと思った。帰り道、泣きながら彼に別れを告げるメールを送った。

男性は汚い。男性とまぐわう自分も汚い。27歳で初めてセックスをしたが、行為中、どうしても母の顔が頭をよぎる。大事に育ててもらったのに、お母さん、ごめんなさい……。いつしか男性と二人きりになるだけで、手足がこわばるようになった。

30歳の誕生日の直後、警察から電話が掛かってきた。父が春日部のアパートの一室で死んでいるのが発見されたという。涙は出なかった。その日の夜、わたしは一人で近所の食堂に行き、レモンサワーを2杯飲んだ。普段なら10杯は余裕で飲めるのに、なぜかその日は2杯で信じられないくらい泥酔してしまい、救急車で運ばれた。急性アルコール中毒だった。わたしと父に相応しい、ろくでもないお別れの仕方だなと思った。

母がなぜ「男は汚いもの」としてわたしを育てたのか、その真意は未だはっきりしない。父のことを憎んでいたのか、元々男性が嫌いだったのか、はたまたわたしの勘違いだったのか……。ただ一つ言えるのは、わたしの中で「男は汚いもの」というイメージが、41歳になったいまも強烈に残っているということだ。

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しかし最近、変化があった。きっかけは、千住大橋で一人暮らしをしていたときに飼い始めた犬だ。チワワの雄で、名前はワン太。生後3カ月で迎えてからすくすくと成長し、次第にわたしの腕に下半身を擦りつけるようになった。

朝から晩まで、ワン太に発情される日々が続いた。生後9カ月で去勢手術を行ったものの、ワン太の発情は収まらなかった。いまもリアルタイムで昼夜を問わずワン太に腕を掴まれ、発情される日々を送っている。

最初に発情されたとき、案の定、嫌悪感しかなかった。見る見るうちに大きくなるワン太のおちんちんを見て、嫌で嫌でしかたなかった。しかし段々と見慣れてくるもので、そのうちなんとも思わなくなってきた。むしろ頑張って腰を振る姿が愛おしい。大きくなったおちんちんを、ちょこんと指で触ってみたりもする。ぷるんと揺れるおちんちんは、まるで人間のそれかのように生々しいが、ワン太の生命力が漲っていて神聖なものにさえ思える。今日も頑張って生きたね、と労(ねぎら)いたくもなる。

わたしはもうセックスをしてもそこまで嫌悪感を抱かないような気がしている。これはほぼ確信に近い。

今日も千住界隈は、だれそれの恋の噂話で持ち切りだ。わたしもそろそろ、恋がしたい。

文・イラスト=尾崎ムギ子