徳川家康と「策の井(むちのい)」
晩年は故郷の駿河国にて隠退していた徳川家康でしたが、年に数回は江戸城を訪れ、息子である将軍・徳川秀忠に進言したり、鷹狩りに出かけていたそうです。
鷹狩りの帰り道、この地に名水があると知り、家康が立ち寄った井戸が「策の井」でした。
「策の井」という名前は、家康が鷹狩りの帰路にこの井戸の水で汚れた「策(むち)」を洗い、水を飲んだという伝承からきています。
昭和16年(1941)11月には東京都指定旧跡に指定され、もともとは新宿西口付近にあったそうですが、現在は井戸に蓋をされ、代わりにモニュメントがあります。
フィールドワーク①新宿で「策の井」を探す
鷹狩りは訓練をした鷹を野に放つ狩りのことを指し、日本では古くから権威の象徴とされていました。
織田信長をはじめとする戦国武将の中でも、徳川家康が鷹狩りを好んでいたのは有名な話。
しかし家康はただの権力者の娯楽や気分転換としてだけではなく、養生や肉体の鍛錬のために鷹狩りを行っていました。
その入れ込み具合は相当なもので、なんと「鷹匠組」という専門の側近までいたそう。
家康が「友」と呼んでいた家臣・本多正信も鷹匠だったそうです。
早速、家康が鷹狩りの際に立ち寄った新宿にある「策の井」を探してみることにしましょう。
新宿駅西口方面へ歩き、地下街を抜けて「策の井」がある新宿エルタワーを目指します。
こんな都会のど真ん中に史跡があるのだろうか?と思いながらそれらしいものを探して歩いていると、道に迷ってしまいました。
あるはずの場所に「策の井」が全く見当たらなく、焦ってスマホで地図を見ながら位置を確認。一本隣の道を歩いていたらしく、10分ほどしてようやく「策の井」を見つけました。
新宿エルタワーの生垣に埋もれるようにして佇んでいます。
説明パネルによると、
当敷地内に存した「策の井」は江戸時代より名井として知られ、(中略)戸田茂睡の「紫の一本」(むらさきのひともの)に「策の井は四谷伊賀の先にあり、いま終わり摂津下屋敷内にあり、東照公鷹野に成らせられし時、ここに名水あるよしきこし召し、おたづねなされ、水を召し上られ、御鷹の策のよごれをお洗われたる故、この名ありという」と書かれている。
と書かれていました。この説明の中に出てくる東照公とは家康のことを指します。
家康が鷹狩りから帰る途中、この地に名水があると聞き、この井戸で水を飲み鷹狩りで使用し汚れた策(むち)を洗ったから「策の井」という名前である、とのこと。
江戸幕府が開かれたのは今から約400年前。時代は大きく移り変わりましたが、家康が策を洗ったとされる場所は現存しています。
当時の家康に、この地が400年後に高いビルに囲まれた場所になることを伝えたら、一体どれほど驚くでしょう。
そんなことを考えながら、次は徳川家が鷹狩りの場所として使っていた「御鷹場」へ向かいます。
フィールドワーク②徳川家鷹場・国分寺「お鷹の道」
市内の村が徳川家の御鷹場に指定されていたとされる国分寺。
そんな歴史にちなんで、市では美しい水の流れる清流沿いの道を「お鷹の道」と名づけ、遊歩道として整備しています。
「お鷹の道」へは、国分寺駅南口から歩いて15分ほどだそう。
国分寺駅から住宅街をしばらく歩いていくと木の案内板で「お鷹の道」が示されているので、ほとんど迷うことなく辿り着けました。
「お鷹の道」の地図とともに、この地が徳川家の御鷹場であったことを説明しているパネル。
なんと「お鷹の道」を含む周辺の湧水群「真姿の池湧水群」では、夏にホタルを見ることができるそう。
昭和60年(1985)に環境省選定名水百選のひとつに選ばれただけではなく、東京都の名湧水57選にも選ばれるほどの美しさだといいます。
野山を駆け回る必要がある鷹狩り。先にも述べた通り、家康は鷹狩りを娯楽ではなく体を動かす鍛錬の場として捉えていましたが、実際のところ他の大名も、鷹狩りを軍事演習や領地視察として活用していたそう。
鷹狩りは5代将軍綱吉の「生類憐れみの令」で一旦廃止されますが、8代将軍吉宗の時代には復活。なお吉宗は鷹についての書物の収集や研究も行なっており、自身も著作を残しています。
調査を終えて
権力の象徴や娯楽、スポーツ、軍事演習、領地の視察の場として行われてきただけではなく、8代将軍吉宗のように学問として技術書まで書いてしまう将軍もいる。
家康ゆかりの「策の井」や、徳川家の御鷹場が名前の由来となっている「お鷹の道」を訪れ、調べていく中で、鷹狩りの持つ様々な面を知ることができました。
現在の国分寺「お鷹の道」は地元の人がのんびりと散歩を楽しむのどかな場所だったので、徳川家がこの地で鷹狩りをしていた様子とあまりイメージが結びつかないと感じましたが、遥か昔の風景に少しだけ気持ちを寄せて、美しい水の流れを見ながら道を歩くのはなかなかいいものだと思いました。
「お鷹の道」の脇で揺れるのはマンリョウの赤い実。
マンリョウは「万両」とも書くのですが、「縁起がいいし、なんか徳川家康が好きそうな植物だな」と勝手に思い、ひとりほくそ笑みながら帰路についたのでした。
取材・文・撮影=望月柚花