望月柚花(達人)の記事一覧

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【週末民話研究】かつての吉原遊廓を歩く(後編)
遊女屋が集まる場所として、江戸幕府公認で江戸郊外に作られた「吉原遊廓」。街の持つ闇、特殊な文化は創作などの題材としても多く用いられ、吉原が花街として現役だった江戸時代から多くの人を惹きつけてきました。現在は日本最大のソープランド街として認知されているこの地に、当時の面影を感じる場所はあるのでしょうか。前編に引き続き、吉原遊廓のあった東京都台東区千束四丁目と三丁目周辺を実際に歩きます。
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【週末民話研究】かつての吉原遊廓を歩く(前編)
遊女屋が集まる場所として、江戸幕府公認で江戸郊外に作られた「吉原遊廓」。街の持つ闇、特殊な文化は創作などの題材としても多く用いられ、吉原が花街として現役だった江戸時代から多くの人を惹きつけてきました。現在は日本最大のソープランド街として認知されているこの地に、当時の面影を感じる場所はあるのでしょうか。今回は吉原のあった東京都台東区千束四丁目と三丁目周辺を実際に歩き、遊郭という特別な場所と、そこで生きていた人々に想いを馳せてみます。
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【週末民話研究】本牧・亀の子石神社の「亀の子さま」と不思議なご利益
「鶴は千年、亀は万年」は、縁起のいい言葉として現代まで続く諺(ことわざ)です。亀は地域や民族によっては信仰の対象でもあり、日本でも昔話や伝説、おとぎ話や民話によく登場します。例として一番有名なものは『浦島太郎』でしょうか。今回は海亀の子供で「亀の子さま」と呼ばれている、神奈川県の本牧地域に伝わる民話を紹介します。
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【週末民話研究】恋人への想いから大罪を犯した少女「八百屋お七」
八百屋お七(やおやおしち)は江戸時代前期の一般女性です。恋人に会いたいという強い思いから放火事件を起こし、江戸市中引き廻しの後に火刑に処されて亡くなったとされています。5組の恋人たちの悲劇的な恋愛事件をテーマにした、井原西鶴の中編小説『好色五人女』で取り上げられたことから広く知られるようになり、文学、歌舞伎、文楽など、創作の主人公として描かれるようになりました。実在したお七の史実はほぼ分かっていませんが、お七と恋人の吉三郎の比翼塚が本駒込にあるそうなので、実際に訪れて調べてみることにしましょう。
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【週末民話研究】浅茅ヶ原の鬼婆と東京指定旧跡「姥ヶ池跡碑」
現在の東京都台東区清川1丁目〜今戸2丁目エリアは、その昔「浅茅ヶ原(あさぢがはら)」と呼ばれていました。浅茅ヶ原という地名は、イネ科の多年草であるチガヤの生えた荒野を指すそう。万葉集の中にも見られ、日本で古くから使用されてきた言葉とされています。今回ご紹介する「浅茅ヶ原の鬼婆」は、東京都台東区に古くから伝わる伝説です。
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【週末民話研究】徳川家康ゆかりの井戸「策の井」と鷹場を探して
江戸幕府初代将軍・徳川家康は、戦国乱世を切り抜けたのち、約260年続くことになる天下泰平の世をもたらした歴史上の重要人物です。忍耐の人として知られ、リーダシップもあった家康の残した名言や逸話は数知れず……。健康にも気を使っていたようで、鷹狩りや乗馬、水泳などを日々行い、最晩年に倒れたのも鷹狩りに行った先でのことでした。死没年齢は75歳。50歳前後で亡くなることが多かった戦国武将の中では長命な方だったとされています。今回はそんな徳川家康ゆかりの地が新宿、そして国分寺にあるという情報を得て、興味をひかれたので調べてみることにしました。
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【週末民話研究】神田川・面影橋に伝わる悲話と山吹の里の碑
都営荒川線・面影橋停留場のそばを流れる神田川には、「面影橋(おもかげばし)」という停留場名と同じ名前の橋があります。面影橋は承応年間(1652〜1655年)の神田上水工事の際にかけられたといわれ、ここから下流の江戸川橋までの一帯は「山吹の里」と言い、江戸時代には蛍の名所として知られていたそうです。名前からどこか儚い印象を受けるこの面影橋には、この地に住まう武士の娘・於戸姫(おとひめ)の悲しい言い伝えが残っています。
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【週末民話研究】江戸の怪談「本所七不思議」を巡る
墨田区には「本所七不思議パネル」なるものがあり、「本所七不思議(ほんじょななふしぎ)」をモチーフにした壁画を見ることができるとのこと。本所七不思議とは、江戸時代から伝わる本所(東京都墨田区)の怪談話のことを指します。「おいてけ〜おいてけ〜」で有名な怪談「おいてけ堀」や、「落葉なき椎」「足洗邸」など、伝承によっては7つ以上のエピソードもあるのだそうです。
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【週末民話研究】源頼朝の死の原因と茅ヶ崎市の遺跡「旧相模川橋脚」
茅ヶ崎市にある「旧相模川橋脚」は、大正12年(1923年)9月1日の関東大震災とその余震によって水田に突如現れた鎌倉時代の橋の橋脚です。当時の歴史学者の調査によって、この橋脚は建久9年(1198年)に架けられた橋の脚部分であると判明。大正15年(1926年)には国の史跡に指定され、平成24年(2012年)には関東大震災当時の液状化現象の痕跡を残す遺産として国の天然記念物にも指定されました。歴史遺産と天然記念物、二つの側面で重要な遺構となっている旧相模川橋脚ですが、ここには複数の言い伝えがあります。そしてどうやらその中には源頼朝の死因に関わっている話が存在するらしいのです。
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【週末民話研究】横浜市営地下鉄踊場駅に伝わる「猫の踊場」
横浜市営地下鉄ブルーラインには「踊場」という駅があります。「関東の駅百選」にも認定されている踊場駅。この駅名は「夜な夜な猫たちが手ぬぐいをかぶって踊っていた場所」というなんとも可愛らしい民話が由来になっていて、現在の踊場駅の構内外には猫モチーフのモニュメントがそこかしこに見られるそうです。駅近くには猫の霊を供養する「寒念仏供養塔」も存在していると聞き、実際に訪れてみることにしました。
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