望月柚花(達人)の記事一覧

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【週末民話研究】恋人への想いから大罪を犯した少女「八百屋お七」
八百屋お七(やおやおしち)は江戸時代前期の一般女性です。恋人に会いたいという強い思いから放火事件を起こし、江戸市中引き廻しの後に火刑に処されて亡くなったとされています。5組の恋人たちの悲劇的な恋愛事件をテーマにした、井原西鶴の中編小説『好色五人女』で取り上げられたことから広く知られるようになり、文学、歌舞伎、文楽など、創作の主人公として描かれるようになりました。実在したお七の史実はほぼ分かっていませんが、お七と恋人の吉三郎の比翼塚が本駒込にあるそうなので、実際に訪れて調べてみることにしましょう。
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【週末民話研究】浅茅ヶ原の鬼婆と東京指定旧跡「姥ヶ池跡碑」
現在の東京都台東区清川1丁目〜今戸2丁目エリアは、その昔「浅茅ヶ原(あさぢがはら)」と呼ばれていました。浅茅ヶ原という地名は、イネ科の多年草であるチガヤの生えた荒野を指すそう。万葉集の中にも見られ、日本で古くから使用されてきた言葉とされています。今回ご紹介する「浅茅ヶ原の鬼婆」は、東京都台東区に古くから伝わる伝説です。
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【週末民話研究】徳川家康ゆかりの井戸「策の井」と鷹場を探して
江戸幕府初代将軍・徳川家康は、戦国乱世を切り抜けたのち、約260年続くことになる天下泰平の世をもたらした歴史上の重要人物です。忍耐の人として知られ、リーダシップもあった家康の残した名言や逸話は数知れず……。健康にも気を使っていたようで、鷹狩りや乗馬、水泳などを日々行い、最晩年に倒れたのも鷹狩りに行った先でのことでした。死没年齢は75歳。50歳前後で亡くなることが多かった戦国武将の中では長命な方だったとされています。今回はそんな徳川家康ゆかりの地が新宿、そして国分寺にあるという情報を得て、興味をひかれたので調べてみることにしました。
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【週末民話研究】神田川・面影橋に伝わる悲話と山吹の里の碑
都営荒川線・面影橋停留場のそばを流れる神田川には、「面影橋(おもかげばし)」という停留場名と同じ名前の橋があります。面影橋は承応年間(1652〜1655年)の神田上水工事の際にかけられたといわれ、ここから下流の江戸川橋までの一帯は「山吹の里」と言い、江戸時代には蛍の名所として知られていたそうです。名前からどこか儚い印象を受けるこの面影橋には、この地に住まう武士の娘・於戸姫(おとひめ)の悲しい言い伝えが残っています。
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【週末民話研究】江戸の怪談「本所七不思議」を巡る
墨田区には「本所七不思議パネル」なるものがあり、「本所七不思議(ほんじょななふしぎ)」をモチーフにした壁画を見ることができるとのこと。本所七不思議とは、江戸時代から伝わる本所(東京都墨田区)の怪談話のことを指します。「おいてけ〜おいてけ〜」で有名な怪談「おいてけ堀」や、「落葉なき椎」「足洗邸」など、伝承によっては7つ以上のエピソードもあるのだそうです。
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【週末民話研究】源頼朝の死の原因と茅ヶ崎市の遺跡「旧相模川橋脚」
茅ヶ崎市にある「旧相模川橋脚」は、大正12年(1923年)9月1日の関東大震災とその余震によって水田に突如現れた鎌倉時代の橋の橋脚です。当時の歴史学者の調査によって、この橋脚は建久9年(1198年)に架けられた橋の脚部分であると判明。大正15年(1926年)には国の史跡に指定され、平成24年(2012年)には関東大震災当時の液状化現象の痕跡を残す遺産として国の天然記念物にも指定されました。歴史遺産と天然記念物、二つの側面で重要な遺構となっている旧相模川橋脚ですが、ここには複数の言い伝えがあります。そしてどうやらその中には源頼朝の死因に関わっている話が存在するらしいのです。
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【週末民話研究】横浜市営地下鉄踊場駅に伝わる「猫の踊場」
横浜市営地下鉄ブルーラインには「踊場」という駅があります。「関東の駅百選」にも認定されている踊場駅。この駅名は「夜な夜な猫たちが手ぬぐいをかぶって踊っていた場所」というなんとも可愛らしい民話が由来になっていて、現在の踊場駅の構内外には猫モチーフのモニュメントがそこかしこに見られるそうです。駅近くには猫の霊を供養する「寒念仏供養塔」も存在していると聞き、実際に訪れてみることにしました。
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【週末民話研究】仏教を学び、お坊さんになりたかった狐の話
民話の中で狐や狸は人を化かすイメージがありますが、実際は狐や狸の全員が悪戯ばかりをしているわけではないようです。その証拠として「人に化けて澤蔵司(たくぞうす)と名乗り、修行僧として仏教を学んだ狐がいた」という民話があります。彼は現在、東京都文京区小石川にある『慈眼院 澤蔵司稲荷(じげんいんたくぞうすいなり)』で稲荷神として祀られているそうです。民話を辿りつつ、実際に澤蔵司ゆかりの地を訪れてみることにしました。
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【週末民話研究】徳川吉宗も興味を示した、鐘ヶ淵の沈鐘伝説
鐘ヶ淵(かねがふち)は、東京都墨田区北部の旧地名です。荒川区と墨田区の境界線である隅田川が大きく西から南に曲がる淀みの部分には、鐘ヶ淵の「沈鐘伝説」があり、一帯の旧地名と東武伊勢崎線・鐘ヶ淵駅の名前の由来となったとされています。この伝説に登場する鐘の正体には複数の説がありますが、代表的なものは3つ。①元和6年(1620年)に普門院という寺が移転する際、船で荷物を運搬している最中に落とした半鐘②長昌寺という寺の釣鐘が、享保5年(1720年)の洪水によって流されたもの③戦国時代に千葉氏が北条氏に敗れた際、千葉氏にゆかりのある瑞応寺の鐘が戦利品として北条氏に奪われた。しかしこれを船で運んでいたところ、鐘から突然奇妙な音がして川面が荒れはじめ、恐ろしくなった人たちは仕方なく川に鐘を沈めたいくつかの説があってなんだか謎に満ちた鐘ヶ淵の沈鐘伝説ですが、江戸時代にもこの謎に強い興味を示した人がいました。8代将軍の徳川吉宗です。
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【週末民話研究】巣鴨のとげぬき地蔵(延命地蔵)の不思議な力
巣鴨駅からほど近くにある曹洞宗萬頂山高岩寺(そうとうしゅうばんちょうざんこうがんじ)は、「とげぬき地蔵尊」の名で親しまれています。今回のお話の主役は、高岩寺の本尊「延命地蔵(とげぬき地蔵)」。どうしてとげぬき地蔵と呼ばれるようになったのか、どういったご利益があるのかを探っていきましょう。
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