繁華街の隙間に、人の一生を濃縮したような静けさが
新宿の名は、江戸時代の宿場町「内藤新宿」に由来し、当初は雑木林や畑の真ん中にある郊外駅だった。
「にぎやかな街というイメージがついたのは、ここ最近のことなのかもしれません」
とは、新宿南口の『K’s cinema』支配人・酒井正史さん。
「今でこそ、この界隈はきれいで明るくなりましたが、前身の『新宿昭和館』が建った昭和初期なんか、街灯が少なくて鬱蒼(うっそう)としていたそうですよ」。
言われて周辺を見渡すと、昭和風情が香ばしい雑居ビルに囲まれ、中には大人の店の案内所なども散見。当時の薄暗さが垣間見える。
怪しい静けさに包まれているのは、新宿4丁目界隈も同様だ。甲州街道と明治通りを結ぶ細い一本道には、ドヤ街を思わせる長屋造りの安宿が転々と残り、どこか猥雑(わいざつ)な風情を醸し出している。そうかと思えば、周囲には住宅地が広がり、学校や病院も点在していて、宿屋通りの空気とのコントラストが激しい。そんな界隈についてAPARTMENT HOTEL SHINJUKU』のキュレーター・ジェレミーさんは、「このあたりって、人の一生がぎゅっと濃縮されている気がする」と語る。なかなか言い得て妙だ。
中央線に伝播(でんぱ)するサブカルの心臓部
新宿1丁目あたりに足を延ばすと、小さなフォトギャラリーの看板がちらほらと現れる。
「西口にヨドバシカメラができた頃から、このあたりは写真家が集まる聖地的な場所になっていったんです」
とは、写真家の瀬戸正人さん。1987年に『PLACE M』を開設して以来、新宿の街を見つめてきた。
「写真に限らず、新宿はサブカルの発信地という印象です。若いアーティストが名を上げるために虎視眈々(たんたん)と腕を磨いている場所。そうした文化が新宿を起点として中央線沿線にも広がっていったと言われています」。
かつては何もなかった場所にさまざまな文化が積み上げられ、現代の多様性がごった返す闇鍋的街並みが形成された新宿。静寂スポットは、その進化の過程をのぞき見できるタイムゲートなのかもしれない。
ミニシアターの暗闇で時間を忘れる『K’s cinema』
任侠映画専門の『新宿昭和館』を建て替え、2004年に開業。「映画好きのオーナーの頭文字をとって『K’s cinema』なんです」と、支配人の酒井正史さん。インディーズ作品を扱い、天井の高さやゆったりシートなど、こだわりが随所に。上映後には舞台挨拶することもあり、作品との距離がぐっと縮まる。
●9:40~22:30、無休。☎03-3352-2471
怪しさが魅力的なレトロホテル『APARTMENT HOTEL SHINJUKU』
一室ごとにデザインが異なる客室が特徴の『APARTMENT HOTEL SHINJUKU』。「宿泊でなくても大歓迎」とは、キュレーターのジェレミーさん。ロビーのショップ、無造作に置かれたアンティーク、地下室のギャラリーが、やけに冒険心をかき立てる。
●10:00~21:00(チェックインは14:00~、チェックアウトは10:00)、無休。☎03-6273-0991
自家醸造のビアバーは素通り不可能『Y.Y.G.Brewery & Beer Kitchen』
細路地の雑居ビルに『Y.Y.G.Brewery & Beer Kitchen』の手作り感強いテラスを発見。醸造担当の上野雄也さんは「近所の人たちの給水ポイントになってます」と、笑う。タップは新宿ペールエール800円をはじめ、定番、季節物合わせて10種以上。ぐいっと喉を通せば、香りとコクが広がって渇きを潤す。
●16:00~23:00(土は12:00から、日・祝は12:00~22:00)、月休。☎03-6276-5550
和洋折衷ひとまとめ。新宿のオアシス『新宿御苑』
『新宿御苑』は江戸時代の大名屋敷をルーツとし、明治には皇室の庭園に。戦後、国民公園として公開された。西洋式の整形式庭園や日本庭園、中国風建築の旧御凉亭など、多様な文化が入り交じり、目にも楽しい。芝生で寝転がって空を仰げば、その広さに思わずため息。日陰で絵画のごとき景色をのぞくのも乙だ。
写真家の聖地、ここにあり『PLACE M』
「写真家が作品発表できる場を作りたかった」とは『PLACE M』主宰者の写真家・瀬戸正人さん。1987年の開設以来、全国津々浦々から寄せられる多くの作品を展示してきた。未経験者でも個展出展を目指すワークショップ「夜の写真学校」やレンタル利用できる暗室など、写真家を育てる環境づくりにも積極的だ。
入店不可避のネコの手招き『パン家のどん助』
遠くからでも目を引く、風にたなびくのれんが目印。そこには店名『パン家のどん助』の由来となった猫の絵が描かれている。グレーとマーブル色の猫の手を模した猫の手ゴマあんぱん150円が一番人気だ。かわいらしさと甘みに、思わず顔がほころぶ。
昔ながらの昭和銭湯は地元民御用達『東宝湯』
東新宿の住宅地。長い階段の下に構える『東宝湯』は、代々質屋を営んでいた先々代が近隣住民の要望に応え、1952年に開業。3代目の坂本繁靖さんは「慣れ親しんだ地元のお客さんのため、引き継ぎ当初からの伝統の薬湯を続けています」と、語る。薬湯は20種類以上。ちょい熱の湯加減がまた、体に染みる。
●15:00~24:00、金・第1木休。☎03-6228-0993
取材・文=高橋健太(teamまめ) 撮影=丸毛 透
『散歩の達人』2022年9月号より